小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

記憶の時系列

INDEX|2ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 などといわれる学校である。
 親は、それが私立でも、
「何とか行かせてやりたい」
 と思うのだが、それがそのうちに、
「親の対面による、親同士のブランド」
 というものに、その舞台を移していることが多い。
 小学生の頃から、
「勉強しなさい」
 が口癖になり、さらには、
「〇〇ちゃんは、今度、私立中学を受けるらしいわよ」
 と、自分には関係ないはずなのに、余計なプレッシャーをかけてくる。
 それどころか、
「ちゃんと勉強しないと、お父さんのようになってしまうわよ」
 といって、イライラを爆発させるかのように言う親もいる。
「やり玉に挙げられた父親」
 というのは、かわいそうなもので、
 当時の昭和40年代というと、とにかく競争社会であった。
 子供は学校で、親は会社で、そして、母親は、井戸端会議でである。
 しかも、その頃に、
「共稼ぎ」
 という家は今ほどそんなに多くなく。
「専業主婦」
 というのが、当たり前の時代だった。
 当然、公園や近所、買い物するためのスーパーなどで、よく親同士が話しているのを見かけたものだが、その時代くらいから、郊外に、
「閑静な住宅街というもの」
 ができてきたのだ。
 そんな住宅街において、
「昭和の頃の喫茶店」
 というものが、できてきた。
 今のような、
「カフェ」
 のチェーン店ではなく、一見、普通の一軒家に見えるようあところに、看板が出ていることで、知らない人は近くにいかないと分からないようになっているのだった。
 そんな昭和のカフェというと、例えば、近くの商店街でお店を出している店長が、朝は、開店の準備が終わると、開店までに、モーニングを食べにくるということも多かった。
 そんな店長が増えてくると、朝は、
「店長たちの、談話場」
 という雰囲気を醸し出しているのだった。
 そんな喫茶店で、昭和50年代ともなると、今度は、主婦が集まってくるようになる。
「アフタヌーンティ」
 などといって、ある程度の家事が落ち着いてくると、主婦のたまり場となってくるようになったのだ。
 その頃には、会社の残業も増えてくるようになった。経済が回るようになってきて、日本企業が、世界のトップを独占するという時代がやってくると、当然、事業も増えてきて、
「残業をしてでm」
 というところが増えてくる。
 だが、それでも、
「会社から小言は言われるが、やればやっただけの成果が得られ、残業手当も当たり前のようにもらえるので、社員も、頑張れる」
 ということになるのだ。
 それがそのうちに、
「バブル経済」
 というのを生み出し、未曽有の好景気が若干続いた後、そのあとは、
「奈落の底」
 である、
「バブルの崩壊」
 を迎えることになる。
 その、
「山の麓」
 くらいの時代に、郊外への住宅地ができてくるようになる。
「通勤はきついけど、一国一城の主」
 になれるというのは、これ以上の悦びはないというものであった。
 もちろん、数十年というローンが続くことになるだろうが、日本という国は、
「年功序列」
 ということで、
「終身雇用」
 が当たり前なので、その状態は、
「半永久的に続く」
 と誰もが思っていただろう。
 しかし、それが、
「夢幻」
 だということに気づくことになったのは、
「バブルの崩壊」
 というものを迎えた時に、いきなり襲ってきた。
「銀行の経営破綻」
 であった。
 今までは、
「銀行というところは絶対に潰れない」
 といわれてきた。
 仕事は地獄のようなノルマであったり、毎日、日にちが変わるまでの残業という、今でいうところの、
「ブラック企業」
 の最先端のようなものだったが、それでも、
「一旦入れば、安泰だ」
 といわれるだけ、実際に、少々の布教が襲っても、銀行が潰れるということはなかったのだ。
 しかし、
「バブルがはじける」
 ということになると、最初に潰れたのが銀行だった。
 その理由というのは、普通に考えれば、
「当たり前」
 ということであるが、それは、
「貸付金の焦げ付き」
 だったのだ。
 そもそも、銀行というところの利益というのは、
「個人や法人に金を貸して。その利息がそのまま利益になる」
 というのが、大まかな利益なのだ。
 しかし、そのために、銀行はどうするかというと、たとえば、
「1000万円を貸してほしい」
 といってきた相手に、
「150万円ではどうですか?」
 という甘い言葉をかけて、過剰融資を仕掛けるのだ。
 バブル経済というのは、
「事業を拡大すればするほど、利益が生まれる」
 という仕掛けになっていた。
 そもそも、実態のないものだからであり、だから、
「泡のような」
 ということで、
「バブル経済」
 と呼ばれたのだ。
 そんな経済において、借りる方も、
「それなら」
 といって、気楽に借りてしまう。
「返せる自信」
 というものがあるからだろう。
「利益がどんどん膨らむ」
 としか、借りた方も思っていないのだから、当然といってもいいだろう。
 銀行においても、
「利息が5%だとすれば、1000万であれば、50万の利子でしかないが、2000面ということにでもなれば、100万円の利子が付くことになる」
 もちろん、
「元本が満額返ってくる」
 という前提にたってではあるが、
「そこは最初から疑う余地もない」
 という時代であった。
 だが、バブルがはじけるとどうなるか?
 元本すら返ってこないということになり、下手をすれば、
「不当たり2回で、倒産」
 ということに、貸した会社が突入すれば、それこそ、言葉通り、
「元も子もない」
 ということになってしまうのだ。
 本来であれば、
「誰もバブル経済に警鐘を鳴らす人はいなかったのか?」
 と思えるのだが、
 そんな危機を口にしようものなら、
「せっかくの好景気をみすみす逃すことになる」
 と思っていたのか、それとも、
「最後にはm政府や銀行が何とかしてくれる」
 という甘い考えがあったのかも知れない。
 それとも、
「あれだけの好景気だったのだから、少々何かあっても、すぐに落ちなおす」
 という思いがあったのかも知れない。
 または、
「せっかくの好景気に、余計なことをしてしまうと、それが経済を揺るがすことになると、その責任は自分に来る」
 ということで、せっかくの好景気に、
「水を差す」
 というようなことは誰もしないことであろう。
 それを考えると、
「経済というのは生き物だ」
 ということで、これほど取り扱いの難しいものはない。
 何といっても、その中に、相場であったり、株というような、
「変動制のある」
 というもので、儲けようとした結果がこれだったのだ。
「土地ころがし」
 という言葉が流行ったほど、土地の値段は、どんどんと上がり、
「持っているだけで、ものすごい資産だ」
 ということであろう。
 そんな時代の、
「変動制のあるもの」
 それこそが、
「バブルの正体だ」
 といってもいいだろう。
 そんなバブル経済が破綻しているということを、まだ誰も知らない間に、
「〇〇銀行が破綻した」
 という信じられないニュースが飛び込んできたのだ。
 昔から、
作品名:記憶の時系列 作家名:森本晃次