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いたちごっこのフレーム問題

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「それぞれの力が均衡しているわけではなく、それぞれの力関係が、方向的に均衡しているので、お互いに手が出せない状態」
 というものを指すと言われている。
「ヘビはカエルを食べ、カエルはナメクジを食べる。そして、ナメクジは、ヘビを溶かしてしまう」
 ということで、いわゆる、
「力の均衡によって、お互いが生き続けられる」
 というものだ。
 そのどちらか二つだけがいるのであれば、
「強者が弱者を食べる」
 という、
「自然の摂理」
 によって、弱肉強食が行われるということだが、そこに、もう一つが入ることで、完全に力の均衡が保たれると、それぞれに、襲うことができず、動けなくなってしまうという形の、ある意味、
「核の抑止力」
 というものに似ているといってもいい。
「自分にとっての弱者に襲い掛かれば、それが相手にとっての天敵なので、天敵を倒してもらった後で、ゆっくり、自分にとっての弱者を食えばいい」
 ということになるので、それぞれ、本能で、力関係を分かっているので、何もできないということになる。
 三すくみの関係というのは、距離というのも、少しかかわってくるような気がする。
 基本的に、
「相手に襲い掛かられても、終わりである」
 ということは分かっている。
 しかし、逆に、
「自分にとって、弱者に対して襲いかかるとどうなるか?」
 ということであるが、その場合は、
「もう一方の、自分を襲おうとして、虎視眈々と狙っているやつにとっての、強者に襲い掛かることになるわけなので、もう一方に、自分に対しての抑えを、自らで壊してしまう」
 ということになる。
 これは、
「力の均衡を破る」
 ということであるが、よくよく考えると、
「力関係は、均衡していても、距離が、皆同じだと考えると、有利不利というものは歴然としてくる」
 というのは、
「ヘビがカエルに、カエルがナメクジに襲い掛かるスピードと、ナメクジがヘビに近づくスピードを考えれば歴然だ」
 といえるだろう。
「だったら、ヘビがカエルに襲い掛かっている間に、ナメクジが襲ってくるということはない」
 と考えられる。
「カエルを食べている間に、ナメクジが近づかないようにすればいい」
 という考えもあるが、それはあくまでも、
「その時だけのこと」
 としていえるだけだった。
 もし、ヘビとナメクジだけになってしまうと。どうなるだろう?
 それを考えた時、ヘビが起きている間はいいが、ヘビも寝ることになるはずである。その間に、逃げるところもなく、ナメクジが迫ってきたとすれば、
「気が付けば、解かされている」
 ということになるのではないだろうか。
 それを考えると、
「長い目で見れば、いつどうなるか分からない」
 ということであり、もっといえば、
「いつ、襲われるか分からない」
 と考えながら、恐怖におののいている。
 ということを考えると、恐ろしい。
 ただ、客に、
「三匹ともが、三すくみの状態で、身動きできない」
 ということであった時の精神状態と、ナメクジと二匹だけになった時のことを考えると、何とも言えないだろう。
 自分の優位性がまったくなく、
「力の均衡がない」
 という状態での恐怖は、
「二匹になった時」
 であろうが、
「三匹で果てることのない均衡をずっと続けなければいけない」
 というのも、恐怖とストレスで、潰されそうになる。
 この、
「どちらがいいのか?」
 ということは、
「その時になってみないと分からない」
 ということであり、本来であれば、
「どちらも、絶対になりたくないシチュエーションだ」
 ということになるだろう。
 そうなると、
「どっちがいいのか?」
 というのは、それぞれで感じ方が違うだろうから、
「答えは一つではない」
 ということになるだろう。
 そんな三すくみであるが、その発想から思いついたものがあると言われるマンガがあった。
 そのマンガは、
「合体ロボット系」
 のマンガであり、その発想が結構面白かった。
 というのは、
「他の合体ロボットというと、一つの大きな戦闘機に、いくつかの機能を持ったそれそれのマシンが吸いつくような形で一緒になることで、一つの巨大ロボットを作り上げる」
 というような形が多かった。
 しかし、このロボットはもっと画期的で、
「三つの戦闘機が、空中で合体する」
 というもので、さらに画期的なのが、
「その合体というのが、順番を変えることによって、別のロボットに変身するというものである」
 従来の合体ものというのは、基本的に、合体パターンはひとつしかなく、その筐体は、一つしかない。
 しかし、このロボットは、それぞれの機種を、1号機、2号機、3号機としたならば、
順番的に、
「1, 2、3」
「2,3、1」
「3,1,2」
 という形で合体することで、3体のロボットに変身するというものである。
「しかも、それぞれに、機能が違い、
「陸海空」
 とそれぞれの場所に特化した戦闘ロボットになるのであった。
 これが、すべて、三すくみの発想から結びついたというわけではないだろうが、この作家の頭の構造が、
「中身を割ってみてみたい」
 という物騒な発想になりそうなくらい、すごいものに感じられた。
 その戦闘機も、そもそも単独の時は、
「陸海空」
 とそれぞれに特化したものであり、合体して、その先頭が操縦の責任を持つ形になると、その力は、
「百万パワーに匹敵する」
 といわれるほどであった。
 この発想は、
「三すくみだけでは、きっと不十分だろう」
 確かに、三すくみが基本となっているのは分かるが、そこに、
「三つ巴」
 という、
「力の均衡」
 によって、
「力が相殺されるにあたって、別の力が発揮される」
 というイメージが、この画期的な合体ロボットを作ったのかも知れない。
 そして、この話の基礎になっているのは、
「近未来の地球では、資源を使い果たしてしまう」
 という問題が世界的に大きな問題ということで考えられていた。
 これは、今の時代にも続くことで、実際にはなかなか進んでいないのが現状である。
 なぜなら、今の時代は、
「なるべくエネルギーを消費しないようにしよう」
 ということで、いわゆる、
「ケチる」
 ということで、エネルギーの温存を考えている」
 ということなのだろうが、そもそも今の時代の考え方は、それよりも、
「無駄なエネルギーの消費は、自然破壊であったり、することになり、自然の均衡というものを破壊してしまい、結果として異常気象をもたらすことになる」
 ということであった。
 まずは、
「異常気象の発生をなるべく抑えないと」
 ということであった。
 最近の異常気象は、水害、台風などの自然発生的な災害だけではなく、問題として挙がっているのは、
「地球温暖化」
 ということであった。
「夏になると、人間の体温よりもさらに高い毎日を過ごさなければいけなくなり、生きているだけで、死に庄名状況に見舞われる」
 という、それこそ、
「生活どころではない」
 という状況になりかかっている。
 これは、もはや。
「地球温暖化」
 などではない、
「地球沸騰化」
 ではないかといわれている。