都合のいい「一周の夢」
と思うのだが、ずっと、理屈を考えてきて、
「それでも、分からない」
という繰り返しが、いい加減、面倒くさくなってきたのだ。
一種の、
「我慢大会」
をしているようで、こっちが折れてやると、気が楽になるということが分かったことで、
「決して負けたわけではない」
ということを感じ、
「勝ち負けというよりも、
「自分が大人になった」
ということになるのだ。
という考え方であった。
「損して得取れ」
という言葉があるが、まさにその通り、その言葉を知る前に、実践したということで、本当に大人になれた気がしたことで、
「理屈は分からないが」
ということで、
「1+1=2」
というものが、
「公式だと思えばいいんだ」
と考えることで、自分が大人になれたのだった。
そう思うと、算数というものが今度は楽しくなり、
「気が付けば、いつも自分なりの法則や、定理と呼ばれるものを、発見しようとしていた」
のであった。
算数が分かるようになってくると、他の教科というものも、結構分かってきていたのだった。
国語も理科も社会も、
「まったく違う学問だ」
といえるが、
「理屈を公式として理解しよう」
と考えることで、
「それまで分からなかったこと」
いや、
「分かろうとしなかったこと」
というものが、まるで、
「目からうろこが落ちる」
というように、いろいろと理解できるようになっていったのだった。
小学生の頃はそのおかげで、低学年の頃までは、きっと、
「劣等生のレッテル」
というものを、貼られていたはずの自分が、急に、
「優等生」
というものになっていくのが分かった。
先生たちもまわりも、今までと見方が変わってくるだろうことも分かった。
しかし、だからといって、
「まわりが、自分に、へりくだるようなことはないだろう」
と思うのだった。
へりくだった様子を感じなかったから、そう思っただけで、
「それならば」
と、今までのように、まわりに対して、何も言わなかった自分であったが、問題はそこではなかった。
「何も言わない自分が、情けなく感じられ、物事の理屈が分かるようになると、今度は、それが分からないまわりが、情けなく感じられた」
のだった。
まわりは関係ないはずなのに、自分の偉業を自慢したいと思うようになったのだ。
今まで、理屈も分からず、底辺で埋もれていた自分を、まわりは、何も言わなかった。
「無視していた」
ということなのかも知れないが、ひょっとすると、
「その存在をお指揮していなかったのかも知れない」
つまりは、
「石ころのような存在」
というものであった。
「自分が石ころのようなものだ」
というのは、
「自分が理屈を分からずに、底辺でうごめいている時に、感じていたこと」
であった。
底辺というのは、うごめくところであり、それが、海の底なのか、土の中なのか、しかし、そのどちらも、うごめくという意味で、まわりからの圧力がすごくて、動けないということも分かっている。
それでも、うごめこうとしているが、実際には動けていないのだ。
そして、そのことを自分だけが、うちに込めて考えてしまっているので、まわりには、まったく意識できないことだろう。
だから、
「見えているのに、まわりは意識することができない」
という、
「石ころのような存在だ」
ということになるのだろう。
それを思うと、
「人間というものが、いかに愚かであるか?」
ということを分かっているのは、自分だけだと思うようになってきた。
それは底辺を見ているからで、
「底辺を知らないやつは、石ころのような存在すら、これから意識することもないだろう」
と感じた。
実際に、自分のことを、
「石ころのような存在だ」
と感じたのは、子供の頃だけだった。
大人になってから、まわりが自分を意識しないと感じた時は、それを、
「石ころのような存在だ」
とは思っていなかった。
むしろ。
「存在を分かっていて、そのうえで無視しているんだ」
と感じたからだ。
大人になると、
「まわりが分かっていない」
という理屈は存在せず、
「分かっていて、わざとしている」
という、
「あざとさという感情が、激しいんだ」
と思うようになったのだった。
夢を見ていると、その感覚も深く思えるようになり、
「その分、多重な夢を見るように思えてきた」
というのであった。
自分が確かに、二重人格なのかも知れないと思うのだが、それはあくまでも、
「夢の中だけのことで、普段は、隠れている性格」
と思っていた。
まわりからは、
「二重人格だ」
と言われたこともない。
もっとも、大人になると、忖度することで、相手を傷つけないようにしようという意志が働くことで、悪口になることは言わない人が増えてきた。
しかし、中には露骨にいう人も、一定数いるのは、昔からのようだった。
「言いたいことを言わないと気が済まない」
という人であり、
「そういう人は、どこにでもいる性格なのではないか?」
と感じるのであった。
「二重人格」
という人は、結構いる。
ただ、それは、
「躁鬱症の人」
も一緒に、
「二重人格だ」
として考えるからであり、その躁鬱症というものを、
「病気なのだ」
と思う人がいるが、その考え方を間違えると、厄介なことになりかねないのが、今の世の中だった。
「躁鬱症」
というのは、
「放っておけば治る」
というものもあるが、最近では、
「双極性障害」
と呼ばれる病気の人が、
「精神を病む」
という形で増えてきている。
社会構造が、
「コンプライアンス違反」
というものを取り締まる傾向になってきたのも、それらの疾患が増えてきたからだ。
特に、会社の、
「ブラック企業」
と呼ばれる、とんでもない会社が多かったことから言われるようになったことだ。
ただ、たとえば、
「社員を人間とも思わずに、まるで、馬車馬のように働かせる」
というのは、昭和の頃の、
「高度成長期」
であったり、
「バブル時代」
という時代にもあったことだ。
しかし、それでも、それらの時代は、
「やったらやっただけの、報酬が得られた」
ということである。
つまりは、
「仕事をすればするほど、お金になった」
ということである。
それを、
「会社が報いてくれた」
と感じるから、
「また頑張ろう」
と思うのだ。
しかし、今の平成の終わりから、令和にかけてというものは、
「社員に働かせても、その報酬は得られない」
つまり、
「やらないと首になる」
あるいは、
「上司からの恫喝を受けてしまう」
というプレッシャーが、次第に自分で自分を追い詰めるかのようになってしまい、
「精神が病んでしまう」
ということになるのだろう。
精神が病んでしまうと、気分転換が自分ではできなくなり、次第に身体が動かなくなり、自分が分からないというような状況に陥る。
病院で見てもらうと、
「双極性障害」
と言われる。
以前は、それを、
「ただのうつ病」
ということで、誤審をすることが多かったという。
それだけ、
作品名:都合のいい「一周の夢」 作家名:森本晃次