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三つの関係性

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 しかも、初めて聞いた笑い声は、何か、気持ち悪さがあるくらいだったが、
「あの父親が笑うなんて」
 と感じるほどなので、想像がつかなかったこともあり、却って、
「ああ、普段笑わない人が笑うと、あんな感じになるんだ」
 と思い込んだのだが、それから、将来の現在に至るまで、その気持ちに変わりというのはなかったのだ。
 それを思うと、
「お父さんも人間だったんだ」
 と思った。
 しかし、母親には、いつも以外の別の面を見たことがなかった。完全に、無表情で、
「笑うことなんかあるんだろうか?」
 と思うほどで、それを感じていると、次第に、母親に対してのいらだちが大きくなった。
 父親には憎しみがあり、母親にはいらだちがある。
「そんな親子関係って、どうなんだろう?」
 と感じたが、親から、どう思われていようと、あまり自分は気にしないようにしていたのだが、それは子供の頃だけで、中学生くらいになると、どうも、そういう感覚ではいられなくなったようだ。
「それがなぜなのか?」
 ということを考えたが、それが分かったのは中学2年生の頃だった。
 それまでにも、なんとなく分かっていたが、その頃になると、ハッキリと分かるようになってきた。
 というのが、
「思春期に入っている」
 という意識だったのだ。
 それでも、父親をリスペクトしているところはあった。
 それは、
「タバコをピタッと辞めた時」
 だったのだ。
 それまでは、応接間に入ると、タバコの臭いが、プーンとしてきて、壁には、タバコのヤニがしみついているように見えて、そのひどさは、その時は分からなかったが、ピタッとやめてからしばらくして、まったく臭いがしなくなった時に、分かってきたのだった。
 壁の色は落ちることはなかったが、明らかに、空気は新鮮だった。それまでは、いくら窓を開けていても、タバコの臭いがどうしようもなかったのに、今は閉め切っていても、その臭いが広からないことで、初めて、
「ああ、あのひどい臭いが消えたんだ」
 と感じたからだ。
 だから、以前は、結構会社の人を家に連れてきて、泊めてあげるようなことをしていた。
 ということは、応接間で、深夜まで、タバコを吸ったり、酒を飲みながら、ワイワイやっているのを見ていて、
「それが当たり前なんだ」
 と思っていたのだが、そのうちに、
「何かおかしい」
 と思うようになったくらいに、父親が、まるで、つかさの気持ちを分かってのことなのか、まったく誰もつれてこなくなり、さらには、タバコもやめたのだ。
 その理由としては、
「健康問題として、健康診断に引っかかった」
 ということがあったようだ。
 年齢的には、まだ、40歳代後半くらいなので、言ってみると、
「まだ、本来なら、そこまで気にしなくてもいい年齢」
 といってもよかった。
 ただ、その頃は、まだ中学生だった、つかさにそんな理屈が分かるはずもないのだ。
 やっと思春期に入り、大人の階段を上り始めた頃で、話としては、
「老化現象は、25歳くらいから始まっている」
 ということを聞いたとしても、誰が分かるというものか。
「まだこれから、年を取っていくのであって、
「一年一年が、まだまだ長い」
 と感じる年齢だったのだ。
 この感覚は、
「一日が自分では短いと思っていた」
 というのは、
「毎日が、時間で決まっているのが、子供時代だ」
 といってもいいだろう。
 小学生になってから、学校が始まる。学校では、1時限というのが決まっていて、学校でのいわゆる拘束時間というのは、おおむね、
「午前8時半くらいから、午後3時くらいまで」
 というものだ。
 それまでに、登校、下校というものがあり、朝の場合は、目が覚めてから、食事や顔を洗うという行為は、ほぼほぼルーティンになっていて、
「少しでも狂えば、遅刻する」
 といってもいいだろう。
 夕方以降は、比較的自由であるが、父親の世代くらいまでは、そうもいかなかっただろう。
 ただ、成長期になってから、生活がかなり変わった時代だったというのも、分からなくもない。
 バブルが崩壊し、そのせいで、父親が働くだけが当たり前だったのが、次第に、夫婦共稼ぎという時代となり、子供といえども、大人の生活がまったく影響しないなどということはなかったはずだ。
 社会情勢がまったく変わったのだから、それも当たり前というもので、
「そんな毎日を、
「どう感じて生きてきたのか?}
 想像を絶するものであろう。
 しかも、週休二日というのが当たり前の時代となり、
「家族が、土日は家にいる」
 という時代であるが、平日は、遅くまで親は帰ってこないというような状況を、父親は、子供時代、どう感じてきたのだろう。
 それもよく分からなかった」
 とにかく、父親の世代というと、
「社会生活が、実に不安定な世代に、子供時代を過ごしていた」
 ということになるだろう。
 それまでの、祖父の子供時代というと、逆に、どんどん世の中が豊かになっていく時代ということで、それまで不自由なことはあったとしても、どんどんいい方に改善されているのだから、
「いい傾向だった」
 といってもいい。
 しかし、父親が子供世代は、
「波乱万丈の子供時代だった」
 といっても過言ではない。
 ある意味、試行錯誤が繰り返された時代だったのだろう。
 そして、今のつかさの世代であるが、そういう意味では、親が皆同じような親ばかりではないということだ。
 親が子供時代にどういう過ごし方をしてきたかということによって、どのように変わってくるかということが、大きくかかわっていく。
 だから、そんな親から育てられた子供だから、その子供たちが、最初から、
「同じスタートラインに立っている」
 ということはなかったに違いない。
 これは、過去から言われていることだろうが、公然とは言えないことなので、一種の、
「公然の秘密だった」
 といってもいいだろう。
 というのは、世の中では、部落問題などの、同和問題。貧富の差をなくすということでの、道徳問題などというのが、叫ばれるようになってきたが、結局、いつの時代においても、どんなにきれいごとを言ったとしても、結局は、
「生まれながらにして、平等」
 などということはありえないのだ。
 といってもいいだろう。
「どこの家に生まれるか?」
 ということは誰が決めるわけでもない。
 子供ができて、その子が無事に生まれてくると、
「よかったよかった」
 といって、まわりが浮かれてくれるというのは、その時だけだ。
 実際に、子育てが始まると、最初の子供ということになると、特にそうだが、よくあるのが、
「子供に、3時間おきにミルクを飲ませる」
 ということであり、それは、真夜中でも変わりはないということである。
 さらには、
「子供というのは、いつ泣き出すか分からないわけで、それこそ、夜中であっても関係ない」
 旦那は、
「仕事で疲れて帰ってきているのに、たまったものではない」
 といって、母親にすべてを押し付け、さらには、母親もそんな旦那に遠慮して、自分が寝不足になることも辞さない。
作品名:三つの関係性 作家名:森本晃次