夢による「すべての答え」
下から見上げている時に、そんなに感じなかった距離の長さを、上から見下ろしているという、
「自分」
は感じたのだ。
そして同時に感じたのが、
「恐怖」
だった。
その恐怖は、自分の目が、
「いや、目を通しての神経が、別の方向に行ってしまった」
ということに恐怖を感じたということではなく、単純に、
「上から見ることへの恐怖」
であった。
それは、単純な、
「高所恐怖症」
というもので、上から見下ろすということが、その範囲を示しているということで、遠くに見えているということが、そのまま高さの恐怖になっているということでおまけに。見えている自分がいるこそが、中庭であったり、バルコニーのようなところであったりすることが、恐怖を感じさせるのであった。
その恐怖がどこからくるのかということを、自分でも分かっているのかいないのか、正直分からなかった。
しかし、
「自分が高所恐怖症である」
ということと、
「見えている自分の姿が、小さく見える」
という感覚は、分かっていたのだった。
しかも、交互に下から見上げる自分と、下を見下ろしている自分とが、目線というもので、瞬時にして入れ替わっているということが分かっていた。
それは、
「瞬きをするタイミングで入れ替わっている」
といってもいいくらいだったのだ。
ゆっくり見ていると、次第に、自分の身体の平衡感覚がなくなってくるのを感じた。
「目を覚まそうとしているのかな?」
ということが分かったかのようだった。
そう感じると、今度は耳鳴りがしてきた。
「平衡感覚を失うということは、耳の中にある三半規管というものが、よからぬ状態になっているからだ」
ということを聞いたことがあった。
その時、急に耳に痛みを感じた。
子供の頃、小学生の頃だったか、よくなっていた、
「中耳炎の症状」
というものに似ていた気がする。
そう思って、耳をまた澄ませてみようと思うと、痛みが耐えられない感覚になり、その感覚がマヒしてきているということを感じたのだった。
そして、
「どちらかが、消えようとしている」
ということが分かると、それが、
「上から見ている自分なんだ」
と感じるようになり、案の定、上から見ている自分の感覚がなくなってきて、昼間の明るさが、下から見上げている自分に一気に襲ってきた。
なぜなら、真昼間の太陽をまともに見ようとしたからだった。
その状態に耐えることができなくなった自分を感じた、かすみは、
「これで、夢から覚めるんだ」
と感じ、しかも、最初に、
「夢から覚める」
と感じたその後に感じた、
「上から見ている自分というものを見たという夢」
それが、
「第二次の夢だったのではないか?」
と感じた。
夢というものは、
「すべてを把握して見るのものだ」
ということを、いつ頃からであったか、感じていた。
それは、小学生の頃からだったような気がする。そう、
「思春期の前だったような気がする」
という、漠然としてではあるが、その割には、根拠のようなものがあったかのように感じたのであった。
思春期を感じるようになると、
「目の前にいる自分が急に消えた」
ということが分かったことで、
「夢を見ているという自分も消えてしまった」
ということを感じるようになった。
根拠がないはずなのに、今度は、自信がある気がする。それだけ、
「夢には、見ているということでの自信が必要なだけで、根拠は必要ない」
と思うのだった。
何に対してなのかというと、それは、
「夢の内容を、目が覚めても覚えている」
ということに対してであって、
「それだけのことだ」
という思いが、夢というものをすべて支配しているように思えたのだった。
「人間は、自分が人に気持ちを伝える時には、すでに、自分の中で結論が出ている」
という感覚になるというのだが、まさにその通りだといえるのではないだろうか?
城の外にいる自分と、城の中から見上げている自分とが、同じ人物であるということは分かり切っていたのだが、この夢の恐ろしさは、
「もう一人の自分の恐ろしさ」
であるということに、最初は気づいていないということであった。
漠然と、
「何かの恐怖を感じる」
と思ったのだ。
そして、
「怖い夢ほど、忘れないものだ」
ということを、思春期になったから感じるようになった。
それは、思春期前までは、絶えず自分のことしか考えていない。
というよりも、
「自分だけのことしか見えていない」
ということの証明であり。
「自分以外の誰がそこにいるのか?」
ということを、思春期前には感じなかったのだ。
思春期になると、急に自分の身体の変化にびっくりさせられる。
女性の場合は、
「初潮という、れっきとした体の変化なので、これ以上のハッキリとしたものはない」
ということであるが、男性はどうなのだろう?
これは、他の人から聞いた話だったが、
「男性も、主春季になると、思春期になったことで。身体の変化に敏感になり、それが、ダイレクトに精神を犯すということになる」
というのだという。
だから、
「男は耐えることを知らないので、思春期になってから、恋愛を覚えるまでに、他でストレスがあった時、耐えることができなくなるので、女性がターゲットになることが多いので、気を付けなければならない」
ということを言い聞かされた。
かすみは、なぜか、そんな男性の気持ちも分かる気がした。
しかし、分かるといっても、許せることと許せないことがある。
この場合は、明らかに、
「許せない」
ということで、そのことは、
「女性全員が、掌握していることだろう」
と信じて疑わなかった。
男性と女性の違いは、
「身体だけではなく。その身体の変化についていけるかどうかという精神的なことも、身体の変化に、微妙な影響を与えているに違いない」
ということであった。
男にとって、
「女というものが、ターゲットに見える」
というのは、
「気持ちいい」
という感覚が、癒しを求めているものだという。
これは、女性でも同じだと感じるが、男性の場合は、女性に比べて、その抑えが利かないということであるが、それは、別に、
「男性の快楽が、女性よりも強い」
というわけではないようだ。
逆に。
「快楽という意味では、女性の方が何倍も強い」
ということであり、しかも、男性の場合は。
「賢者も^ド」
というのがあるというではないか。
「賢者モード」
それは、前述のように、
「快楽の絶頂に達した時、男性は、女性にはない、身体から発出する欲望がハッキリしている」
という。
発出してしまうと、身体は、一気に、それまでの興奮が冷めてしまい、逃れることのできない、憔悴に駆られるというものであった。
その状態になると、倦怠感であったり、どこか、虚空のものが、頭の中をめぐり、
「一体、俺は何を求めていたのだろう?」
と我に返ってしまうのだという。
それを賢者モードというようで、
それだけ、急に、失っていたプライドのようなものが戻ってくることで、
「俺は、もっと、賢い人間だったはずだ」
作品名:夢による「すべての答え」 作家名:森本晃次