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パラレル国家の真実

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 そういうことで、ある雑誌で見たのだが、その内容は、
「どうも、突飛すぎる」
 ということから、半信半疑で、その内容を見ていた。
 スポーツ新聞などでは、見出しにおいて、いかにも、断定的なことを書いておきながら、その横に小さな文字で、
「か?」
 と書いてあるのだ。
 そう、
「某有名選手、金の力で、メジャー移籍」
 と書いてあったとしよう。
 しかも、その時、まだ誰もメジャーに、移籍したことがない時代だったりすれば、この見出しを見れば、たいていのスポーツファンは、買っていくだろう、しかし、見出しの下に、小さな文字で、
「か?」
 と書いてあれば、
「某有名選手、金の力で、メジャー移籍か?」
 ということになるわけで、新聞社からすれば、
「ウソは書いていない」
 ということで、ただ、紛らわしいというだけのことだった。
 しかし、今ではそれは通用しない。
 何といっても、もう、そんな姑息な手段は通用しなくなったということよりも、新聞の販売形態が、まったく変わってしまったのだ。
 基本、朝のスポーツ新聞を買うか買わないかの判断は、駅の売店で、最前列に筒のように積まれた新聞置き場から見える見出しを見て買うことだろう。それともう一つは、電車の中づり広告とかで見るというパターンである。
 だが、今は、
「駅の売店に新聞が置かれている」
 ということはない、
 もっといえば、
「駅に売店というものが、ほとんど存在せず、以前は、鉄道会社が、駅の売店を経営していたが、今では、鉄道会社が撤退し、各コンビニ会社が、駅構内に、出店するというくらい」
 であった。
 それが、正直、以前の鉄道会社の運営していた売店とはまったく違う形のものになり、
「外観はほとんどコンビニの他の店舗と変わりないが、お弁当やパン、ドリンクなどの、駅の売店に近い形のラインナップになっているという感じで、結局は、新聞や雑誌などが、
「見出しが見えるように、置いてある」
 ということはまったく感じられなくなっているのだ。
 特に、乗り換えに主要駅を使っている人は、コンビニを利用することもない。そうなると、
「客は思ったよくり期待できない」
 といっておいいだろう。
 それを考えると、
「今のような売店では、新聞が売れるわけもない」
 というわけだ。
 また、電車の中吊り広告に、新聞。雑誌関係のものは今はほとんどない。
 今の中吊りは、前に比べて少し減ってきている感じもあるし、あっても、ほとんどが、旅行関係の観光宣伝が、ほとんどではないだろうか?
 基本的に、それらを見るという人はいない。なぜなら、立っている人も座っている人も、目線が上に行くという人はいないだろう。
 なぜなら、これは20年くらい前からであろうが、基本的に見ているのは、ケイタイや、今でいうところのスマホの画面である。
 つまりは、皆、
「目線は下にある」
 ということである。
 それを考えると、
 誰も、いちいち中吊り広告など、見上げることもないということだ。昔であれば、目のやりどころに困っただろうから、中吊りを見ていたのだろうが、今は見るものがあるので、「根本的に、視線は下を向く」
 ということになるのであった。
 そんな朝の毎日を、過ごすかすみの毎日で、最近気になっているのが、毎日、
「何か似たような夢を見る」
 ということであった。
 その夢というものがどんなものなのか考えた時、最近気になる夢として、
「どこかの、湖畔」
 のようなところであった。
 実際に歩いていると、少し大き目な湖畔であるということが分かるのだが、その原因が、その湖畔を囲むように、大きな森が、さらにその周りを囲んでいるからであった。
 その湖畔の森全体を、
「空中から見てみたい」
 と思うのは無理もないことのようで、その向こうに見える大きな木を見ていると、
「以前にも、どこかで見たことがあるような気がする」
 というものであった。
 それを、
「デジャブ」
 というものであったが、、
「今回初めて見たはずなのに、以前にもどこかで見たような気がする」
 というのを、それこそ、毎日感じているのだった。
「毎日同じ夢を見ている」
 という感覚があるのだから、2回目からは、
「以前に見たことがある」
 というのは当たり前のことであり、それを何も、
「デジャブ」
 というわけではないということが分かるというものであるが、デジャブというものがどれほどのものであるかを考えると、それよりも、
「毎日同じ夢を見ている」
 という方がおかしなことなのに、どこか論点が狂っているかのように見えるから、不思議だった。
 もう一つお、
「面白い」
 と感じたのは。その景色を真上から見ているからである。
 というのは、夢だから分からないということなのだろうが、毎日の夢の中で、たまに、真上から以外の、普通に光景を見ることができるのだが、その時は、普通に風が吹いてきて、波紋がきれいにできていることが分かるのだが、風が吹いているというのは、波紋を見るから感じるのであって、それこそ、
「逆も真なり」
 ということになるということを教えられたかのように思えたのだった。
 だが、この光景を、真上から見ると、完全に風がないのか、波紋を感じることができなくなる。
 これは、上空から見ているということで、
「風があるわけはない」
 という感覚からくるものだということを感じさせるのであった。
 上空から見える湖の色は、完全な真っ青に見えるのであった。
 波紋も一切なく、湖面には、グラデーションが一切なく、真っ青な原色が、いかにもきらびやかさを示しているかのようで、
「波紋を感じないのは、そのためではないか?」
 ということぉ感じさせるのであった。
 さらに、湖面を見ていると、
「空の青さが、ちりばめられたようで、目の前に光るその光が、毎日同じ光景に見えて仕方がない」
 と思うと、
「まるで、毎日を同じように繰り返しているみたいだ」
 と思い。その瞬間。
「ああ、これは夢なんだ」
 と感じさせるのだ。
 そう思った瞬間。目が覚めてくるということになるのだろうが、実際には、そんなことはなく、
「夢を見ているという感覚が、毎日同じ夢を繰り返しているという、タイムループというものを感じさせるのだ」
 と感じるのであった。
 だから、最近の夢は、やたらと、
「デジャブ」
 というものを感じさせる。
「初めて見たはずなのに、以前にも見たことがあるかのように思うのは、昨日と同じ夢を見ていたからなのだろう」
 と考えられる。
 毎日同じ夢を繰り返しているということは、
「いつも同じ時間に眠たくなって、同じ時間に目が覚める」
 ということになるのだろうか?
 それまで、つまり、
「同じ夢を繰り返している」
 と感じるようになるまで、そんなことを考えたことがなかった。
 そのことに気づくと、今度は、
「夢を見るのが、本当の自分なのではないか?」
 ということを感じた。
 というのは、
「普段は起きている時の自分が、本当の自分だ」
 と普通は思っているだろう。
作品名:パラレル国家の真実 作家名:森本晃次