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召された記憶

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 は、社会を便利にしてくれて、それらを購入する人がたくさんいるから、その企業は儲かり、新たな開発を行う基礎になる金ができるというわけだ。
 自由競争では、いくら一度勝ったからといって、安心していては、すぐに追い越されてしまう。
 一度負けた企業は、次は死に物狂いで開発をしてくる。そして、勝者は、それにおごることなく、新たな開発に、こちらも必死になる。
 しかし、経済力の違いから、どうしても、有利なのは、
「金を持っている」
 つまりは、
「力が強い」
 という企業が、勝ち残るかのようになるであろう。
 それを考えると、
「民主主義の行きつく先は、貧富の差を生む」
 ということでの、それが進んでしまうことで生まれる
「格差社会」
 というものである。
「格差社会」
 というものは、次第に、貧富の差を拡大させるという意味で、
「汚職まみれ」
 の世界を作ったり、
「贈収賄」
 というものが、世の中にあふれ、政治家が率先して、そんな社会を作りあげるということで、言い方は悪いが、
「腐った社会」
 というものが、末路には待っている。
 といってもいいだろう。
 そんな民主主義というものを、
「社会の限界だ」
 ということで、別の経済社会の考え方が生まれてきたのが、
「社会主義」
 という考え方だった。
 こちらは、基本としては、
「平等」
 である。
 民主主義の、
「平等という考え方と排除しないと、結局は、格差を生むことになり、そこには、汚い社会が蔓延ることになる」
 ということではないだろうか。
 それを考えると、生まれてくる考えは、
「徹底した、競争のない世界」
 ということで、平等を大切にするということは、
「皆同じ給料で、競争を生まない」
 ということになる。
 そうなると、格差社会が生まれることもなく、汚職もなくなれば、政府の癒着もなくなるというものだ、
「実に理想的な社会への考え方」
 であったが、実際に蓋を開けてみると、いろいろな弊害が生まれてくる。
 まず一つは、
「自由競争ではなく、皆が同じ給料であれば、すべての仕事内容に格差があってはいけない」
 ということになるのだろうが、そんなことが現実的にあるわけではない。
 そして、自由競争ではないということであれば、誰も先を見ようとはしないだろう。
「頑張っても頑張らなくても結果は同じだ」
 ということであれば、
「誰が好き好んで、一生懸命に頑張るか」
 ということになる。
 そして、企業は、すべて。国営ということになり、個人企業にしてしまうと、国家の知らないところで、勝手に自分たちだけで決めてしまうことになり、それこそ、
「民主主義の弊害」
 を生み出すことになってしまうだろう。
 それは許されるわけもなく、どうすればいいのかというと、一番先にしなければいけないのは、
「取り締まることのできる、
「強い政府」
 というものを作ることだ。
 しかし、それは、一筋縄ではいかないだろう。
 そこで、社会主義国のほとんどは、
「専制君主」
 というものに近い形の、
「独裁国家」
 というものであった。
 基本的には、
「一党独裁」
 という、
「強い政府を作るのは、民主主義のように、政府にも競争があってはいけない」
 ということで、一つの強力な党の出現から、
「強い指導者」
 が世の中を掌握するという必要がある。
 かつての社会主義がそれであり、そのせいもあってか、どうしても。人間というと、自分が、
「絶えず誰かに狙われている」
 というような、疑心暗鬼になってしまい、猜疑心の塊ということになると、
「粛清」
 ということを行うようになる。
 国内外に、諜報機関のネットワークを設け、とにかく、
「自分を、どんなことをしてでも守る」
 ということを考えるようになるのだ。
 そうなると、
「独裁者のための国家」
 ということになり、最初の基本であった、
「平等」
 というものが、音を立てて崩れていくのが、社会主義であり、それを、
「ソ連の崩壊」
 というのが、証明したではないか?
 マスクをつけたり、帽子をかぶるなどというのは、
「今の時代は当たり前」
 ということであり、逆に、
「政府がいいと言ったから」
 ということで、ノーマスクをしている人の気が知れないというところかも知れない。
 実際に、パンデミックが収まったわけではなく、
「重症化しない」
 とは言われているが、実際に、罹った人は、その影響が、後遺症として残っていて、苦しんでいる人もいる。
「数か月は、味覚障害があって、味もしない」
 という人もいるだろう。
 それよりももっと大きな問題として、
「仕事での自分の立場」
 という人もいる。
 一度も罹ったことがない人からみると、
「一週間が経ち、熱が下がったのだから」
 という目でしか見ない。
 しかし、後遺症に悩まされている人は、
「会社に出勤するだけで辛い」
 という状況になっているのに、それを会社の上司であったり、まわりは分からないのだ。
 だから、
「伝染病のせいにして、楽しようとしている」
 と思われるのだ。
 しかし、考えてもみれば、そんな風に思われてまで、楽をしようと普通は思うだろうか?
 そこまで考えるのであれば、そもそも、
「体調が悪い」
 といって、会社を休んだ方が、自分も楽だ。
 もちろん、有給があればということであるが、それをしないということは、
「本当にきついんだ」
 と、どうして上司は思わないのだろうか?
 それだけ、
「自分の身になって考えるということができない上司が増えたということなのか?」
 それとも、
「誰もが、自分のことだけしか考えられないような社会になった」
 ということなのだろうか?
 どちらにしても、
「嘆かわしいことだ」
 といってもいいだろう。
 要するに、
「そんなことも分からない」
 いや、
「分かろうとしない上司が増えた」
 ということで、
「自分のことだけで精一杯」
 と言えばいいのか、よくわからない世の中だ。
 マスクをつけた男が立ち去って行った方向に目をやると、、
「まだ、その男がそのあたりに潜伏しているように思える」
 というほどであった。
 それだけ、その男は、堂々としていた。
「向坂に見られたのは分かっているはずなのに、慌てることもなく、何事もなかったかのように逃げているくらい」
 の感覚だった。
 それは、まるで、
「向坂に見られていることは、最初から計算ずく」
 とでもいうのか、下手をすれば、
「にやけていた」
 と言ってもいいくらいなのかも知れない。
 そのにやけていたということを思い出すと、気持ち悪くなってきた。
 それこそ、ちょっとした風でもゾッとするような感覚になるようで、
「熱もないはずなのに、熱が出てきた」
 というような感覚になってしまっているように思えるのだった。
 男が立ち去った方向を見ていると、そこに何かの臭いが残っているかのような気がした。
 それが、
「臭い」
 なのか、
「匂い」
 なのかが分からない。ひょっとすると、
「無臭」
 なのかも知れないが、もし、それでも臭いが残っているとすれば、それは、
作品名:召された記憶 作家名:森本晃次