召された記憶
であり、沖縄地方に被害をもたらしながら、そのまま九州の長崎沖を北上し、朝鮮半島に向かったという台風であったが、被害が大きかったのは、沖縄地方はいうまでもなく、九州南部の、鹿児島、宮崎あたりは、数万戸の停電があったという被害があったということであった。
あとは、太平洋上を北上して、上陸はしなかったが、なぜか、京都であったり、静岡あたりが、大きな被害に見舞われたりした。そのあたりで、線状降水帯が発生したりしたのだった。
そして、8月も台風は少しだけあり、本土上陸はほとんどなかったが、やはり地区によっては、被害があったところもあった。
これだけ、大災害に見舞われているのに、ソーリは外遊していて、被災地に金を出すところか、外国で戦争をしているところにばかり金をばらまいているという体たらくだったのだ。
9月に入れば、本来であれば、
「台風の季節」
ということで、毎年、中旬くらいには、
「ここ数十年に一度の台風」
と言われるような台風が来るのだが、どちらかというと、
「くるくる詐欺」
で、それほどの被害がなかったりしたものだが、それも地域によって違っているということなので、大きなことは言えないのであった。
しかも、この年は、
「9月に至っては、一度も上陸した台風がなかった」
ということで、発生自体が、ほとんどなかったのだ。
7月時点で、
「ダブル台風」
だったり、
「トリプル台風」
などと言われ、気が付けば。台風の数はそれなりだったが、9月が終わった時点で、最新の台風が12号だったなどという、何とも、不思議な現象となっていたのであった。
そんな台風というものが、襲ってきていたその年は、本当に
「9月に台風が、上陸しないなど、あっただろうか?」
と思えるほどであった。
ただ、気になるのが、最近では、
「秋がない」
と言われるようになっていて、10月中旬くらいまで、真夏日である、
「最高気温が30度以上」
という日が続いているので、台風の発生が、11月中旬くらいまであるというような、普通であれば、信じられないようなことになることも、少なくなかった。
だから、毎年のように、台風の発生時期の最後が、更新されるようになってしまい、それを思うと、
「本当に、異常気象だ」
と言われるのも、無理もないことであろう。
だから、10月になっても、
「いつ台風が発生してもおかしくない」
ということになるだろう。
「本当に、地球はどうなってしまうのだろう?」
と言われても仕方がないということであった。
ただ、どんなに、異常気象が続こうとも、日本において、夏の次に来るのは、秋である。春夏秋冬が、キチンと毎年、時期は若干ずれるとはいえ、繰り返される。それは、ちゃんと、
「天体が、その機能を果たしている」
ということだからであろう。
そもそも、基本的な自然をつかさどっている天体が、少しでも狂ってしまうと、どんなことになるというのか恐ろしいものである。
考えてみれば、この地球ができてから、数億年と言われているが、その間に、生物がどんどん進化していき、途中で、氷河期などを繰り返しながら、それまで生きていた生物すべてが死滅するかのような状況になっても、今まで、実際に生命が絶えたということは地球上ではなかったのではないだろうか?
もちろん、そんな昔の時代を見たことがあるわけもないのだし、気が遠くなるような昔の話をされたとしても、それは、どうにもなるものでもない。
それを考えると、
「地球における時代を生きている自分たち、どれだけの時間が経ったとしても、本当に豆粒よりも小さなものであり、宇宙は、無限でなければいけないほどの広さを、
「地球の歴史」
というだけのものでも、有しているのかも知れない。
大げさかも知れないが、実際に、数百年前に考えられていた宇宙から、今、
「間違いない」
とまで言われている範囲でも、相当広いものである、
しかし、実際に、それ以上を、今真剣に学者は考えていて、その理論も証明されようとしているではないか。
これが、
「マルチバース理論」
というもので、
「今信じられている最大の広さと言われている宇宙規模のものが、さらに、外の世界に、同じくらいの規模の我々が宇宙と呼んでいる世界が、存在している」
という、いわゆる、
「理論物理学」
の理論である。
それの存在を最初に提唱されたのは、今から100年以上も前ということなので、すごいことだといえるのではないだろうか。
日本では、まだ、
「明治維新」
というものが起こってからすぐくらいという、世界の仲間入りもしていない時期だったというのは、本当にすごいことであった。
「マルチバース理論」
というものの証明に、
「実際に確認できる、一番遠くの星の光を確認する」
というような話を聞いたことがある、
それが、どれくらい遠いもので、
「何万光年」
と呼ばれるものか、
「何百万光年」
と呼ばれるものなのかは分からないが、少なくとも、その光は、その何百万年も前の光だということで、実際にその星が今あるのかどうかも分からないというものだった。
そんな星との距離に比べれば、地球の広さなどというのは、実に狭いものに違いない。地球人は、やっとお隣の月や火星に到達できる技術があるくらいで、これが、
「有人となると、なかなか難しいことである」
に違いないだろう。
そんな、大自然であったり、
「宇宙の果て」
というものに、思いを馳せるのもいいが、地球上で、毎日が繰り返され、さらには、一年の間に、規則的に季節が繰り返されているというのは、ある意味で、
「奇跡だ」
といってもいいのではないだろうか?
少しでも、軸が狂えば、どんな異常現象が起こるか分からない。それが、氷河期のようなものであり、定期的に訪れていると言われていて、今は、第三期まであったと聞いたことがあったが、どうなのであろうか?
「自然というのは、その季節を、静寂とともに、規則正しくその歩みを着実に執行している」
といってもいいのではないだろうか?
ということを考えると、
「静寂」
というものは、、
「厳かなもの」
といってもよく、そこには、格式なるものが存在し、自然が、確実に季節を育んでいるといってもいいだろう。
無限に広がる宇宙にも、その限りがあり、そこに結界が広がっているとすれば。
「科学で証明されないものはない」
といっても過言ではないのかも知れない。
ただ、今の時代には、人間という生物を中心にして、自然界を、時には、蹂躙することで、自分たちの都合のいいものに変えていこうとする。
それを、神がいるのであれば、どうして許しているのであろうか?
考えてみれば、聖書に出てきた、
「ノアの箱舟」
という洪水の話は、たぶん、真実を元に書かれたものではないかと思う。
いくら、自然災害の多かった古代といえども、
「大洪水」
というものが、いきなり発想として浮かんでくるということもないだろう。
日本でもそうだが、それぞれの土地に伝わる伝承された物語があり、それを編集するという形で、伝記のように書かれるのが、
「聖書」