いたちごっこのフレーム問題
しかも、その精神を、民間人一人一人に焼き付けられているということは、他の民族から考えれば、想像もできないことだろう。
「日本人は、武士道を下に戦っている」
と言われるゆえんであった。
そのうちに、アメリカも、日本が怖くなってくる。
「手負いの獅子」
は、必死に食らいついてくるというようなもので、
「日本とまともに戦ってはいけない」
ということになるであろう。
日本の兵器も最新鋭であり、ゼロ戦などというのは、
「日本において、ジェット気流と、ゼロ戦に出くわせば、逃げろ」
といわれたほどだ。
そもそも、日本が、
「大東亜戦争の分岐点」
といわれた、
「ミッドウェイ海戦」
において、致命的だったのは、
確かに、空母4隻を失ったというのは、痛かったが、それよりも、
「熟練のパイロットを数多く失った」
ということで、それ以降の、航空作戦で、ゼロ戦を乗りこなせる人が、ほとんどいないということになったのだ。
「そんな日本とまともに戦っては、被害が大きい」
ということと、
「早く戦争を終わらせないと、いけない」
ということから、アメリカも非常手段に訴えることになるのだ。
それが、
「本土空襲」
というものであり、さらに、
「原爆投下」
という暴挙だったのだ。
そもそも原爆開発は、
「ナチスが原爆開発を行っているので、アメリカも開発しないといけない」
という、
「アインシュタインと、シラードからの手紙」
によって、マンハッタン計画ということで始まったものだったのだが、
「ナチスの降伏」
と、
「実際には、原爆開発というものを行っていなかった」
ということで、アメリカも、そこで
「原爆開発をやめればよかった」
ということなのだろうが、そうもいかなかった。
というのは、
「戦後における、共産主義国との、対立が、分かり切っていた」
ということだったからだ。
特に、ベルリンやポーランド問題。さらに、日本や朝鮮問題などである。
だから、アメリカは、
「ソ連に対しての絶対的な優位性」
というものを持つ必要があった。
だから、原爆開発から、原爆実験までを行っていた。
その間に平行して、
「日本に落とす」
という前提で、
「投下候補地」
を練っていた。
「戦禍に見舞われていないところ」
あるいは、
「破壊力を図れる大都市」
などという条件で候補が絞られていく。
その中で一番問題に上がったのが、
「京都」
だった。
政治家や軍は、
「京都に落とすと、その後の占領政策をやりにくくなる」
ということで反対をしていたが、科学者からすれば、
「破壊力を正確に把握することができる最高の場所」
ということで、議論となったが、最初の目的地として一番言われたのが、
「ヒロシマ」
だったのだ。
広島というところは、
「日本で最初に大本営が置かれた場所だ」
ということがあったからだ。
もちろん、軍港の呉が近いということ、広島という土地が戦禍に比較的見舞われていないということも理由だが、大本営の存在が一番大きかったのだ。
大本営というのは、
「陸海軍の有事における作戦室のようなものであり、昔の本営地ということである」
もっといえば、
「大本営」
というのは、軍国主義の象徴で、その最初にあった大本営土地を破壊するということは、政治的に大きな意味を持っているということであった。
それが、、大日本帝国における、
「屈辱」
というものでもあった。
日本への原爆投下によって、戦争が早く終わったというのは間違いないことであろう。
しかし、本当に、とどめとなったのかどうかは、怪しいところである。
というのも、日本は、真面目に、
「アメリカの本土上陸を、国民総動員して迎え撃つ」
という、
「本土決戦」
というものを考えていた。
特に、陸軍はその意見が強かった。
当時の日本において、一番強い力を持っていたのは、
「陸軍」
であり、その発言力も大きかったといってもいいだろう。
それが、
「ポツダム宣言受諾」
ということに動いたのは、もちろん、御膳会議での、天皇の、
「ご英断」
というものがあったのもその一つだが、
「もうだめだ」
と考えることが、長崎に2発目の原爆が落とされた時に、あったのだった。
というのは、
「ソ連の参戦」
というものであった。
確かに、ソ連という国は、アメリカ、イギリスなどの、連合国に与していたが、それ以前に、日本とは、
「日ソ不可侵条約」
というものを結んでいたのだ。
もっとも、ソ連は、同じ条約を、
「ナチスドイツ」
とも結んでいて、実際に、
「ヒトラーによって、一方的に破棄される」
ということで、自国を危うくしたという経験があったので、その報復というわけではないが、
「そんな条約、紙に書いた餅のようだ」
といってもいいだろう。
それを考えると、ソ連の満州侵攻というのも、しょうがないといえばしょうがない。
ただ、日本は、実は水面下で、
「戦争が危なくなってきた時、外交として、不可侵条約を結んでいるソ連の仲介によって、和平条約を結ぼうと考えていた」
ということであった。
すでに、戦局は、日本に圧倒的に不利になっているので。どうすることもできないという状態では、誰が考えても、
「仲介をソ連に頼んで、和平を結ぶ」
ということしか考えられなかったといってもいい。
政府や軍とすれば、
「本土決戦」
というのは、その和平交渉のための、一種の時間稼ぎ。
つまりは、
「国民を盾にして、国防を考える」
というとんでもないことになっているといってもいいだろう。
本当に、それしか、日本の取るべき道はなかったということで、それ以外には、
「一億総玉砕」
ということで、
「日本民族の滅亡」
ということに本当になっていたかも知れない。
何しろ、
「捕虜になるくらいなら」
ということで、
「国民に、青酸カリが配られた」
という話まであるくらいだ。
そうなると、
「天皇だけが生き残る」
ということになり、日本という国は、この世から姿を消していたに違いない。
そうやって終戦を迎え、大日本帝国は滅亡していくのだった。
空想特撮ものと、ロボットもの
大日本帝国の盛衰に関して、
「無謀な戦争」
であったり、日本が、
「完膚なきまでにやられた」
という発想は、
「敗戦」
ということだけを切り取って考えるから、そういう発想になるのであって、
「確かに日本という国は、致命的に資源の少ない国だ」
ということだから、余計に、
「大日本帝国は、後進国であり、超大国に戦争を吹っかけるというのは、まるで、小学生が、プロに野球の試合を申し込むようなものだ」
という印象になってしまい、
「すべてにおいて、劣っている」
と考えがちだが、
「実際にはそんなことはない」
といってもいいだろう。
特に、日本という国において、その科学力というのは、
「アンテナ技術」
においての、
「八木・宇陀アンテナ」
という技術であったり、
「日露戦争」
における、
作品名:いたちごっこのフレーム問題 作家名:森本晃次