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パラレル国家の真実

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「サナトリウムって、本当にこんな感じだったよな」
 と、かすみは感じていた。
 近づくにしたがって、何か奇声のような声が聞こえてきた。それが、叫び声のようなものでもあり、すすり泣くような声でもあった、
 その時、
「ああ、精神病にもいろいろな種類のリアクションの人がいるんだ」
 と思った。
 それを見た時、
「何か動物園のようではないか?」
 と考えたが、その中にいる人は、皆白衣の人たちから、それなりの迫害のようなものを受けているようだ。
 しかし、その受けている迫害を考えれば、
「見るに堪えない」
 と思えてくるにも関わらず、実際に放送しているではないか?
「放送していいことと、悪いことというのが、いかに分かれているのか?」
 ということは、言葉では分かっているつもりだったが、実際の放送となると、その微妙なところの違いというものが、どういうことなのかが分かっていなかったりするのだ。
 それを思うと、
「サナトリウムというのが、何だったのか」
 ということを、再度考えてみることにすると、今度はすぐに思い出せたのだった。
「そうだ、サナトリウムというのは、確か、結核病棟のことだったんだわ」
 というものだった、
 結核というのは、そもそもが、伝染病で、しかも昔は、
「不治の病」
 と言われ、
「戦後に特効薬が出るまでは、隔離されて治療を受け。最後の時が来るのを待つしかない」
 という、そんな悲惨なものだったという。
 今の時代では、結核というと、
「手術をすることもなく、投薬だけで治る」
 と言われたものだった。
 それを思うと、
「医学の進歩というのは、甚だしい」
 といえるだろう。
「今の不治の病と言われているものでも、近い将来には、薬だけで治るようになるかも知れないな」
 といえるだろう。
 結核病棟というのは、そもそも、
「都会から、隔絶されたところにあった」
 というのも、
「余生を人里離れたところで過ごす」
 といえば、いい表現に聞こえるが、何といっても、伝染病なので、
「隔離が絶対に必要だ」
 ということであった、
 今であれば、
「不治の病」
 というと、
「ホスピス」
 などというところで、最後を過ごす人もいるだろう、
 彼らは、
「神に召されることを分かっていて、そこで、静かに残りを暮らす」
 というもので、どこまで心静かに過ごせるか?」
 ということであろうが、それも、すべては、
「本人が、どこまで覚悟ができているかどうか?」
 ということに掛かっているといってもいいだろう。
 当時の、
「不治の病」
 というと、当然他にもいっぱいあっただろう。
 ただ、結核がその代表例だったということは間違いない。
 特に、血を吐くなどというシーンは、幕末の剣豪であったりに結構あることだ。
「若くして亡くなった剣豪」
 としては、
「長州藩の高杉晋作」
 さらには、
「新選組の沖田総司」
 などがその例であろうか、
 どうしても、沖田総司のように、
「血を吐きながら戦った」
 というイメージが強く、特に、
「美男子」
 というイメージがついていることから、その解釈が難しいといってもいいだろう。
 ただ、結核はどうしても、人に伝染するということで、最後には隔離ということしかなかったのだ。
 ただ、
「伝染病である」
 ということを、
「鎖国下の日本で分かっていたのかどうか?」
 である。
 ただ、鎖国下においての、医学は、蘭学が入ってきたことで、立派に機能していたともいえる。
「ターヘルアナトミア」
 などと呼ばれるものが、オランダから入ってきて、杉田玄白、前野良沢らによって、翻訳されたことで、医学は、西洋に負けないくらいであったといってもいいかも知れない。
 ただ、結核は、
「不治の病」
 と呼ばれた時代が長かった。
 これは、西洋においても同じことで、
「日本だけの問題ではなかった」
 それを思うと、
「サナトリウム」
 というものが、建設され。活用されたのは、日本における医学の発展という意味で、
「実に大きなことだ」
 といえるのではないだろうか?
 サナトリウムが、各地に建設され、ひそかに療養所としての機能もあったということであれば、それはそれでいいことなのではないだろうか?

                 ルーティン

 精神疾患というものが、最近増えてきている。
 それは、一緒に人間関係の悪化だけではなく、社会構造の問題が絡んできているということにも、その理由の一旦があるのではないだろうか。
 特に、今の時代は、バブルがはじけてからというもの、
「人件費節減」
 ということで、
「非正規雇用」
 というものが増えてくることで、最初はうまくいっていたが、その途中でも、ちょこちょこっとした経済不安があるたびに、それら、非正規雇用の人材を、簡単に排除したりすることで、会社の延命を図っているということになっているのだろう。
 元々、非正規雇用というものが、
「いつでも、解雇できる」
 ということと、
「安い賃金で雇用できる」
 ということからであったが、
「少なくとも、最低限に正社員がいないと、成り立たない」
 ということもあったのだ。
 それは、当然のこと、
「何といっても、責任の所在をしっかりさせておかないとうまくいかない」
 ということは分かり切っていることであり、だからこそ、
「残った正社員が、大変だ」
 ということになるのだ。
 昔は皆正社員だったのに、正社員が極端に少なくなると、
「何人分の責任を負わなければいけないのか?」
 ということで、中には、
「責任を負わされるためだけに雇われている」
 ということが次第に明るみになる社員もいなくはない。
 まるで、
「政治家の秘書のようではないか?」
 と思う人もいるだろう。
 当然、
「上司の責任を押し付けられて、自殺する人もいるだろうし、自殺しないまでも、病んでしまう人は、一定数手てくるに違いない」
 ということだ。
 だから、それが、
「精神疾患の人が増えてきた」
 ということの現れであり、社会問題になるのも、仕方のないことであろう。
 それを考えれば。
「政治家だけではなく、一般企業で、責任を押し付けられる」
 ということも、今では普通にある。
 ということなのだろうが、実際には、昔からあったことだろう。
 昭和の頃の、ゼネコンであったり、談合などがある業界であれば、少なからずの、
「病んでしまいかねない」
 と言われる問題は、あったはずだ。
 社会問題になったから、
「社会派推理小説」
 などというものが増えてきたのではないだろうか。
 特に。公害問題であったり。土地買収に絡むものなどが、その小説の問題提起になったのだろうが、そういう意味でいけば、
「形は変わっているが、社会問題として、世の中に蔓延っているものに、変わりはないといってもいいだろう」
 ということでないだろうか?
 それを考えると、
「今に始まったことではないが、それでも今問題になっているのは、
「今の政府では手に負えない」
 ということと、
「やはり、タイプが変わってきている」
 ということが問題なのだろう。
作品名:パラレル国家の真実 作家名:森本晃次