都合のいい「一周の夢」
「自分が作った怪物」
にである。
そんな悪魔のような怪物は、フランケンシュタインに、
「自分一人では寂しいので、異性の怪物を作ってほしい」
と願い出たが、それにより、怪物の増幅を恐れた博士は、拒否をした。
そのために、さらに苦しめられることになるのだが、この発想が、
「フランケンシュタイン症候群」
ということであり。
「悪魔の怪物の増殖によって、人類の破滅を招く」
という、簡単な、
「数学の公式」
であるのだが、それを、核開発の科学者は、数万人もいるのに、誰も気づいていなかったということであった。
それだけ、
「核の抑止力」
というもので、
「平和が守れる」
と考えたのであろうか?
いや、少なくとも、彼らは、自分たちが作り出した原爆の威力を、人類史上最初に見たはずである。
それが、
「史上初と言われる原爆実験」
なのである。
少なくとも、その破壊力に閉口したのは間違いない。
中には、
「こんなものか」
といって、その破壊力に失望し、さらなる兵器開発を考えたという、ごくまれな科学者がいたのも事実だったが、ほとんどの学者が、驚いたのは、無理もないことであろう。
ただ、結果的に、
「原爆投下」
ということにより、
「大東亜戦争は、終わりを告げた」
といってもいいだろう。
アメリカ兵の損害をいたずらに増やすこともなく、日本人の本土における、
「玉砕」
というものを防いだということで、
「ヒロシマ」
「ナガサキ」
の犠牲は、役に立った。
ということで、核兵器を開発した科学者は、英雄となり、アメリカ社会での発言力が増したのだ。
しかし、実際には、その末路は決して、順風満帆ではなかった。
何と、
「ソ連のスパイ容疑」
というものを掛けられ、失脚することになってしまったということであった。
それを思えば、
「人間というものは、何と愚かな人種なのか?」
ということである。
もちろん、
「ソ連のスパイだったのかどうか分からないが、結果として、失脚したという事実に変わりはない」
ということだ。
ということは、
「国家の最高機密を相手に漏らさないために、失脚させられた」
ということなのか、それとも、
「単純に、権力闘争に敗れた」
ということになるのかは分からないが、アメリカという国は、それだけ、シビアなところだということであろう。
「権力を持つと、失脚する」
つまりは、
「出る杭は打たれる」
ということになるわけである。
都合のいい
失脚するというのは、アメリカの、直接的な敵である、
「社会主義国」
であるソ連の専売特許ではないか。
「粛清」
と呼ばれるものによって、世間は、
「国家には逆らえない」
と考える。
これは、社会主義のような、
「政治だけでなく、すべての自由を、国家が把握する」
ということで、
「民主主義の限界」
と言われた、
「貧富の格差」
であったり、
「汚職の蔓延」
などという問題が大きくなってくることで、
「自由競争をやめて、すべてを国家が掌握する」
ということで、
「国民すべてが平等である」
というのが、社会主義である。
そのためには、国家元首が、
「すべての権力を握る」
という、絶対的な独裁政治が必要とされることで、対抗勢力は、あってはならないということで、
「それらの排除」
ということになり、
「徹底的な粛清が行われる」
というのが、当時の社会主義の正体だったといえるだろう。
「民主主義陣営」
は、そんな社会主義を徹底的に敵対した。
政治家とすれば、そんな社会体制であれば、
「いつ、自分たちが消されるか分からない」
という恐怖に駆られるからで、そんな状態で、
「政治などできるはずがない」
ということになるのであった。
ただ、民主主義国家というのも、
「理想の国家」
というわけではない。
そもそも、その限界が露呈したことで、社会主義国家というものが生まれたわけで、それこそ、
「理想の人間を作ろうとして、怪物を作ってしまった」
というフランケンシュタインのようではないか。
「民主主義の限界を感じ、理想の国家体制としての、社会主義を作ろうとして、実際にできた国家は、粛清の嵐という怪物ではないか」
というのが、
「民主主義陣営」
の理屈であろう。
そんな国家を、民主主義陣営が、認めるわけにはいかない。
下手をすれば、
「自分たちの政治体制が否定され、政治などできるわけがなくなり、国家が大混乱に陥ることで、ひいては、世界が、大混乱になる」
ということである。
つまりは、
「社会主義国家というものが、いかにひどい国家かということを、国民に思い知らせる必要がある」
ということで利用されたのが、
「ベルリンの壁」
という問題であり、
「核開発競争」
だったといってもいいだろう。
もちろん、社会主義陣営でも、
「民主主義の限界を解き、社会主義がどれほどいいものかというのを大いに宣伝していたことだろう」
それが、戦後の、
「プロパガンダ」
というものによる、国民の洗脳だったということだろう。
この時代を、
「東西冷戦」
というが、何といっても、お互いの超大国での戦争ということになると、
「規格の抑止力」
というものがなくなることで、
「世界の滅亡」
というものが現実化してくる。
それが、実際に現実味を帯びたのが、
「キューバ危機」
だったのだ。
これは、
「キューバ革命」
によって、社会主義化したキューバという国を、アメリカが潰しにかかっているということがキューバ政府に分かると、何とか防衛策をということで、ソ連に近づいた。
そこで取られた策が、
「キューバへの核ミサイルの配備」
だったのだ。
ソ連としては、
「アメリカの喉元に、核爆弾を突きつけることで、核の抑止力を優位にするつもりだったのだが、アメリカとしても、そこまでされて、引き下がるわけにはいかない」
当然、
「ミサイル撤去」
に動くわけだが、そこで問題になったのが、
「偶発的な事故」
だった。
その時初めて、
「核の抑止力」
というものが、
「どれほど薄っぺらいものなのか?」
ということを、目の当たりにした。
ということであった。
だから、アメリカもソ連も、ミサイル撤去までの数日間を恐怖とともに、過ごした。
「いや、世界中の人たちが、全面核戦争という恐怖を初めて体験した」
といってもいい。
核戦争というのは、
「いつどこで起こるとも限らない」
ということが、明るみになった瞬間だったのだ。
それから、核軍縮には向かうことになるのだろうが、冷戦というのはまだまだ続き、特に、社会主義の台頭をさらに、恐怖に感じたアメリカは、ベトナム戦争に、直接的にかかわっていき、実際には、
「代理戦争」
と言われるものであったが、兵をベトナムに送り、完全に、介入していくことになるのだった。
だが、
「東西冷戦」
と呼ばれるものは、意外な形で収束していった。
ソ連というものが崩壊したのである。
作品名:都合のいい「一周の夢」 作家名:森本晃次