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パラレル国家の真実

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 ということになるのだ。
 ただ、これは、人間というものに、
「恥じらい」
 という感情があり、それが貞操だということで、それを他人が土足で上がり込んで侵略するということは、倫理的におかしいということになるだろう。
 ということは、
「恥じらい」
 という感情がなければ、罪に問われることもない。
 いや、
「男が、女を襲うというのは、この恥じらいの感情を見ることで、自分の快楽を得よう」
 という、
「それぞれの温度差」
 というものが、
「それぞれに、加害者と被害者を生むことになる」
 といっていいだろう。
「加害者が生まれることで、当然被害者がいるのだ」
 ということあるが、ここからが、それぞれの国で法律があることから、罪の重さは裁判によって決まり、確定するまで、その温度差は違ったままである。
「被害者がいるから、加害者がいる」
 その逆は当然ある。
 そして、
「裁判というものに、感情が入るかどうか」
 というのも、大きな問題であるということだ。
 子供の頃に見ていたアニメで、いろいろな未来の便利なアイテムを取り出すことのできるという設定のマンガがあった。
 その中で、
「石ころ」
 というものをテーマにしたものがあった。
 その物語では、主人公の少年が、いつも、いじめっ子に虐められるので、虐められないようにするには、どうするか?
 というものであった。
 確かに、このアイテムを身に着けていると、誰にも気にされることもなく、何かをされるという意識をしなくてもいい。
 しかし、そのせいで、その少年が、
「どのようなことになるか?」
 ということ全体をまったく、
「アイテムを取り出した未来人は、想像ができていなかったのだ」
 というのも、
「確かに、その少年は、このアイテムを使うと、いじめっ子から気にされることもなく、いじめに遭うことはなかった」
 ということで、その時は、
「よかったよかった」
 ということで、
「作戦は成功だ」
 として、主人公も、未来のアイテムを渡した人間には、ひとまず成功だったのだ。
 しかし、それは、あくまでも、
「苛めから逃れる」
 ということだけのために使うべきことで、それ以外では、決して使用してはいけないものだった。
 というのは、この少年は、
「ただ存在しているだけで、まわりの人を苛つかせる」
 という致命的な欠点があった。
 しかし、そういう欠点はあるが、だからといって、大きな災いに遭わずに、今までこれたわけで、時々、
「忘れた頃に、他力本願的に、何かいいということがある「」
 という、そんな、
「いいこと」
 というのも、時々起こっていた。
 それを二人は失念していた。
 どうしても、今の目の前の恐ろしい状況から逃れたい一心で、目の前のことしか分かっていなかったのだ。
 だから、少年も、アイテムを渡した未来人も、
「これでいいんだ」
 と思っていて。その通り、実際にいじめがなくなったことで、そのアイテムの効果に安心し、感謝することで、それ以外の発想をまったく考えないようになってしまった。
 そのせいか、その少年が、少しではあるが、時々、ちょっとした災いに見舞われるようになったのだが、それは、いじめっ子に虐められるよりも全然大したことはないので、余計なことを考えることはなかった。
 しかし、実際の災いは着実に近づいていて、それもいきなり襲ってきたのだ。
 それは、その少年が、公園の近くの横断歩道で待っていた時、公園からサッカーボールが飛び出してきて、それを拾おうとしたのだが、それはただの親切からだったのだが、誰も、その少年が飛び出したことに驚いたりはしなかった。
 しかも、運転手も本当に危ないと思った瞬間まで、まったく少年を意識もせず、命に危険はなかったが、それでも、よけることもできず、結局軽傷であったが、交通事故を起こしてしまった。
 その時初めて、そのアイテムの、
「石ころ」
 という効果の恐ろしさに、二人は気づいた。
 しかも、そうなってくると、いじめっ子に虐められなくなったことで、どこか寂しさを感じている自分もいて、実際に、自分の意識がおかしくなってしまったということに、気づいていたのだ。
 それが、
「石ころ効果」
 というもので、自分にも、そんなところがあることに気づいた、かすみは、ゾットするものを感じた。
 だが、それが、そのアニメを見てから一週間くらいだったが、実際には、そんな心配をする必要もないと感じるようになったのは、その性格が、
「自分の二重人格性の裏に潜んでいる積悪だ:
 ということが分かったからだった。
「石ころと二重人格性」
 というものの恐ろしさが、実は、どこか、
「交わることのない平行線を描く」
 というものであり、
「そのことが、自分の中での歴史が、決して答えを出してくれない証拠だと思ったのであった」
 というのは、
「このアニメのように、虐められないようにしようと、気配を消そうとすると、片一方では、まわりが自分に気づかないと、どのような事故に遭わないとも限らない」
 という一種のもろ刃の剣というものを持っているということであった。
 だが、それは、
「二重人格である」
 ということで、マンガでは事なきを得たのだ。
 それは、アニメにだけ入れることではなく。
「私にも言えることなのかも知れない」
 と考えた。
 ということは、自分が今生きていられるのも、自分というものは、二重人格性というのを持っていて、それが幸いしているのではないだろうか?
 つまりは、
「人間というのは、普通に表に出ている性格だけでは、とても生きていけるものではない」
 ということは、
「二重人格性というものが誰にもあって、裏と表が、時々入れ替わることで、その人の性格が見る人によって違っていたり、その相手にふさわしい性格が滲み出るという、一種の都合のいい性格というものを、誰もが、
「二重人格性」
 ということで、醸し出されるということになるのではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「人間における二重人格性というのは、必要不可欠であるが、それを相手に悟らせないようにするために、石ころになるという機能が自然と人間に染みつぃている。
 それを、人間の、
「外敵に対しての、自然発生的な抗体ではないか?」
 と考えると、
「二重人格性」
 というのも、
「石ころのような機能」
 というのも、人間には備わっているというもので、それぞれ、どちらかが表に出ている時には、自分の中で抗体として持っていて、片方が、表に出ている時は片方が、抗体となっているといえるだろう。

                 国家機密

 片方が、
「二重人格性」
 ということで、紛らわしいということになるので、そのあたりが、分かりにくいところとなっているので、普通であれば、理解することは難しい。
 それらのことを、かつての結核病棟としてのサナトリウムが、その役割を終えた時、精神疾患の人が増えてきたことで、ひそかに、それらの人たちを救うための、
「必要な施設」
 ということで、この跡地を、研究所として供出されることになった。
作品名:パラレル国家の真実 作家名:森本晃次