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夢による「すべての答え」

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「夢というものが、現実と入れ替わって記憶されていることもあったのではないあk?」
 と感じるのだ。
 その発想は、ちょうど、
「箱庭」
 のような発想の夢を見た時に感じた。
 なぜか、その時の発想は、
「ヨーロッパの城」
 だっやのだ。
 夢だけでなく、実際にも、ヨーロッパの城という発想を日ごろから抱くということはなかった。
「日本の城」
 というものは好きなので、実際に赴くこともあった。
 ほとんどの人は、
「天守こそが城だ」
 と思っているので、天守のあるところを訪れることが多いが、かずみの場合は、山城が多かった。
 もちろん、急なところはなかなかいけないし、ヘビなどが出てくる可能性もあるので、いくことはないが、
「城愛好家」
 の仲間もできたことで、彼らから情報を得ることで、いろいろなところに行って、情報交換ができるところまでになりたいと思うのだった。
 かすみは、海外に行ったことがない。
「行ってみたい」
 と思ったこともあったが、
「日本で行きたいところもまだだいぶ残しているのに、海外なんかいく暇もない」
 と思っていた。
 ただ、それは半分、いいわけで、
「外人が嫌いだ」
 ということが大きかった。
 日本の観光地などに行って、外人のマナーの悪さは、特筆すべきものであった。
「ギャーギャーと大声で喚く」
 あるいは、
「道路に飛び出して、車の振興の邪魔をしてみたり」
 と、横行はひどいものだ。
「日本人には、そんな人はいない」
 とは言わないが、外人は、集団行動でそういうkとをするので、目立つのだ。
「遊びにくるならくるで、その土地の習慣を勉強してからくればいい」
 と思うのに、国民性を理由に、
「それは仕方がない」
 と言って、片付けられるものではない。
 だから、自分が外国に行って、
「同じような目で見られる」
 ということは必至であり、かすみとすれば、
「それが嫌なのだ」
 ということである。
 日本は、外人を簡単に受け入れる。
 いや、政府が、
「外人は観光に来て、金を使ってくれる」
 というだけで、マナーや、モラルを無視したやり方に、閉口しているのは、かすみだけではあるまい。
 外人とうのは、
「留学生」
 という名目でやってきて、都会のファストフードや、コンビニで働いている。
 今では営業時間のほとんどが、外人どもで埋め尽くされているといってもよく、
「安い賃金で雇えばいい」
 ということと、しかも、政府が、
「外人を雇えば、補助金を出す」
 ということなので、
「そりゃあ、外人雇うわな」
 というわけである。
「補助金を出すのなら?」
 と考えたが、
「ちょっと待て、その補助金は、自分たちの税金ではないか?」
 ということである。
 自分たちが、
「義務」
 として取られている税金を、
「なんで、外人になんかやるんだ?」
 ということである。
「日本人は、失業して困っているにも関わらず、外人ばかりになるのか?」
 ということになる。
 しかし、
「日本人が、働こうとしない連中がいる」
 というのも事実であるが、やはり、給料が安いということが問題なのだろう。
 日本人が、
「どうして働こうとしないのか分からないが、何よりも給料が安いのはわかりきっている」 
 と言えるだろう。
 それだけ、外人が、
「安い給料でも働く」
 ということで、よく言えば、
「勤勉だ」
 といってもいいだろう。
 それこそ、戦後の日本人のようなものだったのかも知れない。
 ただ、その問題が最近は、深刻化しているようだ。
「人手不足問題」
 というのが表面化していて、特に、
「物流」
「インフラ」
 というところで、その傾向が顕著だというのだ。
「トラック運転手」
「タクシー運転手」
 などという問題もあり、さらに大きな問題は、もうずっと前から言われている社会問題が、形になって、現れてきたのが、今回の、
「人手不足問題」
 というのにも、絡んできているということであった。
 それは、
「少子高齢化」
 という問題であった。
 バブルがはじけてからというもの、リストラのあらしが吹き荒れて、落ち着いてきたところで、
「非正規雇用」
 ということで、
「人件費節減」
 によって、実際に、
「責任のある仕事」
 である正社員は、一つの部署に、最小限しかいないので、その人が年を取ってきても、会社の方が、
「後継者を作る」
 ということを、真剣に考えていないと、今の人手不足の時代になって慌てても、どうしようもないということである。
「募集すればくるだろう」
 というそんな甘い考えでいると、
「募集してもこない」
 あるいは、
「非正規雇用しか集まらない」
 ということになって、どこの会社も、今になって困っていることであろう。
 特に、数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
 によって、経済はめちゃくちゃになった。
 日本の場合は、海外のように、
「都市封鎖」
 ということはできない。
 昔の大日本帝国であれば、完全に、
「戒厳令」
 というものが敷かれ、
「戒厳司令官」
 というものが置かれることで、本来であれば、
「保障されているはずの事由が、ある程度制限される」
 ということになるのだ。
 ただ、それも、大日本帝国の時代であっても、
「戒厳令」
 といゆものが施行されるのは、
「有事でなければいけない」
 ということであった。
 有事というのは、
「戦時」
「災害時」
「クーデター」
 などが起こった時、と言われている。
 だから、戒厳令という制度があった時代は、大日本帝国の時代だけだったのだが、その時代として、約60年くらいの間として、戒厳令が敷かれたのは、3回だったのだ。
 その3回というのが、ちょうど、それぞれの時代である。
「明治時代」
「大正時代」
「昭和時代」
 に、それぞれ1回ずつだったというのは、面白いと言えるだろう。
「明治時代」
 であるが、これが起こったのが、日露戦争の終結のための講和条約である、
「ポーツマス条約」
 において、日本は戦勝国であるにも関わらず、戦争賠償金を一銭ももらえなかったということに起こった、
「日比谷公会堂焼き討ち事件」
 というものであった。
 これは、日本の戦争継続が不可能であったということを知らない民衆が起こしたものであったが、ある意味、無理もないことでもあった。
 というのは、
「日本は、旅順攻略戦、奉天会戦などで、相当数の死者を出している」
 ということで、
「賠償金が得られないということは、死んでいった人たちに対して、申し訳が立たないではないか」
 ということになるのである。
 しかし、それでも、起こった暴動は治めなければいけないということで、
「史上初」
 の戒厳令が施行され、事態を収拾したということであった。
 そして、次は大正時代であるが、
 この時に起こった大事件というと、大正12年の9月1日の大災害であった。
 これが、いわゆる、
「関東大震災」
 であり、大都市を襲った直下型の大地震だったのだ。
 こういう震災などの時には、決まって出てくるのが、
「根も葉もないデマ」
 というものだった。