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記憶の時系列

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 犠牲になった人には、気の毒ではあるが、ただ、それでも、まだ政権交代も起こらず、その政党が政権を握っているというのは、
「国民もバカだ」
 ということになるのだろう。
 考えてみれば、パンで見くが流行る10年くらい前には、野党が政権を握っていた。
 その理由は、その前に巻き起こった社会問題が引き金だったのだ。
 というのも、その問題というのが、
「年金を消した」
 ということで、
「消えた年金問題」
 といわれるものだったが、言葉は詭弁であるが、実際には、
「厚労省の、ずさんな管理が数年にわたって行われていたことで、年金を誰がいくら受け取れるかということが分からなくなってしまった」
 ということで、
「数百万人の年金が分からなくなった」
 ということであった、
 それが分かったのは、
「IT計画」
 ということで、今まで紙の世界であったものを、
「ペーパーレス化する」
 ということで、
「コンピュータへの打ち込み作業を行っている時に、どれが誰のものか分からなくなっていることが分かった」
 というひどさであった。
「今までなんで分からなかったのか?」
 ということm大きな問題だが、
「今まで紙の管理だったのか?」
 ということが、
「時代錯誤も甚だしい」
 といってもいいだろう。
 それが、
「消えた年金問題」
 というもので、
「政権交代が、やっと起こった」
 ということだったのだ。
 前述の、
「世界的なパンデミック」
 というのは、
「その発生を予期でいなかった」
 ということから、防ぐことができなかった。
 といえるかも知れないが、あくまでも、それは、
「百歩譲って」
 といっていいだろう。
 しかし、
「年金消失問題」
 は、言い訳ができるものではない。
 何といっても、
「人災」
 であり、
「防ぐことは十分にできた」
 というよりも、政府機関として、
「あってはならないこと」
 ということで、政府が瓦解するというのも当たり前のことであった。
 それを考えると、
「政権交代も当たり前」
 ということであったが、今度は一気呵成に与党となった政党が、さらに輪をかけてひどかった。
「大きな震災」
 というものがあったことで、無理もないことではあったというのと、
「電力会社」
 による、こちらも人災で、
「10年以上経った今でもまだまだ問題が大きく残っている」
 ということを引き起こしたのは、不幸だったともいえる。
 しかし、
「起こってしまったものは仕方がない」
 ということにして、その対応が最悪だった。
「一番苦しんでいる被災者に向かって、暴言を吐く」
 ということもあったのだ。
 それが、何と、その時の、
「ソーリだ」
 というから、開いた口が塞がらない。
 当然のごとく、またしても、たった一期で、また政権交代が起こり、前の、
「年金を消した与党」
 に戻ってきたのだ。
 そう、
「もうこの時点で、亡国は確定だ」
 といってもいいだろう。
 それが、今の政府であるのだから、
「パンデミックの時」
 だけではなく、それ以外の時でも、政策は、皆茶番だったといってもいいだろう。
 しかも、ソーリは、
「疑惑まみれ」
 であり、
「軍国主義にしようとしている」
 といわれていた人であったりしたのだが、それでも、
「前のソーリよりはましだ」
 ということなのだから、この時点で、
「亡国確定だ」
 といっても、無理もないだろう。
 それが今の政府であり、しかも、今のソーリは、
「史上最低のソーリ」
 といってもいいだろう。
 何といっても、国内で、パンデミックのせいで、苦しんでいる人が多いのに、本来であれば、中立を保たなければいけないのに、その国に無償で援助するという、ソーリだからである。

                 代理戦争

 まだソ連が現存していた頃、前述のような、
「東西冷戦」
 という時代があった。
 その間に、
「代理戦争」
 と呼ばれるものがあったのだが、これはどう解釈すればいいのか、少し難しいところである。
 東西冷戦において、一番の問題となっていたのが、
「核開発競争」
 であった。
 核兵器を持っているということで、第二次大戦が終了してから、
「これで、戦争は不可能」
 となった。
 とまで言われた。
 最初は、アメリカしか、核兵器を持っていなかったので、もちろん、使うということはないだろうが、
「核の保有」
 によって、その地位を、明らかに優位にしていたのだ。
 しかし、そのうちに、しかも、思っていたよりも早く、ソ連が核兵器を持つことができるようになった。アメリカによる、
「核の優位性」
 というものは失われたが、ソ連が核保有国になるということで、
「核の抑止力」
 というものが働いているということになるのだった。
 核一発で、兵器の威力は、その時代でも、
「一一つの大都市を廃墟にできる」
 というものであった。
「ヒロシマ」
「ナガサキ」
 が、その例である。
 しかも、あとから、
「放射能の本当の恐ろしさ」
 というものが分かってくると、最初の破壊力だけではなく、
「死の灰」
 あるいは、
「黒い雨」
 と呼ばれるもので、
「人が住めなくなる」
 ということになるのだ。
「実際に核開発が続き、核保有国の所持している核爆弾を分かっているだけでも、数えると、1万発は、ゆうにある」
 ということである。
 それを考えると、
「すべての核爆発が起これば、地球規模の星が、いったいいくつ消えてなくなるだろう?」
 というほどではないだろうか?
 さらに放射能の恐怖もある。
 もっとも、
「地球外生物」
 というものがいるとすれば、
「放射能など、ものともしない」
 という生物であったり、逆に、
「放射能をエネルギーとする生物」
 ということになるかも知れない。何しろ、真空状態で、相手は生きているということだからである。
 そういえば、以前読んだマンガの中で、中学時代に流行ったのだったが、大人になっても、次世代の人にファンがいて、よく読まれている本があったのだが、そのマンガの途中の話に、
「代理戦争」
 の話があった、
 これは、大人になって考えた時、
「子供時代には、その本当の面白さを分かっていなかったのではないか?」
 と感じた。
 その証拠に大人になってから見た時。
「こんな話だったっけ?」
 と感じるのだ。
 しかし、そう感じたからといって、違和感があったり、不可思議な気持ちになったりしたわけではない、
 どちらかというと、
「子供の頃は、理解しようとして見ていた」
 と思っているが、実は、
「自分には理解できない」
 という思いが強く、それを認めたくないという思いが、そうさせているのではないか?
 と考えられるからではないだろうか?
 だから、大人になると、
「理解できて当たり前だ」
 と感じることが、無意識に自分を理解させようという思いを誘発し、無理なく、考えることができるようになっていることに気づかされる。
 それが、
「大人と子供の発想の違い」
 であって、それがいい悪いということではなく、
「自然に感じることができるようになるのが、
作品名:記憶の時系列 作家名:森本晃次