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三つの関係性

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 という根拠のない言葉に騙されて、下手をすれば、大規模な、パンデミックが起きる可能性を、予見できなかったということで、球団側が、
「糾弾される」
 ということも当然のごとくにあることだろう。
 そんなことを、どこまでできるのかということを考えると、ファンサービスと、球団経営、そこには、
「安全性」
 と、
「野球協会の方針」
 とも絡み合って、球団側も、世間の他の企業と同じように、
「いろいろなファンサービスに対して、考え直さないといけない時期に来ている」
 といってもいいだろう。
 民放で、野球中継がなくなったのは、
「延長しても、9時半までしかしない」
 ということで、野球ファンからすれば、
「なんでそんな中途半端なところでやめるんだ」
 ということになり、今度は、9時からのレギュラー番組で、ドラマなどを楽しみにしていた人が、ビデオなどの録画をしていると、
「30分時間がずれてしまった」
 ということで、ビデオの中には、30分延長機能」
 というものを取り扱っているところがあるが、どうしても、最初の30分、見たくもない野球が入っていることで、本来なら、
「2時間番組」
 なのに、延長したせいで、
「2時間半」
 を拘束されることになる。
 今のように、ディスクには数千時間の録画機能がついていれば、
「30分くらい、どうってことはない」
 のだろうが、一般的な
「120分テープ」
 であれば、
「3倍速で録画しても、一本のビデオで、最高6時間ということになる」
 これは、
「テープによる録画なので、CDやディスクへの録画と違って、一本の中に入ることになる」
 つまりは、
「CDや、ディスクであれば、録画したい時間が残っていれば、その間に録画されるので、意識することはなく、しかも、録画のサイズが、結構ある」
 というものから見れば、
「ビデオというのは、実に原始的な録画装置」
 ということになるのであった。
 それを考えると、
「30分の延長」
 というのが、どれほど圧迫するかということを、実際に使ってみれば、分かるというものであった。
 そんな時代だから、野球ファンからも、ドラマのファンからも、恨まれることになり、どうせならどちらかに決めておけばよかったという風に感じさせることになるのではないだろうか?
 そんな時代を進んでくると、
「テレビを見ない」
 という人以外でも、
「スマホで見る」
 ということで、テレビを置いていない人も多くなった。
 実際にスマホで見るのは、今は、ユーチューブなどの動画サイトが、多いだろうが、少し前であれば、
「有料チャンネル」
 という
「ケーブルテレビ」
 が多かった。
 ケーブルテレビは、
「月額いくら」
 とチャンネルごとであったり、パックになった契約で、見たい番組の数チャンネルを、数千円くらいで見放題というこのであったりする。
 元々は、野球などで、
「試合開始から、ヒーローインタビューまで」
 ということで、ファンであれば、
「有料でもいい」
 という人が増えてきた。
「逆に、有料の方が、こちらが金を払っているのだから」
 という気分にさせてくれる。
「民放は、スポンサーには逆らえない」
 ということで、あんなに中途半端なことになっているのだ。
 だから、放送に決まったルールはない。あくまでも、
「スポンサーの意向以外の何物でもない」
 ということである。
 だから、金を払うのが、視聴者だということになると、今度は、番組制作を視聴者には逆らえないということになる。視聴する会員が減ってしまえば、そのまま売り上げ減となるのだ。番組製作の方も必死である。
 ここから始まって、
「ドラマ専用」
「時代劇専用」
「ニュース専用」
 という、視聴者が好きなジャンルを選べるようにして、放送するのだから、見たい番組をいつでも見れるという形の放送も出てきた。
 それが、
「過去番組の配信」
 というわけだ。
 まるでユーチューブのように、好きな番組を検索して、ダウンロードすることで、いくらでも、何度でも見ることができる。
「月額いくらの見放題」
 というのが、そのシステムである、
 そうなると、スマホでの視聴が主になり、今では、
「パソコンも持たずに、スマホだけで楽しんでいる人もたくさんいる」
 といえる。
「パソコン一台分で、スマホ数台という人もいて、最近では、民放が、ドラマを無料配信という形にしているところも多い。もちろん、月額見放題の契約ということになるのであろうが」
 そんなことを考えていると、
「テレビの時代から、配信の時代へ」
 ということでいろいろ変わってきているが、それが、
「時代の流れ」
 ということで、小説から、マンガに変わってきたというのも、無理もないことであろう。
 活字離れどころか、最近では、本屋すら、姿を消しつつある。それだけ、スマホなどの配信に掛かってきているのだろう。
「配信」
 というものが、今の時代のほとんどすべてに近いように思えてくるから、実に不思議だといえるだろう。
 最近になって、配信テレビで、昔見た探偵小説の番組を思い出し、見てみることにした、その時の小説を見て、つかさは、自分で、また小説を書いてみようと思ったのだった。

                 対となるもの

 小説の中で、一人の男が、いつも被害妄想で悩んでいた。
一つ気になっていたのが、
「当事者には、なかなか分からないこと」
 ということだったのだ。
 ある日、一人の少女が、道を歩いていた。その少女は、小学生で、学習塾が終わっての帰りがけだった。
 時期としては、秋に入りかかった時、それまで、セミの声ばかりが聞こえていたのに、気が付けば、秋の虫の声が聞こえる。そう感じたのは、汗を掻いていたはずなのに、日が暮れた状態で吹いてきた風が、身体を冷やしているように感じたからだ。。
「思わず身体が震えているかのようだった」
 と彼女は思ったのだが、その時に感じた震えは、どうも寒さだけではなかったような気がしたのだ。
 セミの声は、昼間に聞くと、これほどうるさいものはない。だが、日が暮れてからでは、そこまでうるさくはないのだが、その変わり、
「湿気を帯びた生暖かさ」
 というものを感じさせるのだった。
 ただ、日が暮れてからであれば、夏の時期であっても、秋口であっても、風は吹いてくるものだ。
 それだけ、セミの声でも、秋の虫の声でも、そこに違いのようなものはなく、ただ、セミと秋の虫の鳴き方の違いを感じさせられるのであった。
「秋の虫というのは、まるで音楽を奏でているように、規則的に、脈をうつかのように、聞こえてくる。しかし、セミというのは、ただ、うるさいだけ」
 ということで、
「どちらが耳障りか?」
 と聞かれると、
「セミの声」
 というのを、迷うことなく答えるに違いない。
 夏の暑さを、
「ジリジリと感じる」
 と言われるが、セミの声は、まさにそんなジリジリとした暑さを、容赦なく、身体にぶつけてくるかのように感じるものだった。
 秋の虫というのも、鈴虫であったりコオロギなどのように、
「羽をすり合わせるようにして、音楽を奏でる」
作品名:三つの関係性 作家名:森本晃次