夢による「すべての答え」
だから、そこに答えがあるというわけではないことを、恋愛を重ねるごとに気づくようになり、それだけ、
「結婚というものの難しさ」
を感じるようになる。
結婚というものを深く考えるようになり、お互いに、
「結婚するならこの人」
ということで、親に紹介する時が来たとして、これがまず最初の難関ということになるのである。
まず、なかなか一発で了承を得るというのも、難しかったりする。
何といっても、
「親が、結婚というものを、どう考えているか?」
ということである。
人間は、
「自分の経験からしか、物事を考えない」
いや、
「経験こそがすべてだ」
といってもいいだろう。
つまりは、親が結婚に対して、
「焦って結婚してしまった。もう少し、他にも好きだった女の子がいたのに」
と思っている親もいるだろう。
もちろん、
「結婚したことに、まったく後悔したことがない」
という人もいるだろうが、そんなに簡単に後悔しないという人生を歩んでこれた人の方が少ないだろう。
それは、奥さんだけにいえることではない。逆に、奥さんがどう見ているかということも問題である。
「ここまで、親二人は、喧嘩一つせず、仲睦まじかった」
という風に見える夫婦というのも、たくさんいるだろう。
だが、それは、どちらかが我慢しているので。喧嘩にならないだけなのかも知れない。
確かに、喧嘩というのは、相手があることで、
「こっちが我慢して、相手の気持ちを逆なでしなければ、喧嘩になることもない」
ということで、
「ただ、我慢を続けることが、お互いのためだ」
と思っている夫婦もいるだろう。
それは、あくまでも、
「相性の悪さを、一人が我慢することで、表向きはうまくいっている夫婦」
というだけのことで、一触即発の危険と、絶えず背中合わせの人もいる。
それまで、ずっと仲が良かった夫婦がいきなり、離婚を表明して、世間を驚かせるというような、芸能ニュースを見ることもある。
芸能人の離婚というと、
「お互いに忙しく、すれ違いが多い」
ということでの離婚が多かったりする。
それを聞くと、あまり、その芸能人に興味のない、野次馬的な考えで見ている人は、
「だったら、最初から結婚なんかしなければいいんだ」
という冷静な目で見ることだろう。
しかし、実際によく見ていると、
「すれ違いが多かった」
といって、離婚会見をした夫婦のどちらかが、一年もしないうちに、他の人と結婚しているというようなこともあったりして、
「どういうことなんだ?」
と考えさせられることも少なくなかった。
「すれ違いしたくないから、離婚したんだったら、一生とは言わないが、せめて、ほとぼりが冷めるまで、結構を考えないのが普通ではないか?」
と考えるのだ。
ということになると、
「あの時の離婚会見は、言い訳だったのか?」
と思え、もっといえば、
「離婚する前から、再婚相手と、恋仲だったということか?」
ということを勘ぐってしまう。
確かに芸能界というところは、不倫などというのが、ニュースになる世界」
ということである。
それを思うと、
「不倫騒動ということで、マスゴミにすっぱ抜かれる前に、離婚して、身軽になっておくか?」
ということから、離婚を考えたのではないだろうか?
それを相手も従うということは、
「慰謝料目当て」
と考えれば、お互いに、願ったり叶ったりと考える人もいるだろう。
そこに、子供が絡めば、簡単にはいかないかも知れないが、子供がいなければ、離婚くらいは、別に気にすることではないといってもいいだろう。
実際に、芸能人の離婚や再婚というのは、日常茶飯事といってもいい。同じくらいに、不倫騒動があったり、中には、不倫や離婚問題が絡んでくると、何やら、理解不能といってもいいような、
「ドタバタ劇」
が繰り広げられたりするのだ。
本人は、
「円満離婚」
を計画していたのに、マスゴミに嗅ぎつかれて、スクープされてしまったなどというのが、多かったりするだろう。
昭和の頃までは、一般人の離婚というと、明らかに少なかった。本来は多かったのかも知れないが、話題になっていなかった。
特に、
「戸籍が汚れる」
などということはあっただろう。
夫婦喧嘩をして、奥さんが、
「実家に帰らせていただきます」
といって、実家に帰って行っても。旦那が説得に来たり、帰った実家で、親に説得させられ、旦那の下に戻っていくという夫婦が、昭和では当たり前だった。
「よほどのことがない限り、離婚などというのは、そう簡単にいくものではない」
ということだったのだ。
それは、終着点を、
「離婚」
という形ではなく。
「夫婦生活の悪いところを直して、やり直す」
というところが終着点だったのだ。
しかし、それが、平成の時代になっていくと、結婚というものに対しての考え方というものが、かなり変わってくるといってもいいだろう。
この頃になると、いろいろ結婚や離婚に対して、それまでとの違いを称する言い方が出てきたりしたのだ。
結婚としては、
「できちゃった婚」
という言葉が流行った。
これは、
「子供ができてしまったことで、責任を取って結婚する」
ということである。
責任を取るというのか、男がけじめをつけるというのか、子供を作る意志がなかったのに、子供ができたために、結婚することになった夫婦のことである。
逆に、
「子供を盾に結婚する」
という夫婦もいる。
親に結婚を反対されているが、二人は絶対に結婚したいと思っていることで、
「既成事実」
として、妊娠という手段を使うというものである。
どちらにしても、この場合の子供というのは、
「ダシ」
でしかないといってもいいだろう。
もちろん、一概には言えないが、
「子供が気の毒」
というのは、間違いない。
「作る意志がなくてできてしまった。だから、結婚する」
という順序の違いを、
「仕方がない」
ということで、親も、事後承諾するしかないという状態での結婚が、果たしてうまくいきのかどうか、これに関しては、すぐに答えがでる人もいるだろう。
それは、速攻で離婚する場合であり、この答えというのは、
「結婚」
というおのに対して、
「間違いだった」
という答えになるわけで、
「事態の収拾」
ということに対しては、原因からの結果として、
「離婚」
という答えが出ただけで、それが、すべての答えなのかというと、少なくとも、答えになっていないことの方が多いだろう。
離婚といっても、一口に、
「別々に暮らす」
というだけのことではない。
結婚する前には、何もなかったものが、離婚するときには、たくさんのものを背負っているわけで、その分与ということ、そして、責任の所在などが、法的な問題として残るのだった。
それをすべて含めて離婚ということであり、そんなに簡単にいくものではないのだ。
「財産分与」
という問題、そして、大きな問題が、
「親権」
というものだ。
親のどちらが引き取って、責任をもって育てる」
ということになるわけで、引き取らなかった方は、
作品名:夢による「すべての答え」 作家名:森本晃次