都合のいい無限理論
結果敗れて、それが原因で、日清戦争に突入したのだが、それも、無理もない、時系列だったといってもいいだろう。
そんな日本がアジアに進出したのも無理もないことだろう。元々の植民地政策に後れを取ったという気持ちがあるからで、その頃の経緯もあることで、どうしても、
「日本のいっていることは、欺瞞だ」
と言われるようになったのかも知れない。
しかし、結果としては、日本が進出した国は、しっかりと、インフラも整備され、その後の独立戦争を戦うだけの力を手に入れたのも、
「日本による教育のおかげだ」
ともいえるだろう。
「志なかばで、夢破れた」
という形にはなったが、
「日本という国は、本当に大東亜共栄圏の確立を目指していたことだろう」
それは、
「アジアが一丸となって、欧米列強の侵略を許さない」
ということへの現れだったに違いない。
だから、当時の日本は、
「立憲君主国」
ということもあって、天皇を中心として、
「国防であったり、国の方針には、ある程度従わなければいけない」
ということだったのだ。
特に大日本帝国というのは、
「欧米列強から見れば、遅れてきた国」
ということであり。しかも、
「致命的に、資源お少ない国だ」
ということなのであった。
当然、植民地政策を、
「遅ればせながらに欧米に、追い付け追い越せ」
という気概を持つ必要があり、それが、そのまま、資源の確保に至るということだったのだ。
満州国では、思ったほどの良質の資源がなかったことで、南方に進出することになるのだが、これも、
「アメリカに仕掛けられた」
とはいえ。
「日本の事情が、許さなかった」
という意味で。アジア進出に、軍が独走したというのも、無理もないことであった。
大陸への進出は、中国が、日本に対して、相当な意識を持っていたことも大きな原因であろう。
他の欧米列強には、義和団が台頭してきた、
「北清事変」
の時に、当時の清国の君主ともいえる、
「西太后」
が、何をとち狂ったのか、
「九か国もの多国籍軍」
に対し、北京で宣戦布告などをしたことで、結局、列強に頭が上がらなくなったことで、日本に対して、大いに、敵対心を持ったのかも知れない。
そもそも、
「対華二十一か条要求」
というものなどのうっぷんが溜まっているのか、反日という感情は、かなりのものだった。
特に。
「懲弁国賊条例」
などというものがあり、これは、
「朝鮮人を含む日本人に対して、土地を売ったり貸したりすれば、死刑」
というような法律であった。
要するに、
「売国奴」
ということになるということで、
「死刑もやむなし」
ということになったのだろう。
それだけ、日中の緊張はずっと大きなままだったのだ。
そんな日中間において、
「日本国内の食糧問題」
あるいは、
「日本の生命線」
という問題が絡んできて、それが、満州事変という形で紛争になると、日本が、列強に配慮して、満州を、
「植民地化」
ということにせずに、
「傀儡国家」
という形で、表面上は、
「独立国家」
としていたのに、それを、中国が国際連盟に提訴し、調査団が形成され、その、リットン調査団の報告により、
「満州国は傀儡国家」
であり、
「満州事変は、日本が主張する自衛権の行使ではない」
という結論にされたのだ。
確かに、満州事変のきっかけとなった、
「柳条湖事件」
というのは、
「日本軍による自作自演」
という形であったが、その背景にある、
「反日運動」
を中心とする、日本の居留民や、満鉄に対しての嫌がらせや、迫害。暗殺。強姦などという、ありとあらゆる、
「悪事」
を当時の中華民国は行ったのだ。
それに対しての、日本がいうところの、
「自衛措置」
ということのはずなのに、調査団は、
「柳条湖事件」
というものだけを切り取った結論にしか思えないのは、気のせいであろうか?
日本は、そのあたりから、軍国主義というものが、あからさまになり、中国との泥沼の全面戦争に入ったばかりか、今度は、
「英米に対しての、戦争」
ということで、資源獲得のためと、アメリカ側の最後通牒である。
「ハルノート」
に対しての、外交断念ということで、世界大戦に引きずり込まれることになったのだ。
本来であれば、
「途中で、いいところで矛を収める」
というはずだったのが、勝ちすぎたりしたことで、やめるにやめられず、結果、さらに引きずり込まれ、最後は、国土が焦土となるまで続いたのだった。
そんな戦争が、
「無条件降伏」
で終わると、日本は、奇跡の復興などを経て、高度成長期を迎えた。
どんどん、ブームは短期間で過ぎ去っていき。
マスメディアとしての、マンガや、映像界は、最初は、
「紙芝居」
から始まり、
「貸本屋」
という時代を経て。雑誌の時代へと入ってきた。
その時のブームというと、やはり、
「時代もの」
であったり、
「戦記物」
であったのだ。
戦記物も、
「華々しい戦争の雄姿を描き、戦闘機のパイロットが、英雄となるような話」
である。
占領軍による、統治期間であれば、そんなものの発刊は許されなかったのではないだろうか?
しかし、平和主義の日本ではあるが、なぜ、日本の軍国主義のような紙芝居や、マンガが許されるというのか?
ある意味、当時の世界情勢が、許しているのかも知れない。
当時の日本は、朝鮮戦争からこっち、米軍基地を抱えていたりして、社会主義国に対しての抑えとして、日本への利用価値は大きかった。
それはやはり仕方のないことからなのか、日本という国が、軍国主義になることはないと思ったのか、それとも、アジアの社会主義化をそこまでして防ごうということだったのか、
朝鮮戦争の後も、インドシナ問題から派生しての、
「アメリカによる、ベトナム戦争介入」
ということが起こったのだった。
こちらは、完全に、まわりの国が社会主義国になっているのを見て、
「このままでは危ない」
ということになったのだろう。
それを思うと、ますます、
「日本という国の位置的問題は大きい」
ということになるだろう。
また、そんな時代にも、
「いや、そんな時代にかかわらず、どんな時代であっても、発禁にならないのは、時代小説関係ではないだろうか?」
やはり、勧善懲悪という考え方が、一番人の心を打って、それだけ売れるのであろう。
そう考えると、戦記ものが発禁にならないというのも、
「単純に、売れているから」
ということではないだろうか。
当時の日本は、(今もであるが)アメリカに対しての気の遣い方がハンパではない。
何といっても、かの戦争のことを、いまだに、
「太平洋戦争」
というではないか?
占領統治の時代であれば、
「太平洋戦争」
という表記は仕方がないかも知れない。
そもそも、
「大東亜戦争」
という言葉は、閣議決定されたものであり、
「日本の戦争をする大義名分」
だったのである。
アメリカやイギリスとすれば、これから、戦争犯罪人を、
「勝者の裁判」
として裁こうとするのだから、日本における、