小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

いたちごっこのフレーム問題

INDEX|4ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 

 をしたことで、
「戦争が終わる」
 というだけではなく、その後の占領下における、混乱などが、問題だったりしたのだ。
 そもそもが、無差別爆撃などによって、国土のほとんどは、焦土と化していた。
 廃墟の中からの占領政策ということであったが、まずは、
「武装解除」
 が一番だった。
 そして、いくつかの政策がとられたのだが、
 特に、農地改革であったり、財閥の解体などの具体的な対策が行われ、それを総称して、それまでの大日本帝国としての、
「立憲君主」
 という体制から、
「民主主義体制」
 への変換が必要だった。
 特に問題となるのが、
「新憲法の作成」
 だったであろう。
 何といっても、憲法というのは、
「国民を取り締まるものではなく、国民を統治するための法律を作ったり、その法を守る政治家などを取り締まる」
 というものだからである。
 大日本帝国では、軍部が、戦争遂行のために、どうしても、その強権によって、国民の権利を奪うということを行っていたが、それは、民主国家ではありえないことだ。
 だから、新憲法を作ることによって、原則として、
「国民主権」
「基本的人権の尊重」
 そして、何よりも、
「恒久平和」
 ということが原則となった憲法の制定であった。
 占領された日本であったが、占領政策としては、それほど厳しいものではなかった。
 そもそも、第二次世界大戦に突入した理由はいくつかあるが、その中で一番大きな問題だったのは、
「第一次大戦において、敗戦国であったドイツに対して、無理難題を押し付ける形となった、ベルサイユ体制の崩壊」
 というものであった。
 ベルサイユ体制というものは、
「敗戦国であるドイツに対して、多額の賠償金を課し、それによって引き起こされたハイパーインフレであったり、絶対に返済できるわけもない賠償金に苦しめられる中、ほとんどの植民地も失う」
 というような、それこそ、
「集団リンチ」
 ということで、列強は、
「これで、戦争を起こすことなどできないだろう」
 という甘い考えをもっていたのだろうが、ドイツ国民の中で芽生えたのは、
「独裁政権であっても、強い政府によって、国家が導かれ、今の不幸から助けてくれる救世主を持ち望む」
 ということであった。
 それが、アドルフヒトラーであり、彼が、当時のドイツの象徴として、再軍備を始めたことで、経済復興にもつながり、ドイツ国民に、
「他の国にはない、自分たちの屈強な精神力と団結力で立ち直った」
 という気概から、ナチスを熱狂的に支持した背景があったのだ。
 そういう意味では、
「ナチスを生み出したのは、ベルサイユ体制」
 というものであり、
「他国の考えが甘かった」
 ということになるのだろう。
 だから、日本などの、敗戦国の統治においても、かなりの神経が使われたことであろう。
 何といっても、一番の懸念は、
「第三次世界大戦」
 というものを起こしてはいけないということであった。
 そのためには、
「日本の武装解除とm軍の解体」
 というのが、一番だった。
 そして、もう一つは、日本人の心のよりどころといってもいい、
「天皇制」
 という問題だった。
 実はこれが一番の問題で、
「天皇制を存続させるか?」
 あるいは、
「戦争の罪を天皇にも負わせて、一気呵成に、天皇制を廃止に導くか?」
 というのが大きな問題だった。
 これは、マッカーサーの考えもあったのだが、
「天皇制をいきなりなくすと、占領統治にも支障をきたす」
 ということもあって、
「天皇制を生かし、ただ、戦争犯罪人というのは、厳罰に処す」
 ということから、
「極東国際軍事裁判」
 いわゆる、
「東京裁判」
 というのが行われたのだ。
 この裁判において、元になったのは、
「ドイツを裁く」
 ということで行われた、
「ニュルンベルク裁判」
 に則った、
「ABC級犯罪者」
 というものの処罰だった。
 この、
「ABC」
 というのは、何も、
「罪のランク付け」
 ということではない。
「平和に対する罪」
「人道に対する罪」
「通常の戦争犯罪」
 という種類を、便宜上、
「A級戦犯」
 などという言葉で表現したのだ。
 しかし、
「人道に対する罪」
 というのは、ドイツではあったが、日本ではなかった。
 それは、やはり、人種撲滅を行ったドイツにおける
「ホロコースト」
 を裁くためのことだったのだろう、
 だとすれば、
「731はどうなるのか?」
 ということであるが、証拠がないので、そこは、裁かれることはなかったのだ。
 そんな
「東京裁判」
 においては、7人の処刑者が出たということであり、しかも、その処刑の日というのが、
「昭和23年12月23日」
 だったというのは、皮肉というか、占領軍による作為的なものだった。
 今の上皇である当時の皇太子の誕生日だったのだ。
「いずれ天皇となる皇太子が、自分の誕生日が来るたびに、戦争犯罪人が処刑された日だということを思い出し、戦争を起こさない国にという決意を新たにする」
 ということが狙いだったという。
 日本国において、
「終戦記念日」
 というのが、
「8月15日」
 ということになっているが、これが果たして正しいのだろうか?
 しかも、名目が、
「終戦記念日」
 である、本来であれば、
「敗戦日」
 という命名のはずではないだろうか?
 それに、この、
「8月15日」
 という日にちも、これはあくまでも、天皇が国民に対して、
「ポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏を行った」
 ということでの日であって、確かに、日本人向けであれば、問題ないのかも知れないが、世界史的に言えば、
「8月15日というのは、何の拘束力も、何もない日」
 ということになる。
 諸外国に、
「無条件降伏を受け入れる」
 ということは、すでにそれ以前に報告されていたし、何よりも、
「天皇の玉音放送で戦争が終わったわけではない」
 ということだ。
 だから、本来であれば、
「戦艦ミズーリの甲板上で、停戦の調印が行われた、9月2日が、本来であれば、日本がいうところの、終戦記念日だ」
 といってもいいだろう。
 しかも、もっといえば、
「終戦記念日」
 というものを、最初に、日本国の、休祭日を決める時、
「建国記念の日」
 ということでの、候補に、何と、
「8月15日」
 というのがあったということを聞いた時、開いた口が塞がらなかった。
 何といっても、この日は日本にとっては敗戦の日であり、立ち直る日ではない。まだ、
「独立を果たした日」
 というものを、
「建国記念の日」
 ということであれば分かるのに、なぜ、わざわざ、終戦記念日とした日に当てたのか? 
 ということであった。
 しかし、これも分からなくもない。
「武装解除」
「軍国主義の解体」
 というものが始まり、
「民主化に踏み出した」
 という記念日だということであれば、
「なるほど」
 という理屈もあるというものだ。
 しかし、実際には、そんな生易しいものではなく。まだまだ、再軍備であったり、軍国主義を続けようという勢力もあり、他の主義からの介入などもあり、とにかく、