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都合のいい無限理論

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「あくまでも、小説というのは、フィクションであり、ノンフィクションということになると、それは作文なのだ」
 と考えると、
「私は、フィクションを書きたいのだから、ノンフィクションが書ける書けないというのは、どうでもいいことで、意識することでもない」
 と思っていた。
 だから、
「どちらも書けるという人は、あまり自分はかかわりたくない」
 という風に思うのだった。
 りえが書きたいと思っている小説のジャンルとしては、
「ミステリー」
 と、
「SF小説」
 であった。
 それぞれに、元々は、
「探偵小説」
 あるいは、
「ゴシック小説であったり、元々のSF小説と呼ばれるジャンルから、の派生といってもいいだろう」
 探偵小説の中には、種類があって、一つは、
「本格派探偵小説」
 と呼ばれるものであった。
 こちらは、
「トリックや謎解きが主の話で、それを探偵であったり、刑事が鮮やかに解決していく」
 というものであった。
 そして、もう一つが、
「変格派探偵小説」
 というもので、定義としては、探偵小説と言われるものの、
「本格派探偵小説以外のもの」
 ということであった。
 となると、どういうものが、それにあたるのか?
 というと、
「猟奇殺人」
 であったり、
「異常性癖」
 あるいは、
「耽美主義」
 などという、一種のアウトローや、カミングアウト系というものも、それにあたるので、オカルト小説であったり、ゴシップ小説に近いものも、探偵小説に含まれれば、
「変格派探偵小説」
 ということになるのだろう。
 りえは、その中でも、
「本格派探偵小説」
 の方を好んで書いていた。
 だからといって、
「変格派」
 の方を書かないというわけではない。
 特に、
「オカルト系」
 と言われる話を、小説としては、
「都市伝説系の話」
 として描くことが多かった。
 その村や街に、昔から伝わる伝説のようなものも書くのだが、それが、新たな都市伝説を生むというような形である。
 本格派探偵小説などを描こうと考えていると、なかなかトリックなどというものを考えるのも大変であった。
 正直、定型化されているようなトリックは、ほぼほぼ出尽くしているので、あとは、そのバリエーションでしかないのだ。
 しかも、今の時代は、
「科学捜査」
 というものが、行き届いてきたので、定型化されたトリックであっても、なかなか、使用することは、実際には不可能になってきた。
 まずは、アリバイトリックなどである、
 今は、至るところに防犯カメラがあり、カメラに映らずに、アリバイトリックを完成させることは、昔に比べても、難しいことになってきたのだ。
 そして、もう一つは、
「顔のない死体のトリック」
 あるいは、
「死体損壊トリック」
 と呼ばれるものであった。
 これに関しては、
「首なし死体」
 であったり、
「特徴のある部分をめちゃくちゃに潰す」
 と言ったことで、
「被害者が誰なのか分からない」
 というものであった。
 昔であれば、
「首を切り取って。手首を切断し、さらに、手術痕や、あざなどという特徴のあるところを傷つけて分からないようにすれば、被害者が誰か特定できないようにする」
 ということであった。
 この場合は、一つの、
「公式」
 のようなものがあり、
「被害者と加害者が入れ替わる」
 というものがあったのだ。
 それが、
「死体損壊トリック」
 というものであるが、今の時代には、これも通用しない。
 指紋がなくとも、首がなくとも、
「DNA鑑定」
 というものを行えば、かなりの確率で特定できるというものであろう。
 それを考えると、トリックの柱と言われるいくつかのうちの2つまでもが、
「今の時代ではできないのではないか?」
 ということになると、探偵小説と言われている、今でいう、
「ミステリー小説」
 を書くのは、なかなか難しいといえるだろう。
 ただ、そんな中でも、
「作者が、その書き方によって、読者をある程度欺くというような、話を書けないわけではない」
 と言われる。
 それがいわゆる、
「叙述トリック」
 というものであり、それこそ、
「小説でしか、表現できないものだ」
 といえるだろう。
 そういう意味で、
「実際には、不可能ではないか?」
 と言われる。トリックというか、殺人のやり方があった。
 それは、どういうものかというと、
「交換殺人」
 と呼ばれるものであった。
 これは、どういう犯罪なのかというと、
「お互いに、相手が殺してほしい相手を、まるでたすきに掛けるかのように、交互に殺人を行うというもので、警察からすれば、容疑者には完全なアリバイがあることで、犯人を決めることができない」
 という、一種の、
「完全犯罪」
 というものを狙ったものだといってもいいだろう。
 この、
「交換殺人」
 というものは、実は、
「不可能ではないか?」
 と思われる。
 それは、この殺人を行うためには、心理的な面で、不可能だということになるのであった。
 というのは、
「交換殺人というのは、まず、二つの殺人を、交互に行う必要があるということであった。しかも、その間を一定期間は開けなければいけない」
 ということになる。
 なぜなら、この二つの殺人を、
「連続殺人」
 と思わせてはダメだからであった。
 ということは、
「殺人の間隔をあける」
 という必要と、もう一つは、
「犯行をまったく別の犯人であると思わせるために、特徴を変える必要がある」
 ということだ。
 そもそも、犯人は別々なので、そこは、意識する必要はないだろう。
 ただ、この犯行計画を、一人の人が練ったのだとすると、その意識は強く持たなければいけないということであろう。
 それぞれの殺人をいかに考えるかということであれば、
「まず、最初に犯行を犯す人は、第一の殺害目標に殺意を持っている、教唆犯に、完全なアリバイを作ってやる必要がある」
 そして、犯罪が見事成立すると、今度は、
「相手に、自分の殺してほしい相手を殺してもらい、その間に、自分が完璧なアリバイを作っておく」
 ということができれば、
「完全犯罪の成立」
 ということになる。
 ただ、これは、
「おっとどっこい、問屋が許さない」
 ということになるのだ。
 というのは、今の第一の犯行を犯した人の心理であるが、第二の犯行を行うはずの人間からすれば、普通なら、どこかで気づくはずである。
 それが、
「自分に第二の犯行を、わざわざ危険を犯して行う必要などない」
 ということであった。
 というのは、
「自分の立場を考えるから」
 ということで、その自分の立場というのは、
「第一の犯罪に限り、自分には、完璧なアリバイがあり、捜査線上で、自分は蚊帳の外なのだ」
 ということである。
 だから、今でも十分、完全犯罪なのだから、それを今度は、
「約束だから」
 といって、律儀に犯行を行い。自ら、
「火中の栗」
 というものを拾いにいくという、
「危険を犯す必要はない」
 ということであった。
 つまりは、もし、相手が、
「約束が違う」
作品名:都合のいい無限理論 作家名:森本晃次