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都合のいい「一周の夢」

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「人を傷つけてはいけない」
 とあるからだ。
 また、第三条の、
「ロボットは、自分の身は自分で守らなければいけない」
 とあるが、この場合も、
「人間が危ない目に遭っているのに、ロボットが自分が危険に晒されるからといって、助けにいかないということは許されない」
 なぜなら、第一条に、
「人間が危機に陥った時、身を挺して助けなければいけない」
 という項目があるからだ。
 このように、
「絶対的な三原則」
 というものがあるということで、
「フランケンシュタイン症候群」
 というものを打破できるという発想であった。
 しかし、小説としては、それでは面白くない。
 この三原則の盲点を突くかのような話が、SF小説として描かれ、
「三原則だけでは、ロボットとしては、まだまだ未完成である」
 ということを示しているのであった。
 ロボット開発というのは、実に
「人間によって、都合よくできている」
 人間社会において、今の時代では、
「人間を奴隷として扱ってはいけない」
 という風潮になってしまったからで。昔の古代帝国などであれば、
「戦争に負けたところが、奴隷となるのは当たり前」
 ということであった。
 宗教などの教えで、それが、次第に、、民主化の動きとなって、社会的に
「人間を奴隷として扱ってはいけない」
 ということになってきた。
 とは言っても、中世からの、
「封建制度」
 であったり、大航海時代以降においての、
「植民地支配」
 などというのは、完全に、奴隷制度のようなものといってもいいだろう。
 アジア、アフリカ諸国は、ほとんどが、欧州の国々に、植民地化され、20世紀前半まで、
「植民地」
 ということで、完全な、
「従属支配」
 とされていたのだ。
 それが、次第に、日本が台頭することになって、
「欧米列強から、アジアを解放し、アジアにての、新しい新秩序を築く」
 という日本における、
「大東亜共栄圏の建設」
 というのが叫ばれるようになった。
 そもそも、元々、ヨーロッパから解放してやろうといっているのに、それに逆らう人種もいたりして、どこまでが、本当なのか、歴史の事実として表に出てきていないので、ハッキリとは分からないが、実際には、それまでのアジアは、
「欧米列強に、食い物にされていた」
 ということは、紛れもない事実である。
 それを、日本が救おうとしたというのが、欺瞞であるかのように言われるが、
「確かに、アジアの盟主を狙ったというのも事実であろうが、どこかの国が、盟主にならなければいけないのであれば、それを日本が担ったとして、何が悪いというのか?」
 ということである。
 それなのに、戦争に敗北すると、
 閣議決定された名前である、
「大東亜戦争」
 という言葉を、戦勝国は、
「自分たちに都合が悪い」
 ということで、いうことを禁じたのだった。
 やはり、
「勝てば官軍」
 ということを言われるのはしょうがないことであるが、実際に、占領から解放され、
「独立国になってまで、いまだに、大東亜戦争と言わずに、太平洋戦争といっている」
 ということを思うと、
「日本という国は、いつの間にか、米国の属国に成り下がった」
 といってもいいだろう。
 政府が、
「自分たちのことしか考えない連中ばかり」
 ということであれば、それも仕方がない。
 それでも、民主国家として、
「自分たちが政党を選び、その代表がソーリになるというのだから、それが、民主主義なので、政治家が何をしようと、国民とすれば、因果応報であり、自業自得ではないか」
 ということになるのであった。
 それを考えると、
「奴隷制度は、今の日本のようなものだ」
 といってもいいだろう。
 そんな時代において、人間は、
「開けてはいけない」
 という、
「パンドラの匣」
 を開けてしまったのだ。
 それは何かというと、
「核兵器」
 という、人類を破滅に導くことができる、いわゆる、
「最終兵器」
 であった。
 最初は、確かに、
「大東亜戦争をいち早く辞めさせることでの、米軍、あるいは、日米両国の被害を最小限に食い止める」
 という大義名分だったのかも知れない。
 しかし、実際には、それを使用すると、
「数十万人という市民が住む大都市を、一発の爆弾で廃墟にし、さらには、その放射能によって、二次災害が生まれる」
 という、使用するには、
「使用することで得られるものよりも、失うものの方がはるかに大きい」
 ということを知ったはずだった。
 それによって、人類は、
「使用してはいけない兵器」
 ということで、
「これで、戦争はできなくなった」
 と言われたものだ。
 それが、いわゆる、
「核の抑止力」
 というもので、
「持っているだけで、平和が保たれる」
 と、一時期、真剣に言われたものだった。
 だが、それが一体どういうことなのぁ?」
 というと、実際には、お互いに、
「相手よりも、強いものを持つ必要がある」
 という考え、あるいは、
「相手に劣ってはいけない」
 という考えから、新たな破壊力の強い兵器を、開発するようになるのだった。
「今でも、十分な抑止になるのに」
 ということが分かっていないのだ。
 それによって、行う核実験で、地球環境を破壊していることに、本当に気づいていなかったのだろうか?
 それとも、
「核兵器の魔力に取りつかれていた」
 ということなのか、人間というものは、
「本当に愚かな種族だ」
 と言われたとしても、仕方がないだろう。
 最初に、核開発競争を行った、
「米ソ両国」
 は、すでにその恐ろしさに気づいたが、それ以外の、
「核発展途上」
 と言われる国は、まだまだ気づいていない。
 今の時代に、まだまだ、核兵器をもっていなければ、外交ができないということで、
「核を外交の手段」
 として考えているところもあるくらいであった。
 もっとも、今の時代は、
「核兵器廃絶の時代」
 ではあるが、それを、保有国がいうのでは、説得力がない。本来であれば、日本のような、
「保有せず、さらに、世界唯一の被爆国である」
 というところが、先頭に立たなければいけないのに、実際には、
「使用した国の属国になってしまっているのでは、どうしようもない」
 それでも、
「日本は、属国ではない」
 と言うのだろうが、少なくとも、まわりの国からは、そうとしか見えないのであるから、実際には違ったとしても、
「何を言っても、言い訳にしかならない」
 ということであろう。
「核兵器」
 というものは、
「人類が作り出してはいけない」
 と言われるものということで、まるで、
「フランケンシュタインが作り出した、怪物」
 と同じだといえるのではないだろうか?
「理想の人間を作るつもりで、怪物を生んでしまった」
 しかも、それは、フランケンシュタイン博士が、抱いた野望で、さらには、その醜さに、作った自分が失望したことで、怪物化してしまい、復讐に燃えた、
「悪魔のような怪物」
 である。
 フランケンシュタイン博士は、怪物のどんどん追い詰められていき、それこそ、自分が死ぬよりも恐ろしい苦しみを何度も何度も味わうことになるのだ。
 それも、