三人三様
「夢の共有の意味が分かってきた」
という気がしてきた。
「そうだ、これを小説のネタにすればいいのではないか?」
と、坂口は考えた。
小説のネタというのは、結構、いろいろ転がっているのだが、
「ネタから、内容になって、オチに繋がっていく」
というところまでは、
「そうは簡単にはいかない」
と考えられるのだ。
というのも、
「小説を考えていると、結局、最後は夢だった」
という発想のものが結構あったりした。
それを、
「夢落ち」
と言われるようだ、
それは、ある意味、
「小説の書き方のテクニックの一つ」
と言われているのだが、
「それをいかにうまく読者を感心させるか?」
ということが問題である。
中には、
「伏線回収」
であったり、その話が、
「当然のこととして、実は最初から書かれていた」
ということでもあるだろう。
または、
「辻褄合わせ」
ということに使われる場合も多く。
「特に、夢のような話では、辻褄合わせが、その根幹にある」
といえるだろう。
辻褄を合わせるということは、その発想として考えられることは、
「デジャブ」
というものであった。
これは、夢に近い発想であり、ある意味、その範囲の曖昧さから、
「前世の記憶ではないか?」
とまで言われるほどで、そこから、
「遺伝子」
という発想が生まれ、夢というもので、意識のないものを、
「都合のいい解釈」
ということで考えようとする発想は、
「前世の記憶」
というものとして考えてもいいだろうという、発想に繋がっていくのだ。
そうなってくると、
「デジャブや夢」
というものは、その人だけに存在しているものではなく、
「その支配している時間を共有している人物が、同一の周波数のようなもので、結びついている」
と考えると、そこにあるのは、
「個人」
という発想ではなく。
「時間」
という範囲を限ったものと考えると、その地理的範囲は、時間的範囲の曖昧さとは、
「関係のないもの」
という発想になるのではないか?
と考えるのであった。
この発想が、
「夢の共有」
という発想を、可能ならしめるということになり、
「曖昧さが、都合よく考えられる」
ということになると、坂口は、
「自分が書こうと思っている小説が、湯水のごとくのアイデアを生んでくれるのではないか?」
と感じるのであった。
そうなってくると、
「ジャンルというのは、確かにSF小説なのだが、それだけではない、他のジャンルを凌駕しているように感じられ、これから書こうとする小説というものが、あずは、プロットを書くということに掛かっている」
と思ったのだ。
それまで、数本の小説を書いてきたが、プロットなるものは書いたことがなかった。
「きちっとしたものを書いてしまうと、早く結論にたどり着かないと、忘れてしまう」
という発想に至ってしまうことで、結局最後には、支離滅裂となり、まったく何が言いたいのか分からないということになるのだ。
「そうだ、小説って、何かが言いたいから書くものではないのか?」
と考えた。
正直、小説を書くようになって、
「何かを言いたい」
という発想になったことがなかったような気がした。
「何を言いたいのか?」
ということを考えると、きっと、書いている内容が、カオスになってしまうことで、考え込んでしまい、
「それまで書こうと思った内容が、個々のイメージも浮かんでくるということがない」
ということになってしまうのだ。
今まで、小説を書いてきた中で、一つの共通点を思い出した。
「必ず、誰かが自分の考えを後押ししてくれているように思えた」
ということであった。
それが、最終的に、
「楽をしよう」
という発想から、
「夢落ち」
という形にされてしまうということを、自覚するのか、寸でのところで思いとどまることができるどころか、最初から思い浮かべていた小説の結末が、思い出されるのであった。
つまり、小説の内容を書いている時というのは、
「夢落ち」
をゴールのように考えていたから書けるということであったが、それが、結末近くまでくると、
「今度は、夢落ちしないようにするために、かつて思ったであろう発想が浮かんでくる」
ということだが、
「それが、本当のことなのか?」
と考えてしまうのは、
「夢落ち」
という発想を、自分では、あまりいいことのように思っていないが、まるで、
「その気持ちを証明しているかのように感じられる」
ということが、
「夢を都合よく導いて、それが、自分にとっての、SF小説だ」
と感じるようになった。
だから、今のところの、
「坂口の小説」
というのは、
「最初から、夢落ちありき」
だということになるのだろう。
大団円
大迫は、実は、昔、あかねと付き合った時期があった。
ただ、これは、
「大迫とあかねの見解の違い」
というものが大きくあり、
「あかねは、真面目に付き合っているつもりだったが、大迫は、遊びだったのだ」
次第に、あかねが、大迫の本性に気づくようになると、大迫のことを避け始めた。
大迫とすれば、
「なぜ、あかねが自分のことを避けようとするのか分からない」
なぜなら、
「自分の態度に変わりはないのに、なぜ?」
と考えたからだ。
最初から、騙すつもりなどない大迫だったが、そういう意味では、大迫という男の、恋愛感覚というのは、かなりずれていたといってもいいだろう。
そんなあかねの態度に、
「俺って裏切られた?」
と思った大迫は、自分の方が、あかねから遠ざかったかのようになったのだ。
そうなると、あかねの方も、
「何を相手は、自分が被害者面しているのかしら?」
と思い、完全に冷めてしまった。
それを思った大迫も、完全に離れてしまい、大迫の方は、違う女に乗り換えたということだったのだ。
だから、この店に偶然入った時、あかねがいた時は、さぞや驚いたことだろう。
しかし、二人とも、表情に出さなかったのは、本当に、お互いにどうでもいいと感じたからであろう、
特にあかねの方は、完全にどうでもよく。それよりも、
「誰かと付き合いたい」
などという気持ちにさせないように導いてくれたという意味で、皮肉を込めてではあるが、大迫に感謝していた。
ただ、大迫が、そんな人間だということを、坂口も殿山も知らないようだ。大迫だけが、あかねのことを知っているということで、大迫は、ただその事実だけで、あとに二人よりも先に進んでいるというような気持になっているようだった。
「何を、そんな」
ということになるのだろうが、大迫のように、
「女性との交際は、身体目的か、ただの遊びというだけで、他にはない」
と思っているので、ある意味、アッサリしているという意味で、いいのかも知れない。
あかねの方も、思ったよりも、あっさりした気持ちにさせてくれたという意味と、
「男の本性がどこにあるのか?」
という意味で、こんな男がいるということが分かっただけでもありがかたかった」
といってもいいだろう。
だが、あかねという女性は、