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記憶の時系列

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「人の上に人を作らず」
 と言った言葉を、
「すべての人間にいえることだ」
 と思っている人はいないだろう。
 せめて、
「人の上に人を作らず」
 と言った言葉に、疑問を抱いている人はいるだろう。
「その人たちがどれだけ、その理屈に近づくことができるのか?」
 それこそが学問というものであり、それが、
「交わることのない平行線である」
 ということを、ウスウス感じながらも、それでも、見えてくる答えを探そうと思っている人間こそが、
「学問を志している人たち」
 ということで、
「諭吉からつながる学者たちだ」
 といってもいいのではないだろうか?
「学問というものが、いかに大切なことであるか?」
 ということを誰が分かっているのか。
「国民の三大義務である教育というものは、学問を受ける義務ではなく、学問を受けさせる義務なのだ」
 ということだ、学問を受けるというのは、
「権利だ」
 ということになるだろう。
「権利と義務」
 それぞれに正反対のものだ。
 これは、
「受けるものと与えるもの」
 という意味もある、
「受ける」
 という言葉を、
「奪う」
 と解釈すると、
「与える、奪う」
 というのは、それぞれに、
「義務、権利」
 だと言ってもいいだろう。
 だから、
「生殺与奪」
 というものは、それぞれに、
「生きるということを与える」
 というのは、義務ということであり、
「殺すということで、命を奪うというのは、権利だ」
 といってもいい。
 だから、本来であれば、
「生殺与奪」
 という言葉を一つにしてしまうのは、考え方としておかしいのであり、問題は、
「命を奪う」
 つまり、
「人を殺すことを権利」
 ということになるのだろう。
 ただ、この言葉は、本当に、
「人の命のやり取りまでを権利とした」
 というわけではなく、
 誰かの人生に対して、その決定権を大きな影響力によって、ある程度掌握しているということをいうのだという。
 つまり、
「これから送る、その人の人生に、大きな影響を持っているので、その人の意志とは関係なく、その人の人生を決めることのできる存在という人が持っている。その人に対しての権利」
 というものが、
「生殺与奪の権利」
 ということになるのだというのだ。
「本当の生命のやり取り」
 というものに対して、大きな影響力を持っているというわけではないのだろうが、奴隷などのように、
「一般人としての、人権のない」
 と思われていた人間に対し、その国の支配者であったり、国家元首などのような、
「絶対的な権力を持った人間」
 によって、裁判を経ることがなく、その人物の判断で、死刑に処したりする場合のことをいう。
 つまり、当時のその国家にとっての奴隷には、
「人権」
 というものが通用しなかったということなのか、それとも、
「国家権力というものが、奴隷に対しては、法律よりも、強いものだった」
 ということになるのだろうか?
「生殺与奪の権利」
 というのは、
「そういう影響力のことである」
 といえるもので、
 いわゆる、
「暴君」
 と呼ばれた人はたくさんいたようだが、中には、
「皇帝ネロ」
 などが、いわゆる、
「暴君」
 として、名をの推しているが、彼は、一種の粛清のようなことをやったようだ。
「波乱に満ちた一生であった」
 といっていいのだろうが、それこそ、彼の人生には、
「生殺与奪の権利」
 が付きまとっていたといってもいいだろう。
 しかし、そんな
「生殺与奪の権利」
 というものは、
「誰か一人が有しているから、問題だ」
 ということではないだろうか、
「人の人生に大きく影響を与える」
 ということであれば、戦争と呼ばれる、
「有事」
 というものは、それこそ、
「生殺与奪の権利」
 というものを有しているといってもいいのではないだろうか?
「大日本帝国」
 などでは、
「国民のことを、臣民と呼んでいる」
 ということであったが、この臣民というのは、
「国家にとって、平時の場合は、法律に則った、権利義務が、与えられているのでだが、それが、有事となると、国民は、国家の行う戦争のために、その権利の一部をはく奪される」
 ということが、やむを得ないということになるのだった。
 例えば、
「赤紙」
 というものもそうであろう、
 いわゆる、
「召集令状」
 というもので、
「兵役」
 というわけではなく、国家にとって、
「兵員が足りない」
 ということで、臨時徴用されるということであった。
 また、戦時体制ということで、
「国家総動員法」
 というものが発せられると、家庭の金属なども、その対象となり、
「戦争に必要なものであれば、廃品でなくとも、回収の対象として、国家に提供するものである」
 とする、
「金属類回収令」
 というものがあった。
 要するに、
「武器を作るのに、資源が足りない」
 ということで、金属類を多く家庭などに求めたのだ。
 中には、
「罰当たり」
 といえるものもあり、
「神社仏閣」
 というものにある金属も例外ではなあった。
「釣鐘」
 であったり、
「金属製の大仏」
 というのも、供出の対象であり、
「鋳つぶされて、兵器にされてしまったものも少なくなかった」
 ということであった。
 日常生活に影響おW与えるというだけではなく、
「戦争突入」
 ということで、政府には、これこそ、いかにも、
「生殺与奪の権利」
 といえるものがあった、
 いわゆる、
「戦陣訓」
 などというものが、それではなかっただろうか。
「虜囚の辱めを受けず」
 ということが叫ばれ、
「戦いに敗れたならば、相手に対して辱めを受けることなく、その場で、命を断て」
 ということで、
「青酸カリ」
 などの毒薬や、
「戦場となった場所において、戦況が圧倒的に不利になると、少しでも、敵兵を巻き込んで死ねとでも言わんばかりに、手りゅう弾というものが渡された」
 ということであった。
 アメリカ兵が、捕虜勧告をしようと、下手に取り囲まれた女子供に近寄ろうなどとすると、
「相手は、自分たちをまきこんで、そのまま自爆してしまう」
 ということで、
「うかつには近寄れない」
 のであって、
 しょうがなく、捕虜にしようとすれば、こっちの命が危ないということで、射殺もやむを得ないということも、現地ではあったことだろう。
 その組織的な行動が、
「玉砕」
 というものである。
 なるべく、最後まで耐えに耐えて戦闘を行っていた、兵であったり、非戦闘員も、追い詰められて、
「もう、組織的な作戦も立てられない」
 という状態になった時、
「玉砕」
 という形の捨て身の戦いを挑むことになる。
 これは、それこそ、
「死にに行く戦い」
 ということで、
「捕虜になるくらいなら」
 という考えの下、戦闘に参加している。
 といってもいいだろう。
 確かに、大日本帝国では、戦争突入後、
「鬼畜米英」
 ということで、
「捕虜になると、何をされるか分からない」
 ということを言われていた。
 さらに、当時の戦闘は、米英戦の前、3,4年に渡る、中華民国との間に、
「宣戦布告」
 のないまま続いていた、
作品名:記憶の時系列 作家名:森本晃次