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三人三様

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 三人がここで出会うのは、それぞれのルーティンにおいて、ちょうど会う時間ということなので、それぞれに、
「曜日のルーティン」
 というものがあるということで、
「いつも決まった曜日だ」
 といってもいいだろう。
 あかねは、近くの女子大生ということで、
「授業のカリキュラム」
 さらには、
「他の女の子との都合」
 ということから、ほぼほぼ曜日が決まっているということなのだから。
「あかねの確立が高くなる」
 というのは当たり前だった。
「このお店には、あかねちゃん以外女の子はいないのか?」
 という皮肉を平気でいうのが、坂口だった。
 皆常連ということで、ギリギリセーフという状態の皮肉というものが、うまく笑いのツボを押さえているということで、それが、
「坂口という男の最大の魅力だ」
 といってもいいかも知れない。
 ただ、それは、
「気心知れた相手」
 というだけでしかないわけなので、坂口のことを、陰で、
「井の中の蛙」
 といっている人も若干名いるようだった。
 もちろん、本人が知るわけもなく、相変わらず、
「周りから慕われている」
 と思っていた。
 さすがに、
「慕われている」
 というところは、
「こんなにもおこがましいのか?」
 と感じることではあったが、仲間内はひいき目に見ることもあって、
「自信過剰も悪いことではないしな」
 と思うのだった。
 なるほど、坂口以外の面々を見れば、皆控えめな性格だといってもいいが、
「少々、自信過剰であっても、それなりの成果を出す」
 という、坂口のようなタイプの人間がいるに越したことはない。
 と思っている。
 それは、
「その人が、まわりを引っ張っていく」
 ということからも言えるのではないだろうか。
「皆が引っ込み思案であれば、話題が出てきたとしても、そこから先に進むことはない」
 という、
「これが一番困る」
 ということであった。
 あかねは、それを踏まえても、
「坂口が苦手だ」
 と思っていた。
 それは、
「生理的に苦手だ」
 という意識があり、女の子のほとんどが、
「カエルが嫌いだ」
 という意識であった。
 そんな風に思っていると、あかねは、
「前世は、ナメクジだったのかも?」
 という気持ち悪い発想をした。
 それでも、
「カエルよりもマシか?」
 と考えるのだが、それは、
「三すくみ」
 の話を思い出すからであった。
 三すくみというと、カエルが出てくるではないか。
 どこから始まってもいいのだが、三匹が、それぞれに、
「一方向に働く力の均衡」
 というものである。
 ここで出てくる三匹というのは、
「ヘビ」
「カエル」
「ナメクジ」
 というものであった。
 それぞれに生き物である場合と、生き物ではない場合とでは、力関係は同じでも、その背景は少し違ったものとなるのだった。
 というのも、
「生物ではないもののたとえ」
 ということで出てくるのが、じゃんけんである。
 じゃんけんは、
「グーはパーに負けるが、チョキには勝つ」
「パーは直には負けるが、グーには勝つ」
 ということで、結果的に、
「チョキは、グーに負けるが、パーには勝つ」
 という、一種の
「三段論法のようなものだ」
 ということである。
「基本的に、三段論法というのは、それぞれに、三つのものがあり、A=Bであり、B=?であれば、A=Cだ:
 という、等号による、
「三段論法」
 である。
 しかし、こちらの、
「三すくみ」
 というのは、同じ三段論法であるのだが、その力関係が、一方向に向かって、円を描く形で、循環することで、
「半永久的に流動的なものだ」
 ということになるのだった。
 その三すくみというものを動物で考えたのが、
「ヘビ」
「カエル」
「ナメクジ」
 というものが、基本的な例とするものであるが、これは、
「ヘビはカエルを食べるが、ナメクジに溶かされてしまう」
「カエルは、ナメクジを食べるが、ヘビに食われてしまう」
「ナメクジは、ヘビを溶かすが、カエルに食べられてしまう」
 ということになるのだ。
 一つの密室の中に、この三匹を閉じ込めれば、どうなるだろう?」
 基本的には、三匹はまったく動けなくなってしまう。動物というものは、それぞれに自分の天敵というものを、本能で分かっているのか、遺伝子によって、組み込まれたものが、動かないようにされてしまうのか。どっちにしても、
「三すくみには逆らうことはできない」
 ということになるのだった。
 三すくみというのは、
「当事者になる」 
のと、まわりから、
「第三者として見ている」
 のとでは、まるっきり感覚が違うものではないだろうか?
 そもそも、密閉されたところで状態というのは、
「閉所恐怖症」
 というものが、人間にもあるのだから、他の動物にもあって、しかるべきと言えないだろうか?
 それを考えると、動物には、人間が感じている、
「高所恐怖症」
 であったり、
「暗所恐怖症」
 というそれぞれ三つがあることになるので、
「まさか、この三つも、それぞれに、三すくみ、あるいは、三つ巴の関係といえるものになるのではないか?」
 とも考えられると思うのだった。
 そもそも、三すくみというものは、
「一定の方向に力が加わることで、力の均衡を保つ」
 ということを定義するものである。
 だから。密閉されたところに、それぞれの天敵を置くと、まず、どちらを気にすることになるのだろう?
 自分のお腹が減っていれば、どうしても、餌の方に視線がいくことだろう。
 しかし、自分を狙っている相手も同じで、こっちを見ているはずだ。その視線を痛いほどに感じると、その相手を凝視するのは怖いので、恐る恐る横目で見るくらいしかできないが、
「心の目では、完全に相手を凝視している」
 といってもいいだろう。
 カエルであれば、それこそ、
「ガマの油」
 というものが、身体の奥から滲み出てくることになるだろう。
 それを思うと、
「三すくみ」
 という中での、
「ナメクジ」
 ということを考えれば、
「カエルは怖いが、ヘビは怖くない」
 ということになる。
 それは、女性としては、どうなのだろう?
 しかし、この三すくみを歌舞伎などで描いた作品があったが、
「ヘビとカエルは男性だ」
 ということであるが、ナメクジは、
「綱手姫」
 というお姫様である。
 それを思えば、
「ヘビが好きだ」
 といって、ヘビをペットにしている人の中に、
「女性が多い」
 と感じるのは、気のせいではないかも知れない。
 もちろん、巨大で、毒がなくとも、力が強いヘビというわけにはいかないが、
「にょろにょろ」
 といった表現で代弁されるようなヘビであれば、それくらいは、普通にありではないだろうか。
 ヘビの中には、
「耽美主義といってもいい」
 というくらいのきれいな種類もいる。
 それは、
「気持ち悪いというよりも、どこか、妖艶な雰囲気を醸し出す。女性というものの、本質を見ることができる」
 というものではないかと感じるのであった。
 あかねは、自分の家で、ヘビを飼っていた。
作品名:三人三様 作家名:森本晃次