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パラレル国家の真実

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 実際には。それらの開発は。
「不可能だ」
 ということで、
「ロボット工学三原則」
「フレーム問題」
 さらには、
「タイムパラドックスの問題」
 と徹底的に、無理だということになっているが、日本では、水面下で進められている研究は、順調だった。
 機密も守られていて。それが、
「結核病棟」
 から生まれ変わった、今の時代の、
「サナトリウム」
 ここに、すべてが隠されていて。しかも、最高国家機密となっていることで、
「この時代こそ、今の政府の愚行とまったく正反対である」
 ということでの、
「パラレルワールドの、双極性なのではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 そんな国家機密において、
 まるで、
「マトリョシカ人形」
 のようなものとして考えていると、そこに、
「限りなくゼロに近い」
 という考え方が出てくる。
 これは、
「合わせ鏡」
 という考えにも似たところがあるのだが、この発想は、
「どんどんと小さくなっていくというものではあるが、決して、ゼロにならず、そして、マイナスの結界を超えることもない」
 ということである。
「どんどん小さくなってくるが、ゼロにならない」
 という発想は、その裏に、
「無限ではない」
 ということを示しているということになるのだ。
 もし、どんどん小さくなっていることで、ゼロやマイナスにならないということは、進んでいる以上、限りがなければ、ゼロに到達し、最後には超えてしまう
 ということで、これは、
「時系列」
 ということにも関連してくるといえるのではないだろうか?
 だから、
「時系列」
 であったり、
「時間の無限性」
 ということを考えると、そこには、必ず、
「限りなくゼロに近い」
 ということと、接しているということになるのではないだろうか?
 矛盾していながらも、その形を証明できるという瞬間が存在すると言われる、
「メビウスの輪」
 というものにかかわってくるのではないだろうか?
「矛盾というものを、いかに理論づけて。それが矛盾であるということを証明するか?」
 ということから、時系列というものが結びついてくるという発想は、今に始まったことではなく、発想の終点が、無限であるかどうかということに結局は繋がっていくのだ。
「無限であれば、いずれはゼロになる」
「ゼロにならないということであれば、必ず、その限りは存在する」
 ということになる。
 では、
「無限でなければ、ゼロになる可能性がどれだけあるというのか?」
 あるいは、
「ゼロになるということであれば、無限は本当に存在しないのか_?」
 ということであり、
 数式というものを、英語で表現するときの発想に、どこか似ているといえるだろう。
「例えば、アンドと、オアを使う場合。
「A=ゼロ OR B=ゼロ」
 ということの反対は、決して。
「A≠ゼロ OR B≠ゼロ」
 ということではない。
「A≠ゼロ AND B≠ゼロ」
 ということになるのだ。
 これは英語の問題だけではなく、コンピュータを制御するプログラミングで組み込まれている。文法としても、このように定義されている。
 数式だけを見ていると、その理屈を解釈できず。実際に、他のパターンと辻褄を合わせるということは、こんな発想になるということを考えなければいけないといえるのだった。
 戦後、実際に、プログラム言語というものが、いろいろ考えられ、実際に、実用化されたのは、
「1970年代」
 くらいからだろうが、実際には、もっと昔の、少なくとも、マンハッタン計画よりも前からあったのではないか?
 といえるだろう。
 それが、国家機密と結びつくことで、その問題がクローズアップされてくるのだろう。
 そんな国家機密を研究するためのところが、
「サナトリウム」
 を改造した場所で行われるようになった。
 表はなるほど、昔のサナトリウムさながらであり、そのまわりは、湖畔を森が取り囲んだ、まるで、
「陸に上がったサンゴ礁」
 のようなところであった、
 サナトリウムが、そんな場所に建築されたというもの、その設計がしっかりしていることと、そんな場所がいくつもあるというのが、日本ならではなのかも知れない。
「いやいや、欧州の方が、そういうところが多いのではないか?」
 と言われるかも知れないが、実際には、それらを使って研究が行われているのは、欧州各国でも、
「公然の秘密」
 であった。
 かつての日本も、西洋視察ということで、何人もの人が欧州に渡り、いろいろな技術などを輸入してくることで、明治維新や、大日本帝国の礎を築いたということであったが、実際に、医学界の研究者も数多く海外に渡り、実際の医学界を見てきたのだ。
 その際に、
「日本にはない文化」
 であったり、それ以外にも、日本という文化だけではなく。国家の存続あるいは。興亡のために、いかに、
「国家を形成する個々の人間の存在が大切なのか?」
 ということは、分かっていたのではないかと思える。
 しかし、時代はどうしても、江戸幕府から、明治政府にその主権が移行するということで何といっても、
「武家政治」
 という封建制度から、
「天皇中心」
 という、中央集権国家へ移るという大きな変革は、尋常な考えでは、うまくいくわけはなかった。
 実際に、そのための犠牲はハンパではなく、特に、それまでの武士というものの存在意義すら否定される時代になると、
「武士しかやってこなかった人たちが、いかに生き残っていくのか」
 ということが問題であった。
 そもそも、江戸時代というのも、
「士農工商」
 という身分制度で、武士中心といわれているが、実際には、幕府が中心となって行う政治は、封建制度ということで、
「中央集権国家」
 というわけではなかった。
 それぞれの区画された土地には、大名というものがいて、幕府に所領として配置された大名が、藩主として、その土地を治めるということになっているのだ。
 それを、幕藩制度というのだが、そのために、その幕藩制度を、行っていくために、
「大名が力を持ちすぎないようにするための工夫」
 ということで、
「参勤交代
 や、
「天下普請」
 などを行って、藩が力を持たないように、金銭的に金を使わせるという方法をとってみたり、さらには、直接的に、改易ということで、
「大名に対して、因縁を吹っかけたり、あるいは、後継者がいなかったりすれば、それを理由として、領地召し抱えという、直接的な領地没収により、大名の地位をはく奪したりするという強硬手段を行った」
 それにより、大名は、取りつぶされることになり、そのため、武士は、ほとんどが、路頭に迷うことになる。
 特に、秀忠、家光の時代には、関ヶ原において、
「徳川の家臣となった」
 いわゆる外様大名系は、有力大名から、どんどん、改易させられていったといってもいいだろう。
 だから、九州、四国、中国地区、東北地区などの大名は、結構怖かったことだろう。
 しかも、
「三河時代から、徳川に仕えてきた、主力大名であった、本多正純など、正信から二代にかけて徳川に仕えた大名が、因縁をつけられて、改易させられた」
作品名:パラレル国家の真実 作家名:森本晃次