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三人三様

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「さすがに長けているのが、政治家や警察」
 ということで、
「どうせ、警察になんか、分かるもんか」
 と思った。
 しょせん、事件となって、その検挙率に関係がなければ、
「すぐにでも、自殺として処理するのが、面倒くさくなくていい」
 ということになるのだろう。
「国民全員が、死ぬまでに一度は感じるであろう、警察や政治家に対して思うことではないか?」
 といえるであろう。
 彼が付け加えた、
「続編が、やっと、返ってきた」
 警察が押収したとはいえ、あて名は坂口であり、しかも、その内容は、坂口が書いた小説の、、
「続編」
 ということである。
 確かに、商業本ということでもなく、ただの趣味の域を出るものではないが、立派な、「著作権を有する小説」
 ということである。
 警察の捜査に必要なのかどうか分からないが、本来であれば、捜査令状のようなものがあってもしかるべきだろう。
 死んだ人のものに、捜査令状は関係ないのだろうが、少なくとも、あて名は、
「生きていて、著作権所有者なのである」
 それを考えると、警察といえども、粗末に扱うことは許されないはずだ。
 しかも、これは、
「死んだ人間の遺品でもあるのだ」
 一種の、
「形見」
 あるいは、
「遺言」
 といってもいい。
 それを粗末に扱うなど、ありえないだろう。
 その内容がどういうものなのか、返ってきたものを見たのだが、
「どうせ警察に分かるわけはない」 
 というものであった。
 もし、それが、探偵小説であったり、ミステリ^であれば、まだ、
「何かの参考になる」
 といえるかも知れない。
 と思ったが。
「それも、逆かも知れない」
 と感じた。
 というのは、
「警察官というのは、とにかくプライドが高いものだ」
 ということである。
 以前見た推理サスペンスドラマなどで、探偵が出てきたのだが、その時の担当刑事が、やたらと、探偵に対して、
「牙をむいている」
 というのだ。
 ライバル意識をむき出しにしているのが見て取れるのだが、見ていて、その過敏さに、
「必要以上の感情だ」
 と思わせたのであった。
 しかも、探偵がどんどん、謎を解いていくものだから、
「探偵に出し抜かれてばっかりだ。警察のメンツにかけて、ここで一つ大きな発見をしないと」
 といって、捜査員の尻を叩いているという感じだった。
 ただ、不思議なことに、最後には、
「事件を解決した探偵」
 に対して、深々と頭を下げ、
「いやぁ。お見事でした。我々に解決できそうにもなかったので、私は、どこかに飛ばされるところでしたよ」
 といって、最後に感謝しているのが、印象的だ。
 やはり、
「警察というのは、権力に弱いところだ」
 といってもいいだろう。
 それだけ、
「探偵の歯切れのいい推理、さらには、警察の無能さというのが浮き彫りになり、日ごろから威張り散らしているように思う警察に対して、スカッとさせられるところが、サスペンスの醍醐味だ」
 といってもいいだろう。
 超兵器を持っていることで、
「相手よりも優位に立つことができる。
 というのは、当たり前のことである。
 だからこそ、相手は、
「こっちよりも、強い武器を持とうとするわけであり、それにより、お互いに、攻撃をすれば、すべてが終わりだ」
 ということは分かり切っている。
 そのうえで、
「抑止力」
 として、その武器を使う。
 もっといえば、
「使わなくても、持っているだけで、平和が守れる」
 という、
「三段論法的な発想」
 というものが、当たり前のように言われるようになったのだ。
 これこそ、前述の神話というもので、一番怖いのが、
「偶発的に起こる事故」
 というものである。
 天災による、不慮の事故というのもあるだろう。
 しかし、人災による不慮の事故というのは防げない。
 確かに、
「兵器の発射ボタン」
 というのは、
「一人では押せない。押したとしても、それが、作動するには、数人が、持っているボタンが押されないといけない」
 ということになるのだ。
 それこそ、
「金庫の鍵を持っている人物と、金庫を開ける暗号を知っている人物が別」
 ということで、厳重に開かないように仕組みを考えているのと同じで、
「地球を、破滅させる兵器のボタンというものは、最高に厳しい状態にしておかなければいけない」
 ということだ。
 確かに、
「ボタンがいくつもあれば、それだけ厳重なのだろうが、それだけ用心していることで、問題となるのは、心のゆるみ」
 というものだ。
 一番怖いのは、そういう、
「人の心に入り込んでくる、安心感であったり、油断というものである。それを、車のハンドルなどにおける、遊び部分と一緒に考えるということができないであろうか?」
 いくら、油断してはいけないといっても、押さえつけるだけでは、どうしようもない。
 何といっても、
「人間が頭で考えて見つけた答えでなければ、うまくいくはずがない」
 というのは、
「ハンドルの遊び部分」
 のようなものではないか?
 あの時、スナックで、坂口が、
「遊び」
 という言葉をフラっと出したことで、その時に、他の二人、大迫と、殿山二人は、
「同時に、何かを感じた」
 ということであった。
 殿山が、
「余裕がある」
 という方の遊びを思い浮かべたのは、一種の、
「年の功」
 なのかも知れない。
 それだけ、たくさんの経験をしているということであり、
「その分、勉強もしているということで、他の二人とは違うんだ」
 と、その時に、感じることで、心の余裕というものを、自分が得たのだと感じたとしても、それは無理もないことであろう。
 しかし、あの時に、大迫も、あかねも、それぞれ遊戯であったり、風俗のような遊びを考えたというもの、無理もないことだ。
 それぞれ、
「普通なら頭に浮かんでくるであろう」
 という、遊戯、
 たぶん、大迫は、
「遊戯と聞いて思い浮かぶものが、何なのか?
 ということで、最初に思い浮かべものが何かによって、自分を顧みるということをしたのではないだろうか?
 ただ、一つ言えることは、
「自分が経験したことのないものは、絶対に想像することはないだろう」
 ということで、まず最初に、除外されるであろうことは、
「風俗関係」
 であった。
 これは、もちろん、最初に感じる時から、まったくないことであったが、あとから思い浮かべた時には出てくるものであった。
 というのは、
「後から思い浮かべたという時があって、その時には、風俗経験があった」
 ということであり。それは、逆に、
「後から思い浮かべたのは、風俗経験をしたからだ」
 という逆の発想から生まれたものなのかも知れない。
 そんなことを考えていると、大迫が、初めて行った風俗の印象がどうだったのか? ということを思い出させた。
 それは、
「思い出した時、つい最近のことだったはずなのに、かなり前のことのように思えた」
 というものであった。
 それは、かなり前ということではなくて、少なくとも、坂口が、
「遊び」
 という言葉を言った時に、思い浮かばなかったことだというのが分かったからだ。
作品名:三人三様 作家名:森本晃次