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夢による「すべての答え」

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 という意味で、クーデター自体の諸悪が分かるというもので、戦争へのきっかけをゆるぎないものにしたという意味でも、つぃみとしては大きかったのかも知れない。
「戒厳令」
 というと、日本では、この3回だけだった。
 本来であれば、
「災害」
 という「意味で、数年前の
「世界的なパンデミック」
 であれば、
「有事」
 ということで、戒厳令が出されてもいいはずなのだが、日本国憲法において、基本方針としての、
「基本的人権の尊重」
 ということがあり、さらには、日本には、
「平和憲法」
 ということで、
「有事は存在しない」
 ということになっているので、
「命令を伴う戒厳令」
 というものを、発することができない。
 ということであった。
 それで、急遽作られたのが、
「緊急事態宣言」
 というもので、あくまでも、
「要請であって、命令ではない」
 というものであった。
 それでも、日本国民は、命令でなくても、素直に従った。実際に、
「伝染病で死んでいった人」
 というのを身近に感じられたからであろうが、それ以上に、
「政府の後手後手に回った、茶番といってもいいような政策には、国民は完全に閉口してしまい、二度目以降の政府の通達による宣言では、
「ほとんど、その意味は、あってないようなものだった」
 といえるだろう。
 実際に、
「人流を抑える」
 といっても、店は、休業をすることもなく、街は、以前に比べれば少なかったといえるだろうが、とても、
「宣言が出されている」
 などという状況ではない。
 ということであった。
 そこで、政府は、
「時短や、休業に応じれば、補助金を出す」
 ということにしたのだ。
 実際に、そんな
「宣言が出された時期」
 というのが、年間で、9か月以上という状態であれば、ほとんど、街の機能はマヒしているし、国としても、補助金にも限りがあるというものである。
(そもそも、補助金は、政府の金というよりも、我々の税金だということである)
 それを思えば、
「せっかく、宣言を守る国民性なのに、国家が自分たちだけのことしか考えないということで、どんどん、国民の納めた税金を使うだけで、何ら対策も打てていないのが、現実だったのだ」
 そんな時代でも、結局、国が金を出したくないということで、最後には、
「感染は自己責任とでもいいたいのか、金を国が出さないレベルの感染症」
 ということで、勝手にレベルを下げてしまった。
 だから、統計もとっていないので、実際に、どれだけの流行か?
 ということも分からない。
 そうなると、病院も、
「特効薬がない」
 ということで、何もしてくれない。
「完全に、政府が、国民の命を個人に丸投げした」
 という状況に、今はなっているのであった。
 日本の歴史を考えていると、ヨーロッパに思いを馳せる自分が、急におかしな気分になってくる。
 ただ、ヨーロッパと日本は、明治以降、急速に結びついていて、
「日英同盟」
 に始まり、
「日独伊三国同盟」
 などがあった。
 特に、かすみは、ドイツに造詣が深く、絵画が好きなので、よく、風景画としては、ライン川の絵が好きだったりした。
 そんな絵のほとんどに城が写っていることから、今回の夢の中でも、
「西洋の城」
 という印象を受けたのだろう。

                 西洋の城

 西洋の城というものを思い浮かべると、日本の城との共通点はいくつかある。
 特に、
「天然の要塞」
 ということで、大きな川のほとりのあたりの、崖になったあたりに築かれている。
 日本でも、濠の代わりに、
「天然の濠」
 という形で、裏が、大きな川だったりする。そこに、断崖絶壁がある辺りは、日本の城と、ほぼ変わらない
 といってもいいだろう。
 しかし、日本の城が、
「裏なのと違って。西洋の城は、前に川が流れていることが多いような気がする」
 と思えた。
 そして、日本の城のように、本丸、二の丸。三の丸と言った。いわゆる、
「縄張り」
 と言った。城郭があるわけではなく、一種の、
「天守だけがそびえている」
 という感じであった。
 これは、日本の城と、西洋の城とでの決定的な違いがある。
 日本で、天守がある城が少ないということも、その一つといえるのではないだろうか?
 日本の場合は、城が一つではなく、支城と呼ばれるものがたくさんあるのだ。
 ということは、日本の城というのは、
「戦う」
 ということを基本としていて。それが、
「攻城」
 であるか、
「籠城」
 であるかということは、その時で違ってくるのだ。
 だから、籠城の場合など、攻め込まれないように、いろいろな仕掛けがしてあったりする。
「途中の道が、足元を見ないと進みにくいような作りになっていたり、橋が架かっていて、一か所を潰せば、崩れ落ちる設計になっていたり、門があって、そこをくぐると行き止まりで、四方八方から、狙い撃ちにされる」
 という形になっているのであった。
 しかし、西洋の城というと、完全に、
「住居」
 として作られているようで、もちろん、そこに籠城して戦うということもあるだろうが、どちらかというと、
「政務」
 を行ったり、周りの領民に対しての、権威を示すためのものの方が、役割としては、大きいだろう。
 日本の場合もその背景はあるだろうが、戦国時代などは、完全に、戦うための城だったといってもいい。
 それが、日本の特徴といってもいいだろう。
 日本のお城は、
「要塞」
 という形で見るが、西洋のお城は、
「住居」
 あるいは、
「実務室」
 というイメージなのであるが、西洋の城を見た時、そんな雰囲気には感じられるというわけではなかった。
 というのも、西洋の城というと、イメージとして、陰湿で、暗いという雰囲気がある。
 それは、中世の城のイメージと、もう一つは、
「牢獄のイメージがあるからではないか?」
 とかすみは感じていた。
 牢獄というと、どうしても、フランスの、バスチーユのイメージが強く、映画やドラマやマンガで描かれるのは、そのほとんどが、
「西洋の城」
 という雰囲気であった。
 さらに、もう一つ考えられることとして、
「物語に出てくる城としては、ドラキュラ伯爵の城」
 という雰囲気が強い。
 ドラキュラ伯爵のイメージは、どうしても、コウモリのイメージである。
 コウモリというと、思い出すのが、
「イソップ寓話」
 の中に出てくる。
「卑怯なコウモリ」
 という話である。
 この話は、
「鳥と獣が戦をしているところに通りかかったコウモリだったが、鳥に向かっては、自分のことを鳥だといい、獣に向かっては、自分のことを獣だといって、立ち回っていたのがコウモリだった」
 というところから始まって。
「いずれ、戦は終わるのだが、その時、コウモリの話題が出てきた時、双方から、あいつは卑怯だということになり、鳥からも獣からも相手にされず、暗く湿気た洞窟の中で暮らすようになり、夜の誰も活動しないところで、人知れず生きている」
 というのが、コウモリだということであった。
 しかし、これは、コウモリとしては、逆の意味で、
「鳥でもなく、獣でもない」