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夢による「すべての答え」

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 ということで、
「どちらにも味方ができない」
 という発想になることだろう。
 鳥を相手に仲間になろうとしても、獣を相手にしたとしても、結局、中途半端でしかないわけで、本当の鳥や獣から、次第に相手にされなくなることを思えば、
「君子危うきに近寄らず」
 という言葉通り、
「うまく立ち回る」 
 ということが一番いい生き残りになるのではないだろうか?
 例えば、戦国武将の、真田正幸が、
「表裏比興の者」
 と言われたというが、これは、
「卑怯」
 という言葉の当て字とも言われているが、実際には、戦国武将には誉め言葉となる、
「知略に優れた食わせ物」
 というような意味であるが、そういう意味でいけば、
「卑怯なコウモリ」
 というのも、
「知略に優れている」
 ということで、一歩間違えると、
「卑怯もの」
 という形ではなく、
「敵に回すと恐ろしいが、味方につけると、頼もしい」
 と考えられるのではないだろうか?
 そんなコウモリが住んでいる城のイメージであるが、とにかく、
「普通の人が入れる場所ではない」
 ということであった。
 しかし、そんな場所にいる夢を見る。それも、
「住んでいる」
 というわけではなく、
「閉じ込められている」
 という感じである。
 というのも、それは完全に、
「牢獄に閉じ込められている」
 ということであり、それこそ、ルイ王朝時代の、
「バスチーユ牢獄」
 のイメージであった。
 しかし、牢獄の割には、そこに誰か、他に収監されている人がいるわけではない。しかも、看守もいなければ、
「建物の中に、人が住んでいる気配がしない」
 という感じであった。
 だから、いつも、まわりばかりを気にしていて、
「真っ暗でだだっ広いたてものだ」
 と、ずっと思っていたのだ。
 だから、
「コウモリがいるような、広さと湿気で、気持ち悪くなる」
 と感じていた。夢の中のくせに、臭いがする。
 その臭いは、初めて嗅ぐ臭いのはずなのに、
「カビ臭い」
 と感じるのであった。
 この臭いの酷さで、吐き気がしてくることで、呼吸困難になってくる。そうなると、前や下ばかり向いていることが苦しくなって。まるで、
「池の鯉が、餌をもらいに、水面に出てきて、口をパクパクしているかのようではないか?」
 という感覚になるのだった。
 上を向いていると、次第に、
「空ってあんなに遠かったのか?」
 と感じるようになり、思わず手をかざして、空を掴んでみたくなるという感覚は、無理もないことではない。
 そんなことを感じていると、空の明るさが、それほどでもないような気がした。
「空気が澄んでいるような気がするな」
 とかすみは感じた。
「そういえば、秋になると空気が澄んでくるというではないか?」
 と感じていた。
 中学の頃に、特別活動の授業の中で、自分が選択できる活動があったのだが、その時、かすみは、
「俳句」
 を選択したのだ。
「少し高貴な気分になれる」
 ということであったが。実際にやってみると、結構楽しかった。
「まるで、平安時代の貴族のようではないか?」
 と感じた。
 あちらは、短歌なので、俳句とは違うが、俳句の方が、文字数も少なく。さらに、
「季語」
 というものが必要だということで、親しみを感じるが、その分、難しくもある。
 それだけに、
「できなくても当然」
 と思えば、結構楽しくできるものだった。
 最近、
「自分のまわりの人が、自分よりも、よくわかっている」
 そして。
「すべてのことを把握しているのではないか?」
 と感じるのだった。
 城の中にいると、ずっと、その場所がどこなのか、分からないでいた。
「ここは一体どこなんだろう?」
 と思っていると、例のカビ臭いと感じさせる臭いが襲ってきて、むせ返るような雰囲気に、吐き気を催すのであった。
 だが、その臭いの雰囲気から、次第に、そこが、まわりをすべて、コンクリートのようなものに取り囲まれているところであることが分かった。ただ、どうしても不思議なのは、そこに誰かがいるという気配をまったく感じないことだった。
 そして、実際にその場所で誰かと会ったという感覚がない。
 というよりも、そこで、真っ暗になったという記憶がないのだ。
 確かに明かりのようなものはあり、申し訳程度に電球のようなものはあった。しかし、日が暮れると、どれほどの暗さになり、明かりがつけばどれくらいのものなのかということも少しは分かる気がしたのだ。
 しかし、そのわりには、明るさがまったく感じられず、その暗さにびっくりさせられることは分かっていたのだ。
 実際に、その暗さを感じたつもりといると、影が足元から伸びていた。
 その足元から伸びる影は。自分が思っていたよりも、明るい部分と暗い部分が、思ったよりもしっかりしている。
 ということは、
「自分が思っているよりに、当たっている明かりが力強い」
 ということであり、
「この暗さが、電球によるのもではなく、太陽の光によるものだ」
 ということを感じさせたのだ。
 そして、いつも、こう感じた瞬間に、目が覚めてしまうのであったが、その時、
「ああ、夢を見ていたのか?」
 と感じるのだが、それは、最後に感じたのが、
「明るさの種類が違う」
 と感じたからではなかったのだった。
 それがどういうことだったのかというと、その明かりが自分の知っている電球の明かりではないと思うと、まず確認しようと思うのは、
「日が沈んだのだろうか?」
 と、いう太陽の位置であった。
 そのためには、まずは、中庭か、バルコニーのようなところに出なければいけない。実際に、この建物の中をほとんど把握できていないくせに、なぜか、バルコニーか、中庭に出る道は分かっているのだった。
 しかも、毎回、同じ道ではないということもなぜか分かっていた。
 いやいや、それよりも、
「この同じような夢を、何度も見ているのだ」
 ということを把握しているということなのか?
 それを自分で分かっているというのが、不思議で仕方がないのであった。
 そして、ベランダに出てくると、
「そこにいるのは、誰だというのか?」
 まず、最初にそう感じる。
 つまりは、
「そこに誰かがいる」
 という前提なのだ。
 実際に行ってみると、明かりは感じなかった。
 だが、表に見える空を見上げると、そこには、何か後光が差しているのを感じ、丸い大きな頭のようなものが、太陽を遮っているのだった。
「今は夕方でも、夜でもないんだ」
 と感じ、感じたその向こうに見えるのが、人間であるということも分かる気がした。
 その男、
「いや、男だということはなぜかわかる」
 と思って、見てみると、最初はどちらを向いているのか分からないが、瞬時に、
「こちらを向いている」
 ということが分かると、その顔が、おぼろげに分かってきた。
「あっ、あれは、私では?」
 と、かすみはそう感じると、思わず、目を瞑ってしまった。
 すると、今度は、急に視線が別に行ってしまったのを感じたのだが、その視線は、自分の身体から離れ、目の前の上から見落としている自分にあるのを感じたのだ。
 そこにいるのは、実に小さな自分だった。