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記憶の時系列

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「そんな人間は存在しない」
 と言い切っておいいだろう。
 なぜなら、本当に世界を憂いているのであれば、
「SF作家が思いつくという、これくらいのことであれば、政治家が思いつかないというのも、おかしなことだ」
 と言えるだろう。
 つまりは、
「普段から、真剣に平和について考えていないか?」
 あるいは、
「政治家や軍部の首脳にいるほどの、知能を持った人間が、皆無だ」
 ということになるだろう。
 そんな人物がいたとしても、結局は、
「数の理論」
 ということで、多数派に押しつぶされているのかも知れない。
 いや、それよりも、
「見えない秘密結社のような連中に、つぶされないように、表に出てこない」
 ということになるしかないだろう。
「代理戦争」
 の発想は、しょせん
「地球の代理戦争の発想の域を出ることはない」
 ということになるに違いない。

                 「生殺与奪」の権利

「生殺与奪の権利」
 という言葉を聞いたことがあるだろうか。
 これは、今の時代であれば、あまり耳にする言葉ではないが、古代文明の時代から、行われてきた、
「奴隷制度」
 と呼ばれるものが、その根底にあるというものである。
 特に古代文明というと、
「絶対的な君主」
 というものがいて、その君主は、国家においての、
「全権力を掌握している」
 といってもいいだろう。
 決定権をすべて、国王や皇帝が保有していて、それにより、前述のような、
「世襲制度」
 というのが、生まれてくることになる。
 日本でも、
「江戸時代のような、徳川幕府」
「室町時代における、足利幕府」
 などがそうである。
 しかも、日本には、
「天皇制」
 と呼ばれるものがあり、すでに、
「2600年以上」
 と言われる、
「皇歴」
 を持っているのである。
 世界にも類を見ない、
「万世一系」
 の皇族は、日本の特徴であり、敗戦時、
「戦争犯罪として裁く」
 ということも考えられたが、いろいろな理由を総合的に考えて、
「皇族の継続」
 ということになったのだ。
 世界的には、古代文明において、
「絶対君主制」
 というものが、世界では主流となっていた。
 奴隷には、
「人権というものがなく、あくまでも、領主のために生きている」
 といってもいい状況であった。
 つまり、
「使い物にならなければ、死んでも構わない」
 という考え方であっただろうか。
 それを、今の人間であれば、
「ありえない」
 あるいは、
「そんなひどい」
 というかも知れないが、
「じゃあ、人間がペットを飼うのはどうなんだ?」
 と言われたとして、
「いやや、可愛がってる」
 というだろうが、その実、裏に潜んでいるものがどういうものなのか、
「誰が分かるというものか?」
 ということである。
「絶対君主」
 というのは、世襲である。
 奴隷政府度がない時代でも、
「国王による専制政治」
 というものはあった。
「朕は国家なり」
 と言った国家もあったくらいで、民主化の波が訪れると、その国においては、
「王政と、民主化を繰り返す」
 ということになるだろう。
 それだけ、
「絶対権力」
 であったり、
「皇帝」
 という言葉には、それだけの魅力があるもので、今までにも、
「民主化になるために英雄となった人が、権力を持つと、皇帝になりたいという願望が働くのは当たり前」
 というものであった。
 たとえば、
「フランス革命」
 の後で出てきた英雄である、
「ナポレオン=ボナパルト」
 しかり、さらには、
「清国」
 を倒し、民主政府としての、中華民国の第一人者である、
「袁世凱」
 という男も、
「皇帝」
 として名乗りを挙げた。
 しかし、実際には、
「欧米列強すべての国から、承認が得られず、結局、半年で、退位する形になったのだが、それだけ、皇帝という地位には、麻薬のような魅力があるということであろう」
 といえるのだった。
 ただ、かつての王朝は、
「前の帝国を潰し、新たな帝国が台頭してくる」
 というだけで、王朝の母体は変わっても、
「帝政」
 であることの変わりはない。
 特に、中国という国は、新たな王朝が出てきても、すぐに、いろいろな原因で衰退していき、
「別の王朝にとって代わられる」
 ということを繰り返している。
 日本でも、中世はそうだっただろう。
「鎌倉幕府は、その体制を築くまでに少し時間が掛かったが、元寇という侵略にあったことで、封建制度の元である、論功行賞ができなかったことが原因で滅亡した」
 といえるだろう。
 敵を撃退しても、相手の国に攻めていって、領土を拡大したわけではないので、褒美にやれる土地があるわけではない。
 しかも、御家人は、
「国家の存亡ということで、褒美を見越してであろうが、全財産を投げうってまで、国防に徹した」
 のであるが、それがまったく報われることなく、国防のせいで、自分が窮地に追いやられるという、一見、
「本末転倒」
 といえる自体に陥った御家人は、たくさんいた。
 そうなると、
「幕府ではダメだ」
 ということで、今度は、
「朝廷による政治」
 に期待し、朝廷軍に味方して、
「鎌倉幕府を滅亡させた」
 のだが、今度は、朝廷が、武士を無視して、公家中心の政治に戻そうとしたものだから、今度は、命を懸けた武士が怒りを感じ、
「新しい幕府」
 に期待をかける。
 ということになったのだ。
 足利幕府は、15代続いたが、その力が幕府として機能したのは、ほぼ、3代までくらいだっただろうか?
 いみじくも、鎌倉幕府における、
「源氏」
 が、3代しか続かなかったというのが、同じというのは、偶然で片付けてもいいのだろうか?
 ただ、これはm
「徳川幕府」
 にも言えることだったであろうか・
 こちらも、最盛期といえば、あとで考えれば、
「3代将軍」
 である、
「家光」
 の時代だったといってもいいだろう。
 家光までに、
「幕府の基礎」
 を築くことはできたが、
「基礎を築いた」
 というだけで、それ以降は、特に、
「財政的に、ずっと問題を抱えることになった」
 といってもいい。
 基礎を築くまでに、やった改革としては、
「それぞれの大名の力をそいで、幕府中心にした」
 ということであった。
 それが、
「諸大名にたいしての、改易」
 であったり、
「一国一城制度」
 であったり、
「武家諸法度」
 によって、大名を締め付け。さらに、
「参勤交代」
「天下普請」
 などによって、諸大名に金を使わせることで、力をそいでいったのだ、
 それで、幕府の体制は確立されたが、決定的だったのが、
「キリスト教撲滅」
 ということを目的として行った、
「鎖国政策」
 によって、ほとんど、貿易ができなかったのが、大きかったであろう。
 諸大名にとっても、大きな痛手であったが、それは、幕府にとっても同じこと。だから、それ以降の江戸時代の歴史というと、学校で習うことというと、
「〇〇の改革」
 などという、
「経済政策」
 ばかりであった。
 特に、
「8代将軍」
 である、
「徳川吉宗」
 から以降の、
「田沼時代」
 から、
作品名:記憶の時系列 作家名:森本晃次