夢による「すべての答え」
という状態だったので。日本人というのが、どれほど忍耐強いものなのかということを、敗戦で知るということは、実に皮肉なことだったといえるだろう。
ただ、それをある程度、政府、いや、軍部、マスゴミの陽動によるものだったといっても過言ではない。
戦争中に、情報統制が行われ、
「戦争は勝ち続けている」
と信じて疑わない国民を、さらに縛るような、特高警察が幅を利かせているというのは、今であれば、
「何かおかしい」
と思う人も多いだろうが、さすがにあの時代、
「おかしい」
などといえるわけもなく、
「分かっていて言わなかったのか?」
それとも、
「本当に分かっていなかったのか?」
ということは、誰にも分かるものではないだろう。
結婚というものが、昔からの、
「家や、血族の存続」
という意味で、戦後の探偵小説の中でも、昔からの風習になぞらえた小説がウケたりすたことがあった、
よくっセリフの中で使われるのは、
「俺は〇〇家の長男だ。〇〇家の家名に泥を塗るわけにはいかん」
と言ったり、
「俺は恥辱の中で生きることを拒む」
といって、自らの命を絶つということも書かれていたりした。
そんな時代においては、結構、
「家系」
であったり、
「家名を守る」
ということに対して、まるで、自分が生きている存在意義のように感じている人もいれば、
意識はしているが、しているがゆえに、そんなものを破るということに、感覚がマヒしてしまい、下手をすると、殺人事件にまで発展しても、感情がマヒしてしまっていることで、犯罪を自分の中で正当化しようとする人もいる。
要するに、
「温度差が激しい」
ということなのだ。
かたや。犯罪を犯したとしても、
「家名のため」
ということで、致し方ないと考える人。
かたや、そんな古いしきたりのようなものを、口では大切だと言いながら、もって生まれた、異常性癖などのせいで、ジレンマに陥ってしまい、結局、マヒした感覚のせいで、正当性を守るために、犯罪を平気で犯すという考えをもってしまった人。
特に、戦後の探偵小説においては、そういう意識が大きかったりする。
そもそも、厳格な家に育ったことで、その反動から、異常性癖に目覚めてしまったり、時代が、厳格さからの反動で、
「感覚をマヒさせないと、生きていけない」
という意識から、
「耽美主義」
のようなものに、自分の正義を結び付け。正当化させることで、
「世間一般に言われている、貞操観念であったり、道徳的なものは、時代のうねりによって、自分の正義が分からなくなった人を、容易に誘うというのが、感覚をマヒさせる、麻薬のような効果を持っているのかも知れない」
それを、
「変格派探偵小説」
といい、ドロドロした人間関係であったり、そこに、金や色恋が絡んでくることで、
「欲」
というものが、
「人間の感覚をマヒさせる」
ということになり、いかなる犯罪も、その人には正当化され、一連の猟奇殺人の犯人ということで、
「歴史に名前を残す」
という大事件を起こすという人も少なく無かっただろう。
戦時中では、発禁とされた探偵小説も、敗戦によって、民主化の波が押し寄せると、
「表現の自由」
というものが認められ、勝手な検閲はできないということになるだろう。
もちろん、出版には、
「倫理」
というものがあることで、世界的にも認められないものは、当然、発禁とされるといってもいいだろう。
しかし、さすがに、今までの経緯があることから、むやみに発禁ということはできない。してしまうと、まるで
「ファシズムのようだ」
と言われ、一つの主義や、民族しか認めなかった、ナチスを彷彿させようというものだった。
ただ、
「すべてのナチスの政策が間違っていた」
というのは危険な発想で、すべてを否定するという方が、却って、
「ファシズムだ」
といってもいいかも知れない。
政治体制というのは、その時代で、何が正しいか変わってくる。そもそも、何が正しいのかなどといえないのではないだろうか?
歴史の答えというのは、正直、どこにあるというのだろうか?
要するに、終着点ということであるが、
「新たな体制になった」
という時は、前の体制の終着点ということで、そこが、
「歴史の出した答え」
だというのだろうか?
だとすると、この新しい体制になって、それが、成功するか失敗するか、そこでまた一つの答えが出るわけだが、その体制になったことが正しいのかどうか、その問題は、どういうことになるというのか>
つまり、
「歴史の答え」
というものに、
「正しい、正しくない」
ということを求めるのであれば、誰が判断するのかということになるのである。
そこに入ってくる問題というと、
「時系列」
である。
物事には、必ず、原因があって結果というものがあるわけで、その原因を作るのは、その前の時代の結果からである。必死になって、結果を出そうとすると、それが、次第に次の時代の原因となる。ということになると、
「原因が答え」
ということになり、その原因が正しいのかどうかは、またその時代の結果を見ないと分からない。
そうやって、歴史は繰り返されるわけで、新たな体制が出てこなくなった場合でなければ、答えにならないということになるのであれば、
「結果というのは、滅亡」
ということになり、そうなると、答えは、
「滅亡に向かうための、プロローグ」
ということで、それであれば、最初に見えた結果が答えだといってもいいのかも知れない。
人のとらえ方は、そう感じる人もいるだろう。
だから、それを答えだといっている人がいても、間違いではないし、正解だといえるだけの論理性は存在しないといってもいいだろう。
今の時代と違って、昔は、
「結婚というものは、当たり前にする」
というものであった。
「結婚してこそ当たり前であり、それが一種のゴール」
のように言われていた。
大日本帝国時代のように、
「家系を守っていく」
ということも、当然のことという意識の中、民主国家になれば、
「自由恋愛が当たり前」
と言われるようになると、
「恋愛結婚」
が当然となり、結婚産業というものも、出てくるようになってきた。
人間は、中学時代に、思春期を迎える。
それまでは、あまり意識をしたわけではないが、気になった女性がいれば、好きになるのが当たり前という感じになってくる。
好きになった女性に告白し、相手もそれを望めば、そこから恋愛が始まる。
その時に、性交渉があるかどうかは、人それぞれであろうが、基本的には、
「ありえない」
という時代があった。
「初恋はなかなか成就することはない」
と言われるが、お互いに、異性との付き合いが初めてであれば、
「こんなはずではなかった」
と考えるのも無理もないことであろう。
恋愛すればするほど、
「熟練になってくる」
というわけでもないような気がする。
「深く入り込めば入り込むほど、奥深さを感じるようになり、まるで、底なし沼に足を突っ込んだ」
と考える人もいるだろう。
作品名:夢による「すべての答え」 作家名:森本晃次