小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

いたちごっこのフレーム問題

INDEX|16ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 

「こんな国はもう嫌だ」
 といって、向こうに寝返る連中もいた。
 しかし、相手からすれば、それは許されない。投降していった連中が、処刑されているということを知った研究員は、それでやっと、
「あいつらと、正面切って戦う」
 という気持ちになったのだ。
 それも不幸中宇の幸い」
 といえるが、
「地底帝国」
 としても、
「こっちも望むところだ」
 ということを考えていたに違いない。
 地底帝国は、元々、地上にいたことがある民俗だった。
 元々は、地上の連中と同じ民族であったが、ある意味科学力が発達してしまったことで、他の国から危険視されるようになった。
 そこで、
「鉄は熱いうちに打て」
 ということで、他の国が協力して、この帝国を滅ぼ同を考えたのだが、帝国も頑強に抵抗し、かろうじて地下に逃れたのだ。
 しかし、これは、人類にとっては、
「黒歴史」
 であった。
 だから、各国の歴史書にそんな証拠が残っているわけではない。だから、
「地底に帝国が存在する」
 などということは誰も知らない。
 そのために、
「地下核実験をやったんだ。地下に文明が存在するなど知ってればやらないさ」
 ということであったが、実は、この地底においやった事実を、何と、日本は、皇室の書き残したものに、残っていたのだった。
 さすがに、皇室文書を日本人が疑うというわけにもいかず、日本政府は最初は悩んでいた。
 しかし、
「国際社会に逆らうわけにはいかない」
 という、
「世界的に言い訳をしたい時に用いる詭弁を使う」
 ということで、
「あの国は、地底からの侵略者だ」
 ということで、
「国際的に葬る」
 ということで閣議決定し。このことは、
「国家の最高機密だ」
 ということで、世界に従うことにしたのだ。
 日本という国は、昔はそんな国ではなかったはずなのに、どうしてこんな国になったというのだろう?
 そもそも、
「押し付けられた民主主義」
 に無理があったということであろうか。
 日本は、基本的に、大日本帝国の時代までは、間違ったことは言っていなかっただろう。
 それは、自国の体制を、
「立憲君主国」
 として、いい悪いは別にして、ブレることなくやってきた。
 しかし、戦争に敗れたことで、
「民主主義」
 を押し付けられ、
「民主国家:
 ということで言い訳ができることを学んだ。
 だから、政治家は、言い訳しかしないのだ。大日本帝国の時代であれば、軍の上層部も、政府も、強引ではあったが、それなりに、言い分は間違っていなかった。今の政治家のように、
「民主主義の自由」
 を盾に、言い訳をして、
「自由に、私利私欲に走れるという立場を生かして、私利私欲に走る」
 ということだ。
 しかし、
「私利私欲に走れる」
 というのは、その立場を利用して、まみれているわけで、それも、
「民主主義の自由というものが、平等を犠牲にしてきた」
 ということが原因であったことが招いたものではないだろうか?
 だから、今の政府は平気で、
「地底国家を新竜者として葬り去る」
 ということを決めたのだった。
 そういえば、誰だって、必死になって戦うだろう。
 しかも、相手が明らかに攻めてきているのだ。
 今まで日本は、
「平和な国」
 ということで、感覚がマヒし、
「平和ボケ」
 になっている。
 つまりは、
「日本という国を攻撃されると、さすがに敏感になり、攻めてきた方が明らかに悪いという理屈以外を考えられないようになり、相手を殲滅するということだけが、唯一の正義だ」
 ということになるのだ。
「本当の正義はどこにあるのか?」
 誰にも分からない。

                 大団円

 日本は、完全に
「地底帝国」
 の、主たる敵ということになる。
 相手からすれば、
「まず日本を血祭りにあげて、そこから世界を」
 と思っていた。
 しかし、日本という国が、思ったよりも、兵器の力が強力であることにびっくりしていた。
 そもそも、地底帝国は、こちらの世界のことを、十分に研究していた。
「日本人よりも、日本の歴史には詳しい」
 といってもいいだろう。
 だから、日本人の中にある。
「武士道」
 というものがもたらせた。
「カミカゼ」
「ハラキリ」
「玉砕」
 などということも分かっていて、それを、
「美徳」
 とすることで、
「日本人というのは、耽美主義な世界に生きている」
 ということも分かっているのだろう。
 しかし、当の日本人に、そんな、
「耽美主義的な思想」
 は根付いているのだろうか?
 実際に今の日本は、確かに攻められると抵抗はするが、平和ボケのために、戦術戦略に関しては、
「疎い」
 と思っていただろう。
 しかし、元々の頭の良さと、シミュレーションとして、ゲームなどで鍛えていることで、少々の頭はあった。
 しかも、兵器開発などに関しては天才的だということで、この合体ロボットというものは、他の精神国には作れない」
 というほど、高性能なものだった。
 問題は、操縦する人間であった。
 何しろ、訓練を受けたはいないし、そもそもが、戦闘用の開発ではない。
「資源開発のためのものを、戦闘用に急遽改造したものだ」
 しかも、
「国家が裏で考えていることを、研究所では、ウスウス感じている」
 ということもあって。
「戦闘意欲というものは、国家の危機」
 ということで何とか保っているが、戦闘員として、乗り込む人たちの選別をうまくやらないと、いけないのが問題だった。
 何とか、3人の。
「戦闘能力に長けている」
 そして、
「平和を望み、そのためには命を惜しまない」
 さらには、
「勧善懲悪である」
 という人たちを選んできた。
 確かに、彼ら以上の、乗組員はいないということであるが、どうしても引っかかってくるのが、最後の、
「勧善懲悪」
 の部分である。
「勧善」
 の部分はいいのだが、
「懲悪」
 という部分が引っかかる。
 というのは、
「悪とは何か?」
 ということになると、最初こそ、
「地底帝国」
 ということを認識していたが、実際に相手と戦ってみると、相手の、
「武士道」
 というものにも似た戦い方に感化されてしまい。
「俺たちは、何を相手に戦いを挑んでいるのか?」
 ということで、彼らは悩むようになってきた。
 そもそも、
「勧善懲悪」
 というのが、前面に出て、
「それが彼らの個性だ」
 ということになっていたのだ。
 その彼らが、自分たちの、
「勧善懲悪」
 というものに疑問を感じるということになってくると、どうなってしまうというのだろうか?
 彼らは、本来であれば、
「三人が一緒の気持ちになってこそ、巨大ロボットを操ることができるのだ」
 ということであった。
 そして、それが崩れた時、彼らは、そのまま、先頭不能となり、
「ロボットとともに、破壊されてしまった」
 という結末を迎えたのであった。
 これが、
「20年前に書かれた」
 という、
「近未来に起こるであろう、地底帝国とのロボットを使っての戦争」
 というマンガだった。
 それが、アニメ化されて、映画化もされ、結構な人気を博していたのだが、
「マンガ」