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記憶の時系列

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「満州という国では、ほとんど農地として活用できるわけでもなく、さらには、取れる資源も、南方のものと違い、かなり劣化しているものだ」
 ということであった。
 戦後、日本に帰った人が、北海道の土地に開拓民として渡ったということであるが、これが、まるで、
「満州に夢をもって渡った時と同じ」
 ということであったが、今回は、騙されたわけではなく、ほぼ強制的だったといってもいい。
 何しろ、戻ってくるはずのない人たちだという計算が、政府にはあったからで、北海道の開拓という話も、
「ただの欺瞞でしかない」
 ということであった。

                 精神疾患

 最近の横川は、
「自分に精神疾患があるのではないか?」
 と感じていた。
 会社に行っても、仕事に集中できない時が多く、何といっても、
「物忘れが激しくなってきた」
 のだった。
 年齢的にも、そろそろ50歳が近づいてきたということで、
「物忘れの激しさも、しょうがないか?」
 と、思うようになってきた。
 ただ、この、
「精神疾患」
 というものは、
「今に始まったことではないな」
 と思うようになっていたのだ。
 というのは、
「今までにも何度か、物忘れに関しては、気になったことがあった」
 最初に気になったのは、小学生のっ高学年の頃だった。
 この時は真剣に、
「俺はどうかしたのではないだろうか?」
 と思っていたのだ、
 それがどういうことなのかというと、
「いつも、宿題を忘れて、先生に叱られていた」
 という記憶があったからだ。
 というのは、
「宿題が嫌で、やらなかった」
 というわけではなかった。
 どちらかというと、
「そっちの方がまだよかった」
 といってもいいくらいで、
「宿題が出ていたということを、自分で覚えていなかった」
 ということだったのだ。
「確かに、宿題というものを、鬱陶しいと思っていたのも事実だが、だからといって、宿題が出ていたことを、すっかり失念してしまっていたなんて」
 というのだ。
 それが、一回だけではなく、何回もあった。最後には、全く覚えていないというのだから、どうしようもなかった。
 当然まわりの大人たち、
「担任や親たち」
 というのは、
「真面目に生きていないからだ」
 というレッテルを貼ってくることだろう。
 それも分かっていて。正直、自分でも、
「どうして覚えられないんだ」
 と思っているくらいだ。
「一番腹が立っているのは、この自分ではないか」
 ということなのである。
 だから、余計に、当事者の皆が苛立っているのである。親も先生も、
「情けない」
 というだけで、その原因を突き止めようとはしない。
 完全に、
「真面目にやっていないからだ」
 と決めつけている。
 確かに、
「覚えていない」
「簡単に忘れる」
 というのは、
「そのことから逃げているからだ」
 といってもいいだろう、
 もし、自分が大人の立場であれば、そうとしか思わないということも分かっている。
 それを考えると、
「小学生の高学年ということになると、もうすぐ大人なので、今のままではいけない」
 という焦りがあったのも、無理もないことだった。
 まだ、
「宿題が嫌で、やらなかった」
 という方が、どれだけまだよかったのか?
 ということを考えると、
「自分がどうかしていた」
 ということであっても、それが一度であれば、まだいいが、こんなにも毎回ということになると、焦りしかなかったのだ。
 しかし、これも考えようで、
「宿題を忘れているということが毎回だということは、ある意味、自分の中に、ブレというものがない」
 ということであり、
「必ず、その中に何か答えがあるに違いない」
 と思えたのだ。
 ただし、それは、ある一点にだけ集中していると見えないというもので、それが、
「ブレない」
 という気持ちと、
「集中して一点を見つめる」
 ということでは違うということを認識できるかどうかであった。 
 そもそも、
「集中する」
 ということと、
「一点を見つめる」
 ということも、同じ視点で見るということからして、間違っているのではないかといえる。
「集中する」
 ということは、一
「見つめる一点が分かったその後で、そこに対して集中する」
 ということで、
「一点を見つめる」
 ということは、
「何の根拠もなく、ただ漠然と、その一点を見つめるということで、自分が探しているものを探そう」
 という管変え方からきているものであり、
 ある意味、
「正反対」
 ということである。
 だからといって、これも、
「いい悪い」
 という問題ではなく。
「順番が問題なのだ」
 ということを証明しているということであった。
 ただ、生まれる結果は、正反対になることが多い。
「集中する」
 ということは、ほぼ、いい方に結果が出るということが多く、逆に、
「一点を見つめる」
 ということは、
「視野が狭い」
 と言われ、結果が出ないことで、まわりから、
「もっと視野を広げて」
 というアドバイスを受けることになるというのは、疑いようのない事実だといっても過言ではないだろう。
 集中力というものを高めようと考えるのであれば、ある意味、いい方に展開することが多いのだろうが、
「いつもそうだ」
とは言い切れないだろう。
 特に、横川の少年時代においては、
「視野を広げる」
 という意識よりも、
「集中しよう」
 と思う方が確かに強かったはずなのだ。
 ただ、これは、大人になってから思ったことだが、
「段階を踏まえないといけない」
 ということがあるということである。
 最初に、
「視野を広げる」
 という発想から、次第に、
「集中力を高める」
 というように、
「発想を転換させることが大切だ」
 ということになるのだ。
 ただ、
「いつの時点でm切り替えるのか?」
 ということを、自分で把握できていないと、五里霧中の中で、答えを見つける前に、自分が、
「迷路でさまよってしまう」
 ということになり、
「逃れられない、府のスパイラルに突入してしまう」
 ということに気づいたのは、いつの頃だっただろうか?
 ただ、小学生の頃、
「宿題が出ていたことすら覚えていない」
 ということへの解決策として、
「解決までに、いくつかの段階があり、その優先順位であったり、考えるはずの順番を間違えてはいけない」
 ということに気づいたのだ。
 もちろん、それは、
「宿題を忘れる」
 ということに対しての話であって、他に似たような事例が起こった時も、
「すべて同じ発想でいい」
 という根拠はどこにもなかった。
 それは分かっていることであり、
「何かがあったら、必ず一度は、その時の自分の発想で、考えてみないといけない」
 ということだったのだ。
 その思いが、大学生になる頃まで、分かっていて、今度は大学生になってから、また物忘れが激しくなっていたことに気づいたのだ。
「人との約束を忘れてしまう」
 ということが多かった。
 ただ、これは、厳密にいえば、
「忘れていた」
 というわけではなく、
「勘違いをしていた」
 ということであり、それは、
作品名:記憶の時系列 作家名:森本晃次