いたちごっこのフレーム問題
「日本海海戦における陰の立役者」
といわれた、
「下瀬火薬」
であったり、
「伊集院信管」
などの発明、さらには、
「ゼロ戦、ハヤブサ」
などの航空機開発というものに関しては、世界に誇れるほどの、日本の科学力だったといってもいいだろう。
だから、弱体と言われた
「明治日本」
が、
「世界の超大国」
である、
「ロシア」
に勝てたわけだし、大東亜戦争における、緒戦での、
「連戦連勝」
がなしえたわけである。
大東亜戦争においては、前述のように、
「熟練パイロットの損失」
というものが大きく尾を引いた。
というのは、
「新鋭であり、それだけ、高度な操縦テクニックを要するゼロ戦を乗りこなせる人がいなければ、ゼロ戦は、ただの飾り物」
ということになる。
戦争後期には、
「鉄などの徴用」
ということで、兵器を作ることができなくなっていたが、それも、操縦できる人がいないことで、いたずらに、兵器を兵とともに、損失してしまったことが、大いに影響をもたらした。
ということになるのであった。
そんな科学技術が発達した国家において、
「資源に乏しい」
というのは、致命的であった。
そもそも、日本が開国した時、最初は、
「外国人打ち払い」
ということで、
「尊王攘夷」
という考え方に伴って、行っていた運動であったが、運動に力を入れていた藩が、皮肉なことに、いや、必然といえば必然に、
「海外の威力を思い知らされる事件を引き起こし、その報復に、攻撃される」
ということがあった。
それが、長州藩の、打ち払い令に伴っての、関門海峡砲撃事件に端を発した、
「四国艦隊砲撃事件」
が起こり、薩摩藩は、生麦事件を発端として、
「薩英戦争」
というのを引き起こした。
それにより、
「攘夷の実行は不可能だ」
ということを思い知った両藩は、坂本龍馬などの力により、
「薩長同盟」
というのを結んだことによって、双方で、
「今の幕府では、外国の勢力に対抗できない」
ということで、
「調停を中心とした新しい政府」
を作るということをたくらむようになったのだ。
そのこともあって、日本では、
「尊王倒幕」
という運動が盛んになり、
「幕府を支援するフランスと、朝廷を支援するイギリスとの間の、
「代理戦争」
という側面もあったりして、
「幕府の滅亡」
をもって、明治維新がなされたのであった。
ただ、外国とは、致命的な、
「不平等条約」
というのを結んでいて、その解消にということで、
「スローガン」
というものが、
「富国強兵」
「殖産興業」
というものであった。
「国を富ませて、兵を強くする」
「産業を興して、国を豊かにする」
ということであった。
それらの考えによって、
「明治政府ができはしたが、最初の混乱を何とか抑えるまでには、かなりの時間がかかった」
といってもよかった。
というのは、
「それまでの武士というものが、どうすればいいのか分からない状態になり、廃刀令などの命令に屈辱でしかないことから、反乱が絶えなかったりもした」
確かに、
「槍働きの戦など、今の時代では通用しない」
ということであったので、本来なら、武士も軍隊に入ればいいだけではないかと思うのだが、それまでの、
「武士」
ということに、誇りをもって生きてきたではないか。
それが、
「武士道」
というものであって、それを捨てるというのは、あまりにもひどいということになるだろう。
日本の科学力というものは、アメリカの発想力と結びついたりして、
「いい方に、回転することもあった」
戦後の日本では、工業技術が発達して、海外の手法を、
「真似る」
ということが上手で、
「加工技術が優れている」
ということで、海外で開発されたものを、日本の加工技術で、新たなものとして、よりよい製品を作り上げることで、経済の成長を支えてきた。
だから、車の大量生産技術と、高性能なものを作れるという、
「精密機械の部分」
にて、その手の器用さというものを生かして、
「輸出」
というものに、力を注げるようになってきたといっても、過言ではないだろう。
その器用さと、かつての科学技術に長けていたという日本の技術とが、日本の経済発展を支えたことで、生活も豊かになり、その分、
「文化面での発展」
というのも、大きくなってきたのだった。
文化面でいえば、
「小説」
などもそうだが、
「日本固有の文化」
ということで、マンガが出てきたというのも、その特徴であろう。
そのマンガが原作となって、当時普及されてきたテレビの番組制作において、最初は、
「マンガの実写化」
ということで、いわゆる、
「特撮もの」
というのが流行り出した。
「空想特撮シリーズ」
ということで、いわゆる、
「SFマンガが原作」
ということで、
「正義のヒーローと、怪獣や、宇宙の侵略者との闘い」
というのが、人気になってくる。
ただ、前述のように、
「ターゲットが、どうしても子供」
ということで、まだまだ、テレビの普及が少ないことで、
「チャンネル権は、父親にある」
ということになり、子供が見れないという状態で、視聴率は悪かった。
といってもいいだろう。
ここからは、作者の勝手な考えだが、だから、当時は、再放送がたくさん放送された、それが、いつも夕方で、まだ、お父さんが帰ってきていない時間に、学校から帰ってきた子供が見ることになるので、その時間の視聴率は結構高かったことだろう。
「ひょっとすると、本放送よりもいいかも知れない」
というのは、その時間というのは、ゴールデンタイムといっても、お父さんなどが、
「野球を見る」
という時間で、子供が、
「怪獣ものを見たい」
といっても、父親が承諾してくれるわけはない。
「だから、ゴールデンタイムの本放送の時間帯の視聴率が悪くても、再放送であれば、市長室が稼げるということで、その時間にスポンサーもつければ、スポンサー代が稼げる」
ということになるのだ。
基本的に再放送では、あまりスポンサーも金を出さないが、
「子供が見てくれる」
ということは、スポンサーも、子供向けのものが多いだけに、
「お金を出しても問題ない」
ということになるわけだ。
それを思うと、当時、夕方の子供番組の再放送タイムは、結構長く続いていたという記憶があるのだ。
そんな子供番組において、ロボットマンガというのも、
「空想特撮シリーズ」
と並行して放送された。
こちらも、同じような、
「勧善懲悪」
の番組で、それこそ、
「時代劇」
のような感覚だった。
しかし、こちらの
「空想特撮シリーズ」
と、
「ロボットもの」
の違いというのは、ある程度歴然としていた。
というのが、
「ロボットもの」
というのは、必ず、後ろに組織が暗躍している。
ということであった。
「空想特撮シリーズ」
というのは、まず、怪獣や宇宙人というものが、敵の存在としてあるわけだが、
「怪獣」
だけが出てくるのであれば、そのほとんどは、
「生物としての自然発生によるもの」
ということであった。
作品名:いたちごっこのフレーム問題 作家名:森本晃次