小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

夢による「すべての答え」

INDEX|15ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

 下から見上げている時に、そんなに感じなかった距離の長さを、上から見下ろしているという、
「自分」
 は感じたのだ。
 そして同時に感じたのが、
「恐怖」
 だった。
 その恐怖は、自分の目が、
「いや、目を通しての神経が、別の方向に行ってしまった」
 ということに恐怖を感じたということではなく、単純に、
「上から見ることへの恐怖」
 であった。
 それは、単純な、
「高所恐怖症」
 というもので、上から見下ろすということが、その範囲を示しているということで、遠くに見えているということが、そのまま高さの恐怖になっているということでおまけに。見えている自分がいるこそが、中庭であったり、バルコニーのようなところであったりすることが、恐怖を感じさせるのであった。
 その恐怖がどこからくるのかということを、自分でも分かっているのかいないのか、正直分からなかった。
 しかし、
「自分が高所恐怖症である」
 ということと、
「見えている自分の姿が、小さく見える」
 という感覚は、分かっていたのだった。
 しかも、交互に下から見上げる自分と、下を見下ろしている自分とが、目線というもので、瞬時にして入れ替わっているということが分かっていた。
 それは、
「瞬きをするタイミングで入れ替わっている」
 といってもいいくらいだったのだ。
 ゆっくり見ていると、次第に、自分の身体の平衡感覚がなくなってくるのを感じた。
「目を覚まそうとしているのかな?」
 ということが分かったかのようだった。
 そう感じると、今度は耳鳴りがしてきた。
「平衡感覚を失うということは、耳の中にある三半規管というものが、よからぬ状態になっているからだ」
 ということを聞いたことがあった。
 その時、急に耳に痛みを感じた。
 子供の頃、小学生の頃だったか、よくなっていた、
「中耳炎の症状」
 というものに似ていた気がする。
 そう思って、耳をまた澄ませてみようと思うと、痛みが耐えられない感覚になり、その感覚がマヒしてきているということを感じたのだった。
 そして、
「どちらかが、消えようとしている」
 ということが分かると、それが、
「上から見ている自分なんだ」
 と感じるようになり、案の定、上から見ている自分の感覚がなくなってきて、昼間の明るさが、下から見上げている自分に一気に襲ってきた。
 なぜなら、真昼間の太陽をまともに見ようとしたからだった。
 その状態に耐えることができなくなった自分を感じた、かすみは、
「これで、夢から覚めるんだ」
 と感じ、しかも、最初に、
「夢から覚める」
 と感じたその後に感じた、
「上から見ている自分というものを見たという夢」
 それが、
「第二次の夢だったのではないか?」
 と感じた。
 夢というものは、
「すべてを把握して見るのものだ」
 ということを、いつ頃からであったか、感じていた。
 それは、小学生の頃からだったような気がする。そう、
「思春期の前だったような気がする」
 という、漠然としてではあるが、その割には、根拠のようなものがあったかのように感じたのであった。
 思春期を感じるようになると、
「目の前にいる自分が急に消えた」
 ということが分かったことで、
「夢を見ているという自分も消えてしまった」
 ということを感じるようになった。
 根拠がないはずなのに、今度は、自信がある気がする。それだけ、
「夢には、見ているということでの自信が必要なだけで、根拠は必要ない」
 と思うのだった。
 何に対してなのかというと、それは、
「夢の内容を、目が覚めても覚えている」
 ということに対してであって、
「それだけのことだ」
 という思いが、夢というものをすべて支配しているように思えたのだった。
「人間は、自分が人に気持ちを伝える時には、すでに、自分の中で結論が出ている」
 という感覚になるというのだが、まさにその通りだといえるのではないだろうか?
 城の外にいる自分と、城の中から見上げている自分とが、同じ人物であるということは分かり切っていたのだが、この夢の恐ろしさは、
「もう一人の自分の恐ろしさ」
 であるということに、最初は気づいていないということであった。
 漠然と、
「何かの恐怖を感じる」
 と思ったのだ。
 そして、
「怖い夢ほど、忘れないものだ」
 ということを、思春期になったから感じるようになった。
 それは、思春期前までは、絶えず自分のことしか考えていない。
 というよりも、
「自分だけのことしか見えていない」
 ということの証明であり。
「自分以外の誰がそこにいるのか?」
 ということを、思春期前には感じなかったのだ。
 思春期になると、急に自分の身体の変化にびっくりさせられる。
 女性の場合は、
「初潮という、れっきとした体の変化なので、これ以上のハッキリとしたものはない」
 ということであるが、男性はどうなのだろう?
 これは、他の人から聞いた話だったが、
「男性も、主春季になると、思春期になったことで。身体の変化に敏感になり、それが、ダイレクトに精神を犯すということになる」
 というのだという。
 だから、
「男は耐えることを知らないので、思春期になってから、恋愛を覚えるまでに、他でストレスがあった時、耐えることができなくなるので、女性がターゲットになることが多いので、気を付けなければならない」
 ということを言い聞かされた。
 かすみは、なぜか、そんな男性の気持ちも分かる気がした。
 しかし、分かるといっても、許せることと許せないことがある。
 この場合は、明らかに、
「許せない」
 ということで、そのことは、
「女性全員が、掌握していることだろう」
 と信じて疑わなかった。
 男性と女性の違いは、
「身体だけではなく。その身体の変化についていけるかどうかという精神的なことも、身体の変化に、微妙な影響を与えているに違いない」
 ということであった。
 男にとって、
「女というものが、ターゲットに見える」
 というのは、
「気持ちいい」
 という感覚が、癒しを求めているものだという。
 これは、女性でも同じだと感じるが、男性の場合は、女性に比べて、その抑えが利かないということであるが、それは、別に、
「男性の快楽が、女性よりも強い」
 というわけではないようだ。
 逆に。
「快楽という意味では、女性の方が何倍も強い」
 ということであり、しかも、男性の場合は。
「賢者も^ド」
 というのがあるというではないか。
「賢者モード」
 それは、前述のように、
「快楽の絶頂に達した時、男性は、女性にはない、身体から発出する欲望がハッキリしている」
 という。
 発出してしまうと、身体は、一気に、それまでの興奮が冷めてしまい、逃れることのできない、憔悴に駆られるというものであった。
 その状態になると、倦怠感であったり、どこか、虚空のものが、頭の中をめぐり、
「一体、俺は何を求めていたのだろう?」
 と我に返ってしまうのだという。
 それを賢者モードというようで、
 それだけ、急に、失っていたプライドのようなものが戻ってくることで、
「俺は、もっと、賢い人間だったはずだ」