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三つの関係性

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 という錯覚にとらわれ、そんなことができるわけはないという思いとのジレンマに悩まされながら、結局は、旦那を憎むということに落ち着くしかないのであった。
 そんな母親だったが、以前であれば、
「専業主婦」
 ということもあって、ほとんど家にいるということで、テレビを見たりして、気分転換をするような場合が多かったのだろうが、バブルがはじけてからこっちは、特に、
「共稼ぎ」
 が多くなり、最近では、
「それが当たり前」
 という風になってきたのだった。
 だから、というわけではないのかも知れないが、
「昼間の民放というと、奥様向けのワイドショーが正午くらいからあり、午後一時からは、奥様劇場と言われる。主婦向けの恋愛小説を原作としたドラマがあったりした」
 恋愛小説といっても、内容は、不倫であったりという、ドロドロとした、愛憎絵図というものが、描かれていて、それを主婦は、好んで見ていたという時代があった。
 やはり、
「専業主婦として、表には買い物に出るくらいしかない状況で、実際に、不倫などできないと思っている主婦とすれば、そういう番組を見て。自分の中の、欲求不満というものを晴らしていたのかも知れない」
 と、そんなことを思えば、今度は共稼ぎが増えたことで、テレビ番組も改変を余儀なくされたことであろう。
 奥様向けの番組から、昼休みの大衆向けのワイドショーに変わり、今までは、1時間だった昼のワイドショーが、3時間というような、番組に変わっていった。
 そこで使われるキャスターやMCは、局アナだったり、
「お笑いタレント」
 だったりが主流になってきた。
「そんな番組を、奥さんが見るとも思えず、そもそも、誰が昼の番組を一番見ているのか?」
 ということが分からなくなってしまったことで、ある意味、迷走を重ねたうえでの今の番組編成なのかも知れない。
 そもそも、ゴールデンの野球中継というのも、ほとんどなくなってきた。
 一番の人気チームは、放映権の値段が、他の球団よりも高かったりする。それは、今のほとんど野球中継をやらなくなった時代でも変わっていない。
 たまに、たとえば、休日のデーゲームなどを放映する時も、放映するとすれば、地元球団が主流になってきた。
 それは、昔と比べて、ファン層が変わってきたということもあるのだ。
 昔であれば、
「サラリーマンが、ストレス解消に、野球場でやじる」
 という目的で、それも、企業が買わされた年間予約席の余りで、行く人はいつも同じだったりするので、そういうことになるのだろう。
 あとは、子供であろうか。
 というのも、
「子供会」
 のような球団主催の会に入っていれば、ほどんどただで、見られるということで、年会費を払っても、数回見に来ることで、すでに、元が取れる。
 ということになると、親も、子供会に入れれば、その分、子供の面倒が掛からずにいいと思っている人もいることだろう。
 だから、昔の野球は、
「サラリーマンと子供が見るものだ」
 と言われていた。
 しかし、最近では、そういうこともなくなってきて。
 サラリーマンと子供以外でも、
「女性ファンが増えてきた」
 という時期があったりした。
 それは、球団努力もあるだろう。
「レディスデー」
 などというのを設けて、
「その日は、女性は半額で入場できる」
 というものであったり、
「子供と女性には、ユニフォームのプレゼント」
 ということもあったりしたではないか。
 それを思うと、球団側の女性客をターゲットにした時期と、女性ファンが野球ファンになる時期とがうまくマッチしたという意味で、
「女性ファン獲得」
 ということに関しては。
「見事に成功した」
 といってもいいだろう。
 特に、野球選手のファンサービスというのも、大きいかも知れない。
「ヒーローインタビューや、ホームランを打った後の、選手のパフォーマンスなどは、女性や子供のファン獲得に、もってこいだっただろう」
 昔も、ちょっとした選手のパフォーマンスはあるにはあった。
 特に、
「雨天での降雨によって、試合が中断している時。あるいは、試合の中止が決定した時など、ファンサービスとして、選手が、ダイアモンドを全力疾走で回り、最後にはホームベースに滑り込むというパフォーマンスは、当時とすれば、結構な人気だったりしたものである」
 といえる。
 今の時代であれば、
「そんなことしなくとも」
 と思うだろうが、昔の野球では、マスコット人形がいるわけでもないし、トランペットなどの応援歌というものもなかった。
 それこそ、鐘と太鼓を鳴らすことで、応援パフォーマンスにしていたのだ。
 今でこそ、球場によっては、
「ラッキーセブンの時に行う、応援歌を皆で歌って。最後に風船飛ばし」
 などとしているが、
「昔は応援歌を歌うということも、ましてや、風船飛ばしという儀式もなかった」
 せめてあったといえば、応援団が、持ってきた紙テープを近くの席の少年たちに与えて、ラッキーセブンのイベントとして、それを、グランドに投げるという程度であろうか。
 実際には、一部だけなので、風船飛ばしのように派手さもない。そういう意味では、
「風船飛ばしを考えた人は、なかなかの策士だ」
 といえるだろう。
 しかし、今はそれもしないところも出てきているのではないか?
 というのも、実質的なことを考えると、風船飛ばしは、
「効率的ではない」
 といってもいいだろう。
 というのは、風船を飛ばすと、そのほとんどはグラウンドに落下する。それを、球場係員が、たくさんいて、拾うことになるのだが、それは、最近の傾向として、
「試合時間を早める」
 という目的から逆行することになる。
「イニングのインターバルの時間も決まっていて。球場の電光掲示板に、カウントダウンで表示するように義務付けられているくらいではないか?」
 だから、いくらラッキーセブンだけとはいえ、試合時間を悪戯に、伸ばすということは、あまり許されることではないということであった。
 さらに、もう一つは、ここでも、
「世界的なパンデミック」
 ということが影響してきている。
 というのは、世界的に、
「ロックダウン」
 と呼ばれる、
「都市封鎖」
 というものがあったりすることで、野球場において、
「人が口にして息を吹きかけて膨らますものを、満員の席で行うというのは、伝染病蔓延の観点からしていないところも多い」
 だろう。
 しかも、それを拾って片付ける球団職員がいるのだ。
 誰のものとも分からない口をつけて膨らませたものを、手で拾って、捨てるという役である。
「手袋をしていればいいではないか?」
 と言われるかも知れないが、あの膨大な数である。
 それを手で一つ一つ拾うというのは、どれだけの手間がかかるということなのか、
 それを考えると、今までの、数倍も時間が掛かってしまい。さらに、職員や、膨らます観客も危ないと考えると、
「百害あって一利なし」
 といえるのではないだろうか?
 いまだにそれを行っているとすれば、それは、
「時代に逆行している」
 といえるのか、それとも、政府の、
「安全だ」
作品名:三つの関係性 作家名:森本晃次