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パラレル国家の真実

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「勝者に対しては、これ以上ないというほど金を使って祝賀会を催したり、慰安の限りを尽くしてくれるのに、負けてしまうと、何もない」
 この違いは一体何なのであろうか?
 準優勝までであれば、予算を使うことができて、それ以下では、予算がないということか?
 条件付きに予算というのも、実際にはあるのだろうが、それには、
「予算を使うだけの、理由があることだろう」
 と考えさせられる、
「それが、自治体のメンツなのか、それとも、本当に準優勝以上では、自治体に対しても、何かの利益があるとでもいうのか、考えられるとすれば、それは、
「経済効果をもたらす何かがある」
 ということではないだろうか。
 それが、費用対効果が望めるものでなければいけない。具体的にはどういうものとなるのだろうか?
 一般市民では分からない何かがあるとしても、公開されているものではない。
 となると、それよりも、
「全国大会で、準優勝、優勝という成果を挙げたチームを薙ぎらわない自治体は、
「ケチなところだ」
 ということでの攻撃が怖いということなのか。
 それが、祝賀会などの形だけであれば、自治体における、
「やってますアピールにしか見えない」
 と思えて仕方がない。
 実際にマスコミでは、優勝、あるいは、準優勝したチームの選手が、
「県知事を表敬訪問した」
 ということで、知事と、選手たちがにこやかに、記念撮影をしている写真が出ている。
 さすがに、
「駅での出迎え」
 というような大げさなことはないが、その分が、学校に帰ってきた時は、全校生徒に迎えられるということになるだろう。
 夏休みにも関わらず、きっとその日は、臨時登校日か何かになり、半強制的に、登校させられて、
「選手を迎えるアーチ」
 の役目をさせられることであろう。
 実際に生徒とすれば、たまったものではない。
「なんで俺たちが、別に関係ない野球部のために登校して、ちやほやされる連中を見せつけられて、祝賀ムードにならなければいけないんだ」
 ということである。
「そんなもの、やりたいやつだけにさせればいいじゃないか」
 ということである。
 ただ、自分たちがもし、全国大会で優勝すれば、同じようなセレモニーをやってほしいという願望もある。しかし、この、
「強制的なやり方は、まるで、ファシズムを思わせるという気持ちにさせるのは、いかがなものだろうか?」
 と思わせる。
 そもそも、日本という国は。昔の軍国主義であった時代を彷彿させるような、スポーツの試合の前に、必ず、
「君が代を流し、国旗の掲揚を行う」
 ということをしているというのは、どういうことなのだろうか?
 大日本帝国は、戦争に敗れ、占領軍によって、民主国家に生まれ変わり、
「平和憲法」
 というものの下、安心安全な
「個人の自由」
 な民主国家に生まれ変わったはずではないか。
 ただ、天皇制が残り、
「日本独自の文化」
 は、引き続き継承されるといっても、
「日の丸掲揚」
 であったり、
「国歌斉唱」
 などというのが続いているというのは、どうなのだろうか?
 それらを否定はしないが、
「勝者だけのためにやるイベント」
 というものに対して、いかなるものなのか?
 と考えると、日本という国がいかに、中途半端な国なのかということを思い知らされるような気がするのだ。
 民主国家に生まれ変わったはずの日本であったが、今のところ、中途半端な民主国家になってしまったのではないか?
 と思うのは、それだけ、日本が、
「アメリカの傀儡国家」
 というものに、成り下がったとことを示しているといってもいいだろう。
 傀儡国家というと、日本は得意だったではないか?
 特に、
「満州国」
 なるものを建国し、実際には、諸外国から承認が得られず、孤立する結果になったではないか。
 しかも、孤立した日本に対し、大陸進出を狙った日本に対して、
「経済制裁」
 という圧力をかけてきた、その先鋒といってもいい国が、
「アメリカだった」
 というのは、実に皮肉なことである。
 大日本帝国の時代から、
「ロシア(ソ連)」
「アメリカ」
 という国は、陸海軍にとっての、それぞれの、
「仮想敵国」
 というものであり。それが、日本にとって、戦争というものに突き進む道だったと言ってもいいだろう。
 ただ、大日本帝国の歴史として、戦争を行った相手は、ほぼ、
「日本よりも、強大な国だ」
 といってもいいだろう。
 まずは、
「大清帝国」
 眠れる獅子と言われ、朝鮮というロシアをけん制するうえでもぜひとも必要な土地である朝鮮半島を、
「日本の勢力下におく」
 という必要があった。
 明治初期の朝鮮は、鎖国体制をとっていたが、それを、
「日本がアメリカにやられた」
 のと同じである、
「砲艦外交」
 というものを、もくろんだのだった。
 その砲艦外交ということで、日本は実際に、攻撃を加え、相手を屈服させるというやり方だった。
 朝鮮は当時、
「清国に、冊封されていた」
 これは、
「朝鮮を独立国家として認めはするが、ほぼ属国ということで、宗主国の清国に対して、定期的な貢物を行う」
 ということであった。
 だから、朝鮮が開国させられ、強引に条約を結ばされたことで、日清関係は、極度に緊張したのだった。
 ただ、朝鮮国内も、以前日本にもあった
「明治維新の際の混乱のようなものが、あったのだ」
 それが、日本における。
「尊王攘夷運動」
 であったり、
「尊王倒幕」
 といったものだったのだ。
 要するに、
「開国派と攘夷派で分かれた国が、バックにある清国や大日本帝国との思惑が働く中、二度にわたるクーデターを経て、日清間の緊張は最高潮に達し、結局、日清戦争が勃発した」
 ということである。
 結果、大日本帝国の大勝利であったが、それにより、清国が急速に弱体化し、結局、辛亥革命にて、中華民国ができることになる。
 日本は、清国に勝ったことで、さらに、
「富国強兵」
「殖産興業」
 というものを積み重ねていって、今度は、満州をめぐる形の、
「ロシアとの決戦」
 ということになった。
「今度の相手は、清国のようにはいかない」
 ということで、国内では、戦争への、賛成派と反対派で分かれていたのだ。
 しかし、
「このままでは、国力の差は歴然としてくるばかりで、やるなら今しかない」
 ということで、対ロシアということで、ロシアへの宣戦が布告されると、やはり想像した通り、
「対清国のようにはいかない」
 ということであった。
 戦略上の作戦は、最初は、なかなかうまくいかなかったが、
 旅順要塞攻略からの、奉天会戦の勝利、さらには、
「日本海海戦」
 というものの、奇跡的な電撃勝利が、日本を、
「戦勝国」
 としたのだった。
 正直、どちらの国にも、
「戦争継続は無理で、一刻も早く講和を結ぶ」
 というのは、日ロ両国にとって、同じ考えだったのだ。
 特にロシアは、その後の革命が起こるほどの世情が不安定だったことが、日本には幸いしたのかも知れない。
 しかし、ロシアの帝政への不満が起こっていたのも事実で、その後の第一次世界大戦において、
「民族主義」
作品名:パラレル国家の真実 作家名:森本晃次