夢による「すべての答え」
「じゃあ、自分は、ここで子供と縁を切る」
とは簡単にいかない。
養育費の問題であったり、子供との面会などの問題。さらには、再婚をする場合の問題など、離婚の際に、どこまで決めておくかということも、問題となることであろう、
「離婚は結婚の数倍ものエネルギーを必要とする」
とよく言われていたが、まさにその通り、
「離婚するくらいなら、結婚しなければよかった」
ということは、まず離婚を前にした人は、皆そう思うことだろう。
確かに、離婚を目の前にすると、特に母親は、子供のことが気になることだろう。
「父親がいなくて、大丈夫なのだろうか?」
ということを考える。
これはもちろん、
「親権者が母親だ」
と確定した場合のことであるが、普通はその可能性が高いだろう。
もっとも、今の時代のように、
「父親も家事や子育てに参加している人が多い」
という時代であれば、父親が子供を引き取るということも普通にあるだろう。
それだけ、女性の社会進出というのがあるということで、離婚に際しては、いいことなのか悪いことなのか、難しいところである。
奥さんが離婚を言い出した時、あるいは、
「実家に帰る」
という強硬手段に訴えた時など、結構、旦那は、
「はい? いきなり何なんだ?」
と感じることが多いだろう。
それまで、奥さんは、
「離婚のりの字も口にすることはなかった」
ということが多かったりする。
だから、旦那は意表を突かれるというわけだが、実際に、そういう奥さんは結構いたりする。
それは、離婚ということに対して、れっきとした理由があるわけではない時が多いだろう。
「旦那が不倫をしている」
であったり、
「ギャンブルやパチンコなどにうつつを抜かして、家に金を入れようとしない」
などという、
「離婚の事由として成り立つれっきとした理由というものが、ハッキリしていない」
という場合に多かったりする。
ただ、お互いに漠然とした理由から、離婚というものに発展することも少なくない。
「性格の不一致」
ということを理由に、実家に引きこもってしまったり、旦那のほうでは、
「理由に心当たりがない」
ということで、手の打ちようがないと思っている旦那も多いことだろう。
ただ、こうなってしまうと、ほぼ、
「離婚するしかない」
ということであったりする。
というのは、よく言われることとして、
「女性というのは、態度に出してしまった時は、自分なりの答えを出している時なので、何を言っても、もう無駄だ」
と言われるものであった。
これは、
「それだけ、女性が我慢強い」
ということと、
「旦那がまったく結婚生活に対して無頓着だった」
ということの現れでしかない。
第三者が見れば。
「そりゃあ、奥さんがかわいそうだ」
ということになるだろう。
「その時の自分の苦しみを、旦那が分かってくれなかった」
ということになるだろう。
しかし、旦那としては、
「いってくれないと分からない」
と思っている。
「話をすることがなくても、夫婦なんだから、暗黙の了解があるはずだ」
ということを旦那が思っているのだとすると、
「それは、奥さんのことを見ていないからだ」
ということになってしまう。
つまり、離婚問題になると、あとで気づいた方は、圧倒的に不利である。
「気づいていたとしても、それを放っておいたのだから、もっとたちが悪い」
と言われてしまうと、何も言えなくなってしまう。
「女というのは、我慢するところは必死に我慢しようとするけど、それができなくなった時、初めて行動に移すのであって、その時になって気づいても、もう遅い」
というわけだ。
「奥さんは、その時点で答えを出している」
ということになり、完全に覚悟を決めているわけなので、今初めて気づいた旦那に、太刀打ちできるはずもない。
そうなると、奥さんの方は、
「どんな手段を用いても、離婚に踏み切る」
というだけであり、旦那の方が、
「子供のためにやり直そう」
などと言おうものなら、すでに答えが出ている奥さんから見れば、
「何をいまさら」
としか思えず、完全に、
「上から目線」
でしか見ていないので、そうなると、旦那に対しての愛情は、まったくなくなってしまったといってもいいだろう。
むしろ、
「最初からなかったんだ」
ということになるだけであった。
二重人格性
確かに女性は、よく、
「我慢強い」
と言われる。
それは、男性との違いが歴然としているからだ。
もちろん、
「出産というものが、女性だけにしかできない」
ということだ。
これは、人間に限ったことで、他の動物にも同じような特性があっても、あくまでも、
「人間ということで」
ということの話になる。
力という意味では、男性の方が強い。中には、女性の中にも強い人はいるが、基本的にという意味で、男性の方が平均して力は強い。
しかし、その分、我慢強さは女性の方である。。それはやはり、
「出産に耐えられるだけの力を持っている」
ということで、我慢強さは、
「さすがに女性にはかなわない」
と言われている。
個人差がある中で、基本的に、
「女性は出産に耐えられリル身体を持っているが、男性は耐えられないのではないか?」
と言われている。
もちろん、実際に、
「賛成が出産した」
などという記録は、見たり聞いたりしたことなどないので、完全な憶測でしかない。
身体の構造がまったく違っていることで、性格が違うのも当たり前だというものである。
そういう意味で、
「女性が我慢強くできている」
というのは、当たり前のことで、それが、男性とのタイミングの違いをし召しているのも、分からなくもない。
これは、男性にでもわかることなのかも知れないが、
「たとえば、眠っている時に、足がつる」
などということがあるだろう。
そんな時、なるべく、まわりの人に悟られないように、苦しむという人もいるだろう。
苦しいのを、他人に知られて、下手に心配されることを嫌がるということである。
それは、痛みよりも、まわりが心配することで、気を遣わなければいけないという思いからではないだろうか?
まわりで見ている方が、苦しんでいる人が感じている痛みを、さらに増幅して感じているということであろう。
痛みを耐えながら、そこまで考える余裕などできるわけはないと思うだろうに、痛みを感じた本人は、とっさに、まわりが気を遣うということが、自分に対していかに、痛みを増幅させるかということを、耐えながら感じているのだろう。
つまり、
「痛みを感じている本人にとって、誰がその痛みをわかるものか」
ということを理解しているくせに、それなのに、人の心配をするのは、実際にその痛みをわかっているのだが、人が苦しんでいるのを見ると。
「もっと苦しかったんじゃなかったか?」
ということで、その痛みの差を、自分が感じているかのように思うことで、余計に痛みが増幅すると考えたのだ。
しかし、実際に自分が痛いわけではない。
だから、
作品名:夢による「すべての答え」 作家名:森本晃次