いたちごっこのフレーム問題
ということと、当時の食糧問題などの、
「やんごとなき理由」
などによって、日本は、
「満州事変」
というものを引き起こした。
それにより、
「日本の言い分は、国際社会から否定され、結局孤立した日本は、自給自足の道を歩むしかなくなってきて、しかも、資源に乏しい日本は、海外の資源地帯に進出するしかないということに追い込まれ、戦争に突入を外圧で余儀なくされた」
ということになったのだ。
「誰が好き好んで、戦争などしたいというのか?」
というもので、
しかも、敵は、当時の超大国、アメリカ、イギリスである。
パッと考えただけで、
「勝ち目のない戦への突入」
ということになったのだ。
それでも、突入しなければいけなかったのは、
「日本には致命的に資源が少ない国だった」
ということで、日本が、北部仏印に進駐したことで、欧米が日本に対して、
「輸出禁止」
という、
「経済制裁」
に踏み切ったことが大きい。
「これは完全に日本にとっては、籠城戦であり、欧米からは、日本が、占領した地域を解放し、明治維新の状態に戻らない限り、経済制裁を解かない」
という、いわゆる、
「ハルノート」
と言われる、一種の戦争における、
「最後通牒」
なるものを提示されたことで、
「いよいよ戦時体制」
ということになってきたのだ。
その時、日本には、
「大東亜共栄圏の建設」
という大義名分があることで、戦争への突入に対して、国民の意思高揚と、士気の高さを植え付けることができた。
当時の日本では、
「中国の反日運動などによって、嫌がらせであったり、通州事件のような、大虐殺事件が起こったりと、日本人にとっては、
「中国許すまじ」
という状態だったこともあって、
「マスゴミが国民を煽った」
ということもあり、
「戦争を止めることは誰にもできなかったのだ」
と言えよう。
だから、歴史の授業などでは、
「軍の独断専行が戦争を招いた」
と言われるが、それは間違いだ。
逆に、軍も政府も、戦争には、むしろ消極的というか、冷静に戦争を考えた時、
「勝ち目はない」
と思っていたのだ。
当時の大日本帝国というのは、
「政府と軍」
というのは、それぞれで存在していた。
「政府の配下に軍がある」
というわけではなく、大日本帝国には、
「天皇の統帥権」
というものがあった。
つまり、
「国家の主権は天皇にあり、帝国陸海軍は、その天皇の直轄として、天皇が軍を統帥する」
ということであったのだ。
だから、政府といえども、軍のことには立ち入ることはできず、作戦も、漏洩を恐れ、知ることはできなかったというのが実情であった。
だから、陸軍大臣や海軍大臣といえども、彼らは一部の権利を軍に持っているだけにすぎず、軍の作戦などに対して、一切の口出しはできず、知ることもできなかったというのが、実情であった。
それが、結果として、政府と軍の足並みがそろわなかったことで、何度か戦争を辞める機会があったにも関わらず、やめることができなかったのだ。
v 元々、大東亜戦争を始めた時に、青写真があった。
というのも、
「戦争開始とともに、先制攻撃を行い、戦争を有利に進めることで、半年くらいの間に、占領地域を増やすことで、相手の戦意を挫き、反戦ムードが高まったところで、日本から講和に持ち込む」
というのが、大まかな作戦だったのだ。
「それが、唯一の勝利でしかない」
という、まるで日露戦争における、
「薄氷を踏む勝利」
をもう一度いばらの道として歩まなければならなかったのだ。
日本国の誕生
実際に、日本は、その道を歩むことになるのだが、
「海軍における、真珠湾攻撃」
さらに、
「陸軍における、マレー上陸作戦」
などと、うまくいった作戦もあったが、実際には、真珠湾において、
「宣戦布告前の攻撃だった」
というアメリカの策略に嵌ってしまったことが、当初の目的であった、
「相手の戦意を挫く」
ということに失敗したのが、最後まで尾を引いたといってもいい。
特に、アメリカ人に対して、
「だまし討ち」
ということでの、いくらハワイといっても、史上初といってもいい、
「アメリカ領土への、奇襲攻撃」
というものが、
「だまし討ち」
によって行われたということは、アメリカ国民には、許しがたいことであった。
結果、日本が中国に対して感じたのと同じような思いを、アメリカ国民に感じさせたということで、ちょうど、当時の、
「反日感情」
と一緒になり、
「戦意喪失」
どころか、
「戦意高揚」
という感情に、火をつけてしまったのだ。
それが、相手国に対しての一番の誤算であっただろう。
しかし、何よりも、一番の誤算は、
「日本国内にあった」
といってもいいだろう。
というのは、
「そもそもの作戦として、相手に先制攻撃からのずっと優位な体制を保ち、そこから講和に持ち込む」
という作戦だったはずなのに、当初から、軍の活躍と、兵器が最新鋭だったということもあり、
「向かうところ敵なし」
という状態だった。
軍も当然、
「士気の高まりは最高潮」
ということになり、
「イケイケどんどん」
である。
もちろん、国民もマスゴミも、戦勝ムードに最高潮に湧きまくるだろう。
だが、こうなってしまうと、和平や講和を持ち込むということができなくなってしまった。
というのも、ここまで快進撃が続けられたのだから、
「このまま、どんどん占領地を広げていって、相手から和平を持ち込んでくるくらいにさせればいい」
と思ったとしても、無理もないだろう。
そこへもってきて、
「国民の士気を、マスゴミが煽る」
という状態になったのだから、
「戦争をやめる」
などという選択肢はすでになくなってしまっていたのだ。
「戦争反対」
などというと、当時の特高警察がやってきて、
「非国民」
と言われ、逮捕され、
「拷問を受ける」
という今では信じられない状態だったのだ。
それだけ、戦時というのは、国民に権利はなかった。
というのも、当時の日本は、
「大日本帝国」
ということで、主権は天皇にあるのだ。
天皇が、
「宣戦を布告」
を行い、その中で、軍や国民に対して。戦争完遂を命令し、さらに、戦争目的達成のために、国民は、一部の自由をはく奪されるというのが、
「立憲君主国」
における、
「臣民」
というものになるのだった。
つまり、日本という国は。
「戦争を始めると、まず、軍や国民の士気を高め、戦時体制を維持することで、戦争にまい進する状態を作る」
という必要があるのだ。
ここで、
「戦争反対」
などという意見が出てきて、万が一、それが蔓延しそうなものなら、
「目的をもって行っている戦争の、目的までもが揺らいでくることになり、相手国との戦争の前に、内部から、戦時体制が瓦解していくことになり、戦争どころか、国家の安泰すら危ぶまれることになり、敗戦ところか、亡国まっしぐらということになってしまう」
ということになるだろう。
実際に、日本は、最終的に、
「無条件降伏」
作品名:いたちごっこのフレーム問題 作家名:森本晃次