三つの関係性
といちかは言ったが、考えてみれば、こんなに乗り気のいちかは初めてだった。
ただ、一つ考えてみると、
「いちかは、最初から、自分の机の中に、手紙が入れられていたということを気にしていたわけではなかった」
というのは、今までのいちかから考えれば、手紙を入れられていたなどとなると、
「何よ。これ。気持ち悪い」
といって、中身を見ることもなく、くしゃくしゃにしていたことであろう。
いちかには、
「嫌だと思うと、その内容がどうであれば、すぐに、破り散らすか、中身を見ることもなく、すぐに捨ててしまうかのどちらか」
というところがあった。
「私には、いちかの、そんな性格というのが分からない」
と感じたが、まさに、その通りなのだろう。
いちかには、誰か、
「調査をしてくれる人」
がいるようで、それが、いちかにとっての、
「パートナー」
なのか、それとも、
「下僕のようなもの」
なのか、つかさには分からなかったが、その人が調べてきたことによると、
「この中の2組、つまり4人は、一人が脱落することで、三角関係になるという公式になっているようだ」
ということを見つけてきたのだった。
大団円
その中で、一組の三角関係と呼ばれる四人であったが、そのことを、いちかにとっての、
「パートナーなのか?―
それとも、
「下僕なのか?」
というその人がいうのは、
「この男性をここで外せば、この人以外の三人で、三角関係ということでしたね」
ということであった。
なるほど、確かにウワサを聞いたことがある3人だった。あまりゴシップには、興味のない、つかさが覚えていたのだから、結構、巷ではウワサとしては、大きかったということなのだろう。
それを思うと、他の組も興味をもって見ることにした、
すると、もう2組で、
「おや?」
と感じたものがあった。
それは、つかさが、最初にこの紙を見た時、違和感があったものだった。
というのが、2人1組でのペアになっていたからであり、このペアにもう一人組み合わせると、
「別の見え方があるからだ」
ということを分かっていたということであった。
それがどういうことなのかということを、つかさはすぐに分からなかったが、今の、
「調査結果から導き出された三角関係」
というものを思い浮かべると、見えてくるものがあったのだ。
今度は、その、
「力関係」
というもので、力関係で、
「3人」
というものを考えると、見えてくるものがあったのだ。
しかも、それが、2つであること、
そして、ちょうど、4人となるには、あと2組だということが大きかった。
まず。そのうちに一組というものを考えてみると、
「一番最初に違和感を感じ、つかさにピンとこさせたもの」
それが何かというと、
「三つ巴」
の関係であった。
それぞれの関係が、等間隔であり、それは、
「完全な正三角形を描いている」
といってもいいだろう。
それが、ちょうど4人の先生で、そういう意味では。
「この3組4人の関係としては、一番わかりやすい関係性だ」
といってもいいのではないだろうか?
この正三角形というものを考えると、
「すべての点が均等だ」
ということになり、力関係は、
「三すくみの関係だ」
ということになるだろう。
その中には、教頭も校長のいるわけだが、
「教職の第一線」
という意味では、ここではじかれるのは、
「校長先生」
ということになるだろう。
さて、もう一つの中には、つかさといちかもいる。
そして、じゃあ、
「誰がはじかれるのか?」
ということを考えると、実に難しい解釈であった。
そこで考えられたのが、最初は、
「いちかとつかさ以外の二人の教師」
だったが、それは、
「自分といちかは離れられない」
と思い込んでいることから、これが一番難しかった。
やはり、
「腹違いの姉妹」
という結びつきが、
「離れるということはないだろう」
ということを考えると、
「つかさといちかの関係は、切っても切り離せない」
と考えた。
しかし、ここまでの中で、それぞれ、
「三つの関係性というものがあり、その三つが、言葉で表すことができる、三つの関係と考えると、おのずと、もう一つが何なのか?」
ということが分かってきたような気がした。
というのは、あとの2つが、
「三角関係」
と、
「三つ巴」
というものであった。
「ではあと一つは何なのか?」
ということを考えさせられるとすれば、それは、
「三すくみではないか?」
と考えるのは、誰もが思うことであろう。
「三すくみと三つ巴」
という言葉を、
「どこか似ている」
ということで考えることもあるだろうが、
実はまったく違うというものである。
「三つ巴というのは、それぞれに、力関係として、均等な位置でもその均衡が守られているというもの」
であった、
しかし、三すくみというのは、
「それぞれの方向に、強い力が掛かっていて、それが、方向をいつにしていることから、すべてに循環的な均衡が保たれている」
ということで、そこに生まれてくるのが、
「それぞれが相手に対しての抑止力であり、力関係というよりも、その方向性から、お互いに、動けば終わりだ」
ということを分かっているということである。
それが、
「三すくみ」
というものであり、基本的には。
「動いた方が終わりだということである。
三すくみというのは、それぞれに、残りの二つに対して、優劣というものが、片方向ごとに、まったく逆に存在するということだ、
つまりは、自分以外をA,Bとすれば、
「自分は、Aには強いが、Bには弱い」
と言った考え方で、それらが、1回転する形で、形成されているというものであった。
だから、その理屈から考えれば、
「先に動いた方が負けだ」
というのは分かるというもので、
「それだけに、三者三葉に、動くことができないということになる。これを三すくみといい。それぞれに、呪縛があるといってもいいのではないだろうか?」
という考え方であった。
そう考えると、この中で仲間外れは誰かと考えると、
「私ということになるのかな?」
と感じた。
というのは、自分は、他の三人の中で、誰ともそんな力関係を感じたことがないだけではなく、
「いちかに対して、優劣という関係を感じたこともなかった」
と考えれば、
「蚊帳の外」
にいるのは、つかさだということが、一番もっともらしいことに違いないと思うのであった。
それを考えると、ここでは、つかさを除いた三すくみが出来上がり、そして、別にはじかれた3人というのが、また、そこに存在する形になった。
つかさは、そのことを小説に書いた。
「殺人予告」
と思われたそのメモは、そこまで大げさなものではなかったが、かといって、簡単に無視できるものではない。
それを思うと、つかさは、
「残りの三人は、どういう綱がりなんだろうか?」
と考えさせられたのであった。
三人の関係性を考えると、実際にピンとくるものではない。