夢による「すべての答え」
インフラは完全にストップして、情報も何もかもが、入ってこない。そうなると、起こってくるのが、前述の、
「根も葉もないデマ」
ということであった。
この時のデマとして、
「朝鮮人が、この混乱に乗じて、日本人を虐殺している」
というもので、それに踊らされた一部の日本人が、朝鮮人を虐殺するということが起こったのだ。
完全に、警察も機能できない状態だったので、軍が動いて、戒厳令を発するということになったのだ。
これが、大正時代にあった。
「戒厳令」
であった。
今度は、昭和であるが、
この時は、
「昭和9年2月26日」
そう、いわゆる、
「226事件」
と呼ばれるものであった。
一部の青年将校が、天皇の近くにいる。
「君側の奸」
と呼ばれる連中を暗殺し、天皇を中心とした軍政を、改めて敷くという、
「昭和維新」
を目指した、クーデターだったのだ。
ただ、これには、いろいろ言われていることがあり、
「226事件というのは、言われているような、青年将校たちの、昭和維新に対する思想から生まれた」
というものではなく、
「陸軍内部の、派閥争い」
でしかない。
というものであった。
実際に、陸軍では、派閥争いによる、軍政的なクーデターが起こったり、個人的な暗殺事件であったりというのが、横行していた時代であった。
その時に争っていたのは、
「天皇を中心の軍政」
というものを提唱する、元々農村出身者が多い集団である、
「皇道派」
と呼ばれる派閥と、
「統制というものが大切だ」
と考える、陸大出身者が多い、いわゆる、
「エリート集団」
である
「統制派」
と呼ばれる集団との間で、派閥争いが、表面化していた。
当時は、元々、幅を利かせていた皇道派に対して、統制派が勢力を増してきて、皇道派を追い出したりしたことで、統制派が、皇道派を要人から追い出したことで、暗殺事件が起こったことが、今度のクーデターの引き金になったであろう。
ただ、言われているのは、
「君側の奸」
と言われる、天皇の側近が、天皇に、今の世情を教えないようにしていることで、自分たちが利益を得るという体制を取っているので、天皇の目を覚まさせて、天皇中心の国家に再度作り直すという、
「昭和維新」
という考え方から起こったクーデターだという。
特に日本の場合は、
「判官びいき」
と言われるように、
「弱い者に対しては、ひいき目に見る」
ということが昔からあった。
だから、農村出身の彼らに、同情が集まると考えた側面もあったかもしれない。
さらには、その少し前に起こった、海軍青年将校による、犬飼首相暗殺事件であった。
「515事件」
というもので、首謀者に対しても、大して処罰がひどくなかったというのも、その理由であろう。
だが、映画などにすると、どうしても、
「青年将校に対して、同情的な話になってしまう」
ということで、この事件を映画にするのは、なかなか難しいということでもあった。
特に、この事件で、一番怒り狂っていたのが、
「昭和天皇」
だったのだ。
青年将校たちは、
「自分たちは、天皇のために決起した」
ということであったが、天皇は、ちゃんと、これが、派閥争いであるということを分かっていたのだろう。
特に天皇が一番気にしたところとして考えられるのが、
「天皇の軍隊を、勝手に動かして、クーデターに参加させた」
ということである。
軍というのは、基本的に、
「隊を動かすには、天皇の裁可がいる」
ということである。
大日本帝国憲法で決められた、
「天皇大権」
ということで、
「天皇の統帥権」
というものがある。
これは、
「天皇は、陸海軍を統帥す」
というもので、
「天皇の預かり知らない行動を、軍はとってはいけない」
ということになるのだ。
それを、勝手に動かして、しかも、クーデターに使った。
さらには、それが、派閥争いということであった。
というのは、天皇とすれば、
「尊王」
どころか、自分の顔に、泥を塗られたも同然ということである。
「お前たちがやらないのなら、私が第一線に立って、指揮を取る」
とまで、天皇に言わせたのだから、軍の上層部としても、どうすることもできず、戒厳司令官を通して、軍に、
「原隊に戻るように、説得する」
ということになったのだ。
そして、それが、
「奉勅命令」
ということになると、さすがに、反乱部隊も、
「もはやこれまで」
ということになり、原隊に兵を返すということになるのだ。
その時に、半分は、自決をしたが、中には、
「法廷で、事実を明らかにする」
と考えて、投降した将校もいたが、実際には、
「上告なし、非公開、弁護人なし」
という完全秘密の裁判で、全員死刑ということになり、軍部は、秘密を闇に葬ったといってもいいだろう。
ある意味、
「後味の悪い」
というクーデターであったが、これによりハッキリしたことが、
「軍が独走態勢に入った」
ということであった。
クーデターが起こらないようにするために、軍内部でも、規律を正しくするようになり、挙国一致という考え方が生まれてきたのも、この頃からであった。
大陸への進出問題なども控えていたこともあって、この事件が、何かの引き金を引く形になったといってもいいだろう。
それが、大日本帝国において、
「引き下がれないところまで来ていた」
ということであろう。
その後で、日本は、中国への進出を行い、中国との、
「宣戦布告のないままでの、全面戦争」
という、
「シナ事変」
に突入していったということであった。
シナ事変というのは、
「そもそも、統制派と呼ばれていた人たちの考え方でもあった」
といえるだろう、
満州事変を画策した石原莞爾は、大陸進出を憂いて、注意をしたが、
「数年前に、あなたが満州でやったことをそのまま私も行動に移しただけです」
と言われてしまうと、何も言えなくなる。
いくら、餡集事変が、
「仕方がなかったことだ」
といっても、それを持ち出されると何も言えなくなるというのは、
「これ以上のジレンマはない」
といってもいいかも知れない。
ただ、そんな事態を引き起こした元々の原因は、
「満州事変」
であり、
さらに、油を引いたのは、
「226事件だ」
といってもいいだろう、
しかし、実際にはその二つの側面はまったく違うもので、
「満州事変というのは、ある意味仕方のないこと」
と言え、
「226事件というのは、やってしまったことで、取り返しのつかないことをした」
ということで、本来なら、相対的な事件だといってもいいだろうが、
「大きな歴史の渦の中」
ということでは、結果として、
「満州事変が引き起こした大きな波というものを、抗うことのできない状況にしてしまったことで起こったのが、226事件だ」
ということであれば、
「この事件も、ある意味、やむを得ないことだったのかも知れない」
といえるだろう。
しかし、個々で見れば、
「派閥争いに、天皇の軍隊を使い、天皇を出しにして、クーデターを正当化させようとした」
作品名:夢による「すべての答え」 作家名:森本晃次