いたちごっこのフレーム問題
もっというと、
「人間が生み出したもの」
という、社会教訓のようなものがあった。
というのも、当時の問題となっていた、
「公害問題」
「核エネルギー」
などといった、人間が生み出した、
「負の遺産」
というべき、自分たちが利用したその後の、廃物といってもいいものが、エネルギーとして固まった時、その副産物として生まれたのが、
「怪獣」
ということで、本来であれば、
「憎むべき相手」
ということではなく。一種の戒めのようなもののはずなのだが、それを、地球防衛軍や、宇宙方やってきた正義のヒーローが、そんな怪獣を駆逐するという、ある意味、理不尽なストーリーだということである、
また、これが、
「地球を侵略しようとする宇宙人」
が敵だということであれば、
「自分たちが生み出したものではない」
ということで、相手は完全な侵略者ということで、
「正義は地球人にある」
という話で、勧善懲悪を貫けるというものだが、なかなかそうもいかない。
というのも、
「勧善懲悪の話だけでは、放送期間のクール、話が続かない」
ということであった。
というのも、これらの番組のほとんどが、30分番組で、
「一話完結」
というものだった。
だから、
「一年間」
というクールであれば、単純に考えれば、52話。途中で、別の特別番組が入ったとしても、45話以上は必要となる。
「宇宙からの侵略」
というだけが、テーマの番組であれば、とても、
「勧善懲悪」
というだけで、この期間を持たせるのは、難しいといえるだろう。
だから、どうしても、バリエーションが必要になる、それが、
「宇宙人にとっては、理不尽なこと」
という理由も中には含まれた。
特に、
「地球人が打ち上げた、観測ロケットを、相手が、侵略と勘違いして、地球に攻めてくる」
というものであったり、
「地球に、宇宙船の故障の修理に立ち寄って、燃料補給をしようと思っただけなのに、いきなり、侵略者扱いをされてしまった」
ということ、さらには、
「地球防衛のための新兵器の実験場として、打ち込んだその星に、生物がいたことで、突然変異して、地球に復讐にやってくる」
という話だったりする。
それらの話は、そのほとんどが、
「地球上における、当時の世界情勢に鑑みたもの」
といってもよかった。
そうでないと、なかなか架空の情勢を毎回思い浮かべるのは無理であろう。
だから、そのほとんどが、当時の一番の国際問題であった、
「東西冷戦」
というものが、テーマだった。
それが、
「代理戦争」
であったり、
「核開発競争」
であったり、
「国境紛争問題」
であったりと、どこかで聞いたことがあるような話が多く、そのために、その都度起こる国際問題を、
「宇宙からの侵略」
ととらえる形での、皮肉だったといってもいいだろう。
今から思えば。
「よく、当局の検閲がなかったものだ」
と思えた。
もっとも、ものが、
「子供向け番組」
ということもあって、すべてにおいて、検閲もできないし、何よりも、
「民主主義」
というものが、
「報道の自由」
「表現の自由」
というものによるということが大きかったのだろう。
大日本帝国時代に、あまりにも戦時下においての検閲の激しかったことが、今度はその反省から、ほとんど検閲に引っかからないという建前だった。
実際にどれほどの検閲がかかったのかは分からないが、テレビの視聴者としては、
「ほとんど引っかかっていないのではないか?」
と思えた。
それだけ、制作側も気を遣って制作しているということであろうから、ある意味、お互いにうまくいっているということではないだろうか?
それを考えると、
「放送倫理がしっかりし始めた時代だった」
といってもいいだろう。
テレビブームの最初からそうだったことで、それほど、大きな問題にならなかったというのは、それだけ、放送倫理に関して、理解があったということでいいだろう。
それが、当時の、
「空想特撮物語」
といわれるものであった。
そちらが全盛期くらいの頃に、登場したのが、
「ロボットもの」
と呼ばれる番組だったのだ。
最初は、
「巨大ロボットもの」
が主であった、
そして次第に、
「人型ロボットの、アンドロイドやサイボーグなどというもの」
が流行り出したのだった、
どちらにしても、前述の、
「空想特撮もの」
との違いというのは、ある程度、その違いがハッキリしていたといってもいいだろう。
というのが、
「ロボットもの」
というものは、
「空想特撮もの」
と違って、
「相手が、悪の秘密結社のようなものが暗躍している」
ということである。
悪の秘密結社に対して、正義の防衛隊のような組織は、その対応策として、
「巨大ロボットを創造する」
というストーリーで、悪の組織は、まずそのロボットを倒すという意味も込めて、攻撃用巨大ロボットを出動させ、街を破壊したりして、正義のロボットを誘い出し、そこでやっつけるというストーリーであった。
実際には、ざっくばらんに話しているが、そのストーリー展開は、もう少し定義がある話であろうが、さすがに、
「空想特撮もの」
ほど、勧善懲悪に特化した話が、毎回あるわけではない。
だから、これらの話は、
「一話完結」
というものではなく、クールを通して、共通の敵との闘いというのが、テーマとなるのだった。
つまり、ストーリーのスローガンは、
「悪の組織の壊滅を目指す」
というものだったのだ。
「組織同士の戦い」
とおうことで、
「自然発生的」
であったり、
「宇宙からの侵略者を倒す」
という、
「空想特撮もの」
とは、明らかな一線を画していた。
だから、それぞれにファンはいるというもので、
「どちらも好きだ」
という人ももちろんたくさんいるだろうが、
「どちらかの方が、より好きだ」
という人が結構多く、子供たちの間で、ファン層が分かれるというのも、無理のないことであっただろう。
そして、
「巨大ロボットもの」
と、その後に出てきた。
「人型の、アンドロイドやサイボーグ」
というものでも、その違いが明らかだったりする。
というのは、
「巨大ロボットもの」
というのは、基本的に、
「リモコン装置」
のようなものを使っての、
「遠隔操作によるものでの、操縦」
という形をとるか、あるいは、
「操縦精機があり、その中に乗組員が乗り込んで、直接操縦するか」
というものであった、
つまりは、
「ロボットに意志というものはなく、あくまでも、人間から操縦される」
というものであった。
中には、
「操縦されるものの中には、意志を持つロボットもいて、あくまでも、ロボットは操縦する人間との間の信頼関係で動く」
ということをテーマとしたものもあった。
もちろん、ごくまれなケースであったが、
「画期的な発想だ」
といってもいいだろう。
しかし、今度は、
「人型」
つまりは、
「等身大」
のロボットということで、いわゆる、
「アンドロイド」
と呼ばれる、
「構造が完全に、ロボットである」
作品名:いたちごっこのフレーム問題 作家名:森本晃次