三つの関係性
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年10月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。
大人へのタイムリープの発想
あれは、いつのことだったか、友達の家に行った時、それを見て、何か不気味な気がした。今までにも何度か見たことがあり、そのたびに、ちょっとした印象を感じていたはずなのだが、それが、毎回違っていたという印象を持ちながらも、今回の間隔は、それまでとは、まったく違う、まるで、
「我に返った」
と言わせるに値すべきことであった。
友達の家は、実に広い家で、本来なら、
「遊びに行きたい」
という家ではなかった。
「自分の貧乏人根性が、表に出てきそうな気がするから」
というのが、その理由だったが、だからといって、友達が親友であることに変わりはない。
学生時代までであれば、自分が卑屈に感じるような人に近づくということはなかった。近づいてきても、自分から離れるというタイプだったのだ。
別に、これまでに、貧富の差というものを、必要以上に感じたことはなかった。確かに、自分よりも金持ちが相手であれば、小学生の頃などは、卑屈な気持ちになったものだが、中学時代からはそんな感覚はなかった。
ただ、
「自分から近づくことはないだろう」
と感じていたのだ。
それは、
「その人に近づくということは、自分が無理をしなければいけないということが分かっている」
ということからであった。
ただ、それは、
「自分から近づく」
というだけのことではなく、逆に、
「相手が近づいてくる」
というのも、子供の頃は、
「自分のせいなんだ」
と思っていた。
その一つには、
「今から思えば」
ということもあるのだが、それは、父親の洗脳というのがあったからだ、
父親が厳格な人で、
「世代として、おじいさんくらいの世代の人が口にしていてもおかしくない言葉だったのではないか?」
といってもいいくらいだった。
しかも、母親は、そんな父親に対して、
「絶対服従」
をしていて、しかも、子供に対して。
「お父さんに叱られるわよ」
という決まった言葉しか吐かなかった。
つまりは、父親の奴隷のようになっていて、父親のいうこと以外は、信じてはいけないかのように思っていた。そのくせ一番父親を恐れている。
「何を考えているのか分からない」
と思うと、
「お父さんよりも、お母さんの方が嫌いだ」
と思うのだった、
しかも、その思いは、
「天と地ほどの差」
というものがあり、父親も、憎くてしょうがないのだが、母親に関しては、
「殺してしまいたい」
と思うくらいの時があるくらいであった。
母親が、どうしてそんなに憎いのかというのであるが、その頃はまだ子供だから分かっていなかったのだが、きっと、
「自分に同じ血が流れている」
ということが許せなかったのかも知れない。
そして、いずれ、
「自分も同じような目に遭うんだ」
と、まるで、予知能力があるかのように感じていたが、それこそ、
「そんな余計なもの、ほしくない」
と思うほどで、自分は、一つのことに対して、かなりの度合いでしっかりしていると思っているが、
「逆にそれ以外は、誰の足元にも及ばない」
というくらいに思っているのであった。
それを思うと、
「私にとって、これからそうすればいいのか?」
ということを最初に考えたのが、この中学時代くらいだったような気がする。
ただ、その頃には、ある程度、将来が見えた気がした。あまりいい将来ではないが、悪い将来という気もしなかった。
「きっと、これくらいの想像でないと、将来というものが見えるという感覚になるということはないに違いない」
と感じるようになっていた。
それが、
「私」
という、名前を、前原つかさという女の子だったのだ。
つかさの親友は。いつも名前で呼んでいたので、苗字はすぐには思い出せないが、なまえを、
「しおり」
といった。
父親が、都内を拠点にたくさんのビルを持っていて、その家賃収入だけではなく、その利益から、30年前に、ITのベンチャー企業を立ち上げたのだが、その成功が実を結び、今では、ビル経営よりもmIT関係の方で、大きな利益を上げる会社になったのだった。
ただ、実際には、それまでに、何度か、
「破産の危機」
というのがあったというが、そこは、共同出資者の男が優秀だったということで、お互いに、裏切ることもなく、会社を持たせてきたことが、今の成功につながったのだ。
「だから、父親が厳格になったというのは、そんな状況を何度も乗り越えてきたのは、共同出資者との間の信頼関係があったからであり、その関係が、二人にとって、最善だったこと、そして、その方法が、父親でいうところの先代の考え方を受け継いできたことからに他ならない」
ということであった。
だから、つかさは、そんな父親に逆らうことはできない。それは、母親にしても同じことである。
ただ、母親が父親に逆らえないというのは、そういう父親の性格云々ではなく、自分に対して向いている目の前の暴力、今でいうところのパワハラのようなものに対して、怯えているだけだということだからである。
それを、つかさは分かっているので、同情はするが、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、その矛先を他人(いや、娘だから他人ではないのだが)に向けて表に出しているというのは、つかさは、自分の性格的に、
「そんなことは許せない」
と思うのだった。
「しかし、どうして、そんな父親と母親は結婚したというのか?」
最初は、見合いか、あるいは、昔でいうところの、
「許嫁」
と言われるような結婚ではないかと思っていたが、どうもそうではないようだ。
父親が、話していたのを、聞いた時、
「自分たちは、恋愛結婚だったんだ」
と、部下を家に招いた時の、応接室から聞こえてきた言葉だった、
どうやら、二人ともお酒を飲んでいるようで、すでに、その声のトーンは、明らかに酔っ払いのそれだった。
日ごろから、父親の声のトーンの低さに、背筋が凍るような思いをさせられているので、ちょっとでも、声のトーンが違えば、すぐに分かるというものである。
「そんなに、声のトーンが違うんだ」
とその時、つかさは、父親のまったく違う一面を、初めて垣間見た気がした。
大人へのタイムリープの発想
あれは、いつのことだったか、友達の家に行った時、それを見て、何か不気味な気がした。今までにも何度か見たことがあり、そのたびに、ちょっとした印象を感じていたはずなのだが、それが、毎回違っていたという印象を持ちながらも、今回の間隔は、それまでとは、まったく違う、まるで、
「我に返った」
と言わせるに値すべきことであった。
友達の家は、実に広い家で、本来なら、
「遊びに行きたい」
という家ではなかった。
「自分の貧乏人根性が、表に出てきそうな気がするから」
というのが、その理由だったが、だからといって、友達が親友であることに変わりはない。
学生時代までであれば、自分が卑屈に感じるような人に近づくということはなかった。近づいてきても、自分から離れるというタイプだったのだ。
別に、これまでに、貧富の差というものを、必要以上に感じたことはなかった。確かに、自分よりも金持ちが相手であれば、小学生の頃などは、卑屈な気持ちになったものだが、中学時代からはそんな感覚はなかった。
ただ、
「自分から近づくことはないだろう」
と感じていたのだ。
それは、
「その人に近づくということは、自分が無理をしなければいけないということが分かっている」
ということからであった。
ただ、それは、
「自分から近づく」
というだけのことではなく、逆に、
「相手が近づいてくる」
というのも、子供の頃は、
「自分のせいなんだ」
と思っていた。
その一つには、
「今から思えば」
ということもあるのだが、それは、父親の洗脳というのがあったからだ、
父親が厳格な人で、
「世代として、おじいさんくらいの世代の人が口にしていてもおかしくない言葉だったのではないか?」
といってもいいくらいだった。
しかも、母親は、そんな父親に対して、
「絶対服従」
をしていて、しかも、子供に対して。
「お父さんに叱られるわよ」
という決まった言葉しか吐かなかった。
つまりは、父親の奴隷のようになっていて、父親のいうこと以外は、信じてはいけないかのように思っていた。そのくせ一番父親を恐れている。
「何を考えているのか分からない」
と思うと、
「お父さんよりも、お母さんの方が嫌いだ」
と思うのだった、
しかも、その思いは、
「天と地ほどの差」
というものがあり、父親も、憎くてしょうがないのだが、母親に関しては、
「殺してしまいたい」
と思うくらいの時があるくらいであった。
母親が、どうしてそんなに憎いのかというのであるが、その頃はまだ子供だから分かっていなかったのだが、きっと、
「自分に同じ血が流れている」
ということが許せなかったのかも知れない。
そして、いずれ、
「自分も同じような目に遭うんだ」
と、まるで、予知能力があるかのように感じていたが、それこそ、
「そんな余計なもの、ほしくない」
と思うほどで、自分は、一つのことに対して、かなりの度合いでしっかりしていると思っているが、
「逆にそれ以外は、誰の足元にも及ばない」
というくらいに思っているのであった。
それを思うと、
「私にとって、これからそうすればいいのか?」
ということを最初に考えたのが、この中学時代くらいだったような気がする。
ただ、その頃には、ある程度、将来が見えた気がした。あまりいい将来ではないが、悪い将来という気もしなかった。
「きっと、これくらいの想像でないと、将来というものが見えるという感覚になるということはないに違いない」
と感じるようになっていた。
それが、
「私」
という、名前を、前原つかさという女の子だったのだ。
つかさの親友は。いつも名前で呼んでいたので、苗字はすぐには思い出せないが、なまえを、
「しおり」
といった。
父親が、都内を拠点にたくさんのビルを持っていて、その家賃収入だけではなく、その利益から、30年前に、ITのベンチャー企業を立ち上げたのだが、その成功が実を結び、今では、ビル経営よりもmIT関係の方で、大きな利益を上げる会社になったのだった。
ただ、実際には、それまでに、何度か、
「破産の危機」
というのがあったというが、そこは、共同出資者の男が優秀だったということで、お互いに、裏切ることもなく、会社を持たせてきたことが、今の成功につながったのだ。
「だから、父親が厳格になったというのは、そんな状況を何度も乗り越えてきたのは、共同出資者との間の信頼関係があったからであり、その関係が、二人にとって、最善だったこと、そして、その方法が、父親でいうところの先代の考え方を受け継いできたことからに他ならない」
ということであった。
だから、つかさは、そんな父親に逆らうことはできない。それは、母親にしても同じことである。
ただ、母親が父親に逆らえないというのは、そういう父親の性格云々ではなく、自分に対して向いている目の前の暴力、今でいうところのパワハラのようなものに対して、怯えているだけだということだからである。
それを、つかさは分かっているので、同情はするが、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、その矛先を他人(いや、娘だから他人ではないのだが)に向けて表に出しているというのは、つかさは、自分の性格的に、
「そんなことは許せない」
と思うのだった。
「しかし、どうして、そんな父親と母親は結婚したというのか?」
最初は、見合いか、あるいは、昔でいうところの、
「許嫁」
と言われるような結婚ではないかと思っていたが、どうもそうではないようだ。
父親が、話していたのを、聞いた時、
「自分たちは、恋愛結婚だったんだ」
と、部下を家に招いた時の、応接室から聞こえてきた言葉だった、
どうやら、二人ともお酒を飲んでいるようで、すでに、その声のトーンは、明らかに酔っ払いのそれだった。
日ごろから、父親の声のトーンの低さに、背筋が凍るような思いをさせられているので、ちょっとでも、声のトーンが違えば、すぐに分かるというものである。
「そんなに、声のトーンが違うんだ」
とその時、つかさは、父親のまったく違う一面を、初めて垣間見た気がした。