召された記憶
医者は、桜井刑事が、今度の患者の担当だということを知ると、医者の方から、いろいろ話しかけてきた。
「今回の被害者ですけどね。だいぶ、首を押さえつけられていたので、もう少し時間があれば、絶命されていたかも知れないですね」
ということだったので、それを聞いた時、桜井刑事の頭の中は、
「目撃者が言っていた。余裕をもって殺そうとしていた」
というのも、間違いではないと思ったが、
「それなら、なぜ、思い切って、とどめを刺そうとしなかったのか?」
と感じると、今度は、前の事件で、医者が言っていた言葉を思い出した。
「殺そうと思えば殺せたのに、未練があったからなのか、それとも小心者だったからなのだろうか?」
ということである。
それに触れてはいけないと思ったのか、何も言わないでいたが、
「前の事件で、私も同じことを感じたんだけど、桜井刑事も同じことを思っているようですね?」
といって、医者はまた、前と同じことを口にした。
それはまるでデジャブを見ているようで、以前に感じた思いを、またしても感じたという感覚であったが、
「その犯人がどういう人なのか分からないけど、彼女を殺そうと思えば殺せていたのであれば、以前の犯人のような、ためらいがあったのではないでしょうかね?」
と医者は言った。
「どうして、そう思うんですか?」
というので、
「かなりの恨みを持っていたのではないかと思うんですよ。だから、彼女の方は、男が現れた時に、相当の大きなショックを受けたのではないかと思うんですよ」
と医者が言った。
それを聞いて、桜井刑事は、
「ん? どうして、そこまで断定的な話ができるんですか?」
と、医者に言った。
桜井刑事をはじめとして、今回の事件で、細かい事情は、誰にも明かしていない。
ということであれば、
「被害者が、自分の口からそのことを話したのではないか?」
と思ったが、何しろ、本人は殺されかけたのだ。相手が医者であるとしても、そう軽々しく、自分のことを話すだろうか?
今は疑心暗鬼になっていることだろう。
医者は、何か不可思議な空気が漂っているのを感じると、すかさず、そして静かに、口を開いた。
「被害者の彼女、記憶喪失になっています」
というのだった。
犯行理由
「犯人が、今何をしているのか?」
ということよりも、
「犯人の犯行目的が何か?」
ということであるが、そもそも、犯人というのは、何を目的に犯罪を犯そうとしているのか?
ということである。
もちろん、殺害にまでは至らなかったが、首を絞めてまで殺そうとしているのだから、それだけの理由があるはずだ。
その際に、犯人が、あたかも、目撃者に見せつけるような
「不敵な笑い」
それを見て、目撃者の向坂は、ゾッとしたのだった。
ただ、これは、その時は覚えていなかったのだが、向坂には、その時の犯人の
「不敵な笑み」
というものを、見たことがあったと思うのだった。
犯人は、確かに、被害者に恨みがあった。
というのは、犯人の妹が、いきなり、自殺をするという事件が起こった。
その時は、妹も死ななかった。
しかし、後遺症が残り、一生車いすの生活を余儀なくされるということになり、兄としては、
「妹は、死ぬよりもつらい思いを、これからしていかなければいけないんだ」
と思ったのだ。
「その原因がどこにあるのか?」
そして、なぜ、
「妹が死ななければいけないのか?」
ということであった、
妹の意識が戻っても、まだ、ハッキリとした記憶も戻らずに、さらには、精神状態の破綻によって、身体がまともに動かない状態になり、ずっと寝たきりの、逃亡生活が、かなりの間続いた。
その間に何度か、精密検査が行われたが、その時に、
「驚愕の事実」
というものが、先生から告げられた。
「お嬢さんは、妊娠5か月です」
と言われたのだ。
とにかく、医者がいうには、
「このまま生んでも、育てることは、身体的に無理で、堕胎するなら、もう時間がない」
ということだったので、彼女の意志を尊重することなく、堕胎ということになったのだ。
妹は、最初から、覚悟はできていたという。妊娠ということと、その妊娠の現認が、
「強姦によるものだ」
ということが次第に分かってきて。そもそも、
「曰くあり」
の妊娠だったのだ。
「自殺の原因は、そのあたりにあるのではないか?」
ということであり、実際に、警察に被害届が出されたが、いつ、どこで強姦されたのかということを、妹が言えるようになるまでに、しばらくが掛かった。
そのせいもあって、警察も初動捜査が遅れて、なかなか犯人にたどり着けない。
ただ分かっていることというのは、妹が、大学で友達になった人と一緒に、
「キャンプに行った時に、何かがあった」
ということであった。
その時の友達というのが、実は、今回の被害者だったのだ。
警察も、
「まさか、裏にそんな秘密が潜んでいよう」
などということが分かるはずもない。
「事件というのが、どういう経緯で起こったのか?」
そのあたりを誰が知っているというのだろうか?
なぜ、皆がこの事件の真相をなかなか知ることが遅れたのか?
ということであるが、その理由は、
「今回の被害者が誰であるか?」
ということが、分からなかったからだ。
被害者が意識を失ってしまっていて、しかも、今は記憶を失っているという。
ちょうど、彼女が首を絞められて、殺されかけた時。犯人は、被害者の、
「身元が分かるもの」
を持ち去っていたのだのだ。
財布であったり、カバンなどを抜いていたことから、
「少なくとも、被害者のことを、よく知っている人だ」
ということは分かった。
しかも、
「何をどこに直しているか?」
ということを熟知しているということは、彼女と、かなり親密な関係にあった人ではないか?
ということで、
「犯人は彼氏ではないか?」
ということに捜査の方は絞られてきたのだが、彼女の本人が、記憶を失っているということで、それ以降の捜査は、難航した。
「じゃあ、捜索願が出ているのでは?」
ということで、彼女が殺されかけてから、今日までの捜索願を当たってみたが、実際に捜索願は出ていないようだった。
そこで考えられることとして、
「彼女が、一人暮らしではないか?」
ということであった。
あるいは、
「男と同棲中?」
という発想も出てきた。
同棲中で、犯人がその同棲相手がったとすれば、捜索願が出ていないことも、彼女の身元を示すものを簡単に持ち去るということも、無理なことではない。むしろ、
「簡単にできることであろう」
というもので、被害者が、誰なのかということよりも、犯人が分かる方が早いのかも知れない。
ただ、一ついえば、被害者は、病院に担ぎ込まれてから、
「再度、犯人に狙われる」
ということはなかった。
一つ言えることは、もし、これが、
「猟奇犯罪」
であったり、
「愉快犯」
や、何かの、
「模倣犯」