パラレル国家の真実
なぜなら、いくつかのパターンの単価が積み重なって、売り上げ実績が出来上がっている場合、請求金額との照合の違いがあった時、
「1個単価よりも、まったく小さな金額だったりした場合、その違いが何を意味しているのか?」
ということを考えた時。それは、明らかに、
「プラスとマイナスが、混同していることで、入り食っている」
ということの証明ではないだろうか。
つまりは、50円の違いがあった場合。
「たとえば、100円の未請求と、150円の未計上が絡みあうことで、ちょうど50円となる」
ということになる。
しかし、これが違いが、100円だったとすれば、100円の未請求一つが漏れているだけだということで、絞ってみることができるからだ。
入り食っている場合には、もう一度最初から、照合をし直す方がいいのかも知れない。本当は、数字が合わない場合は、どんな場合でも、最初から照合をし直すという方がいいのかも知れないが、どうしても、時間に限りがあったりする場合には、
「少しでも早く」
と考えると、
「山をはる」
ということも大切だったりするだろう。
もちろん、それができるだけの、日ごろからの鍛錬が必要で、数字に対して、
「野生の勘」
というほどの技量が必要だったりする。
それが、
「数学的な知能を養う」
ということで、ひょっとすると、最初の公式である。
「1+1=2」
という発想が、自分の中でうまく機能するために、積み重ねていく必要があるということになるのではないだろうか?
夢の中でサナトリウムが出てきた時、自分の中で、そのような機能が働いていることを感じるのだった。
「石ころ」と「二重人格性」
「サナトリウムが、本当に最初からサナトリウムだったのか?」
と、夢の中で考えるようになった。
というのも、夢の中にいると、次第に、
「結核病棟のサナトリウム」
という印象が深くなってくる。
確かにその思いは強く残っているのだが。サナトリウムというところ、
「本当に最初から、結核患者だけを集めた、隔離病棟だったのだろうか?」
と考えるのだった。
ただ、その記憶が、かすみにあるわけはない。何といっても、
「結核が不治の病だった」
というのは、本当に戦後すぐくらいまでで、特効薬の効果が同等なもので、
「不治の病ではなくなった」
と言われるようになるまでに、そんなに時間が掛からなかったのだ。
ただ、それでも結核というと、
「いきなり吐血する」
ということ、そして、
「伝染病である」
ということを考えただけでも、その恐ろしさというのは、どうすることもできない恐怖に見舞われるといっても過言ではないだろう。
確か伝染病というもので、不治の病と言われるものは、もっと他にもあったことだろう。
特に、
「定期的に、パンデミックとして発生した」
というものの中には、
「コレラ」
であったり、
「ペスト」
と言われるものもあったであろう。
ただ、これらの細菌は、今ではあまり言われることはない。
というのは、どこまでが事実なのか分からないが、
「細菌兵器」
として使用されることがあったからではないだろうか?
というのは、
「鎖国をしていた、江戸時代でも、日本で流行するくらいの感染力を持ったコレラ菌というものがあった」
という恐ろしい話を聞いたことがあった、
鎖国といっても、すべての国に鎖国をしていたわけではない。
「長崎の出島というところで、オランダ相手だけの貿易をしていた」
ということなので、
「外国から、伝染病が入ってきた」
ということであれば、
「オランダから、長崎の出島経由で」
というのが当たり前であっただろう。
「人間というのは、身体の中に、免疫を作る力を持っていて、それが、抗体という形のものとなるのだが、その抗体を作るためには、身体が、感染症に慣れている必要があるのではないか?」
と考えられる。
しかし、人間というのは、鎖国によって、伝染病が流行するという土壌にないので、いったん流行ってしまうと、もう抑えが利かなくなってしまう。
といえるだろう。
つまりは、
「集団免疫」
ということになるわけで、さすがに江戸時代、蘭学が盛んだったとはいえ、そこまで詳しく分かったかどうか、疑問であった。
そもそも、世界的にも、
「どこまで分かっていたのか?」
ということになるのである。
歴史というものが、
「鎖国の良し悪し」
ということで、
「歴史が答えを出してくれるのだろうか?」
というのは、
「歴史が答えを出してくれる」
という言葉は、どこまで信憑性があるというのだろう。
これは、ちょっと考えれば、矛盾だらけであるということが分かる気がするのだが、いかがなものか?
というのは、
「答えを出す」
ということであるが、その答えは、
「どこに着地点があるのか?」
ということである。
「目の前にある問題」
というものが提起され、そこからいろいろな問題が派生することで、
「結局は、どこが落としどころとなるか?」
ということで、答えが変わってくることになるだろう。
つまり、
「答えが流動的になる」
ということで、
「結論を出さなければいけない時が決まった時点で、その時に出た結論が、答えになる」
ということになるだろう。
しかし、
「歴史が出す答え」
というのはそれでいいのだろうか?
確かに、そういう考えでなければ、決定した答えというのが、明確になることはないのではないかといえるのだろうが、
「明確になる」
ということが大切なことなのか、
「その時期やタイミングで見極める」
ということが大切なのか?
ということである。
ただ、どちらにしても、
「明確にならなければ、結論ではない」
ということで、
「時期よりも明確さ?」
あるいは、
「明確さを度返しして、優先順位がタイミングだ」
ということのどちらかになるだろう。
と考えると、結果として、どちらも、
「交わることのない平行線に思えるのだ」
もっといえば、
「定期された時期」
と、
「結論が出るべき時期」
というものが、
「限りなく、交わることのない平行線を描いているということであれば、結果、明確化は永遠にされない」
ということになるかも知れない。
そうなると、
「抱いてくれるはずの、歴史の答え」
というものの、根本的な理屈が成り立たないということになる。
それを思うと、
「世の中に、他力で求めようとする答えは、どこまで行っても交わることのない平行線でしかなく。考えるだけ無駄だ」
といえるのかも知れない。
しかし、逆に、
「答えを求めようとする泰地が、平行線を、次第に交わる方向に捻じ曲げてくれているようで、まったく見えていなかった答えというものに、着実に近づいているのかも知れない」
ということを考えると、
「出してくれる歴史の答えは、それを求めさえしなければ、自然と分かるものではないか?」
と思えるのだ。
だが、
「答えを求めるから、答えというものが存在する」
というのも事実で、