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お教とお香の覚醒

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「彼らが存在した」
 ということは事実なのだろう。
 ただ、それが、歴史書に書かれることなのかどうか分からないし、歴史が、どういう答えを出したのか分からないが、現代において、
「その本を読み終わったその時に見たニュース」
 において、
「本日、歴史評論家の博士から、重大発表がありました」
 ということで話題になったのだが、それが、
「とてもこの時代にあったとは思えない。大量の武器弾薬が見つかりました」
 ということであった。
 そして、その発見の中で、
「使用された事実はありませんが、明らかに、現代の兵器であり、製造年月日が、21世紀になっている」
 ということだったのだ。
 さすがに、製造年月日までは、マスコミは発表していない。それを公表してしまうと、パニックになってしまうということであり、もう一つ、
「自衛隊の中で、武器弾薬と一緒に、一つの部隊が、忽然と消えてしまった」
 ということもあり、そちらも、
「最重要機密」
 ということにされたのだった。
 自分たちが知っている自衛隊の、一つの部隊が消えてしまったというのは、とても大きなことだ。
「一つの部会で、何かクーデターでも起こそうというのか?」
 という不穏な空気に包まれたことで、これを発表でもしてしまうと、一気に、国内は、大パニックに陥り、諸外国に分かると、それこそ、日本が、
「バチルスを放ったようなものだ」
 ということになる。
「バチルス」
 というのは、細菌のことで、
「最近は、世界的なパンデミックが起こったことで、シャレにならないが、その時は、パンデミックになっていなかったので、バチルスという言葉を使っていたのだ」
 ということであった。
 そんなことを考えていると、
「彼らが最終的にどこに行ったのか?」
 ということも気になるが、
「それは、彼らが歴史を変えようとしたことに対しての、戒め」
 ということなのか?
 ということが問題だった。
 もし、
「戒め」
 だということになれば、
「なぜゆえに、彼らをこの時代に呼んだというのか? まさか、何かの間違いだった」
 というのは、許されないだろう」
 というのは、
「絶対的な力のある者ほど、その自覚や行動はしっかりしていないといけない」
 という。
「ただ、間違えてしまった」
 などというのは、許されることではない。
「ちょっとしたミスが、世界を滅亡させることだってあるわけで、それは、ある程度までの力、その人の一言で、世界を滅ぼせるだけの力を有する必要があるということになるのではないだろうか?」
 そんなことを考えていると、
「辻褄というものを、必ずどこかで合わせようとするのが、歴史というものだ」
 ということで、
「歴史が出す答えは、時として、理不尽で、歴史も結局は、自分のことしか考えていない」
 ということだろう。
 人一人の個人としての、
「答え」
 と、
「歴史という全体を司取っていて、しかも、時代を飛び越えて辻褄が合っていないといけない」
 という立場のものの、
「答え」
 であれば、その先にあるものが、どんな答えを出そうとするのか、そこが問題だといってもいいだろう。
 自分たちが探している、
「答え」
 これは、
「真実なのだろうか?」
 それとも、
「事実なのだろうか?」
 ということである。
 事実というものは、必ず一つであるが、真実は、その原因と結果を考えると、
「決して一つだといえるものではない」
 ということである。
 この場合は、少なくとも、
「真実か事実のどちらかを示しているのだろう。
 ということになるのだった。
 もう一つの歴史映画は、
「史実としては、自分たちの側が負けてしまうということが伝えられているが、その前夜に飛び出したのだ」
 ということであった。
「歴史というものは、絶対に変えてはいけない」
 と思っている人がいる反面、部隊の隊長は、悩んでいた。
「歴史を変えてでも、祖国を守るか」
 それとも、
「歴史が変わってしまうということを、許されないことだ」
 ということで、
「静観するしかない」
 ということを取るかを考えたが、結局、
「祖国を救う」
 という結論になった。
 実際に、戦争が始まろうとしているところで、
「いざ、出陣」
 というところで、いきなり、艦が爆発してしまった。
 何が起こったのか分からなかったが、部隊すべてが、破壊されていく。
 どうやら、
「歴史を変えてはいけない」
 と考えている連中が、クーデターを起こしたようで、結果、
「歴史が変わることもなく、彼らは、その時代で全員、死んでしまうということになるのだ」
 ここで生き残った人がいてはならない。
「今度の事件の生き証人が残ることになるからだ」
 これも、ある意味、
「タイムパラドックスに逆らう」
 ということになるのではないだろうか?
 と、映画を見ている人は思っただろう。
 少なくとも、結末に思いを馳せている人は、それぞれの考えを持っているのだろうが、それぞれの考えであっても、最後には、その理屈にあっている終わり方が、実にセンセーショナルなものであったのだ。

                 お釈迦様と閻魔様

「タイムスリップをなぜ引き起こすのか?」
 ということに関しては、いろいろ言われているようだが、
「それだけ、いろいろな理由が考えられるからではないか?」
 といえるのかも知れない。
 しかし、逆に、
「タイムリープ」
 という問題になると、今度は逆に、一つにまとまるのだ。
 それは、
「タイムループ」
 に関しても同じことで、どのように解釈すればいいのかを考えると、出てくる答えは面白いものとなるといえるかも知れない。
「タイムリープ」
 という考えが、どこから出てきたのかというと、
「昔の、あの時に戻って、その瞬間からやり直すことができれば」
 という時間のことをいうのだろう。
 それは、あくまでも、時間が戻るということだけではなく、
「自分の今の意識を持ったまま」
 ということで、
「結果を知っている」
 という意味では、
「これ以上、卑怯で、インチキなことはないだろう」
 と言われるかも知れないが、それでも、
「その時からやり直したい」
 と思うのは、
「結果さえ知っていれば、その時の行動とまったく逆のことをすればいい」
 ということになるのだろうか?
 ただ、実際には、そんなにうまくいくのだろうか?
 というのも、あくまでも、まわりには、不自然さを与えないというのが、大前提ではないだろうか。
 なぜなら、
「自分が正反対のことをしたとしても、まわりが、自分の記憶と寸分狂わない行動をしてくれてこその、正反対の行動だ」
 ということになるのではないか。
 というのも、
「少しでも違う行動をとられると、記憶と違う行動を自分がしても、まわりまでが違えば、出てくる答えは、その瞬間から変わっているわけなので、それは許されない」
 ということであれば、
「俺が違う行動をしても、相手の態度が変わらない行動をしなければいけない」
 ということになるのだ。
 もう一つ言えば、
作品名:お教とお香の覚醒 作家名:森本晃次