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お教とお香の覚醒

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                 タイムスリップの目的

「タイムリープ」
 というものを考えていると、結構面白いという考えが頭に浮かぶ。
「タイムパラドックス」
 というものへの解決手段という考え方で見てみると、
「同じ時代に、同じ次元で、自分というものが存在できない」
 というのが、タイムパラドックスである。
 この考えは、実は、
「タイムパラドックス」
 というよりも、
「ドッペルゲンガー」
 という考え方に対しての発想でもある。
 というのが、
「同じ時間の、同じ次元に、もう一人の自分が存在している」
 という発想である。
 そして、もう一つドッペルゲンガーで言われているのは、
「ドッペルゲンガーというものを見ると、近い将来、死ぬ運命にある」
 ということであった。
 その話は、ある意味、信憑性がある。
 というのは、
「今までに、何人もの著名人が、ドッペルゲンガーと見たということで、死んでいた」
 という話があるからだ。
 一人有名な人として、
「芥川龍之介」
 の話があるが、これは、彼の担当編集者が来た時、机の上に、書きかけの原稿があったという。
 それを、編集者の人が見ようとした時、芥川龍之介が、急に怒り出して、その原稿を、破って捨てたというのである。
 そして、次の日に、本人は自殺をしていたが、前の日に目の前で破り散らした原稿が、きちんと出来上がっていて、机の上に置いてあった。
 というような話であった。
 話としては、
「昨日、原稿を破りちぎった人が、実はドッペルゲンガーではないか?」
 ということであったのだ。
 そもそも、ドッペルゲンガーというのは、いろいろ言われているようだ。
 たとえば、
「これは脳の病気なので、普通にその病気が悪化して死に至った」
 ということであったりというのが一番信憑性があるのかも知れないが、その中に、タイムパラドックスという意味で、
「同じ時間の同じ世界に、存在してはいけないもう一人がいることに、本人が気づいた時、パラドックスに対しての罰のようなものがあり、どちらの存在もこの世から消してしまった」
 という考え方である。
 ドッペルゲンガーというものは、あくまでも、
「本人であり、この世に三人はいるといわれる、そっくりさんというわけではない」
 ということであった。
 だから、ドッペルゲンガーというのは、
「本人の行動範囲以外には現れない」
 ということになる。
 ただ、この発想は、どこかで聞いたものに似ていないだろうか。
 そう、
「自分というものに、憑依する」
 という、
「タイムリープ」
 の発想ではないだろうか?
 というのも、
「二つとも、明らかに制限がある」
 ということになるからである。
 ドッペルゲンガーという言葉は、中世の終わりことから言われているようだが、知っている人と知らない人の差が激しいようだ。
 どうやら、アニメやゲーム好きの人は結構知っているようで、そういうものとは縁遠く、研究室にばかりいる人間には、不思議で仕方がなかった。
 ただ、ドッペルゲンガーというのが、
「本来はどういう意味か?」
 ということをしっかり分かっている人は少ないだろう。
 アニメにしても、ゲームにしても、そのストーリーの幅を広げるということで使用しているという場合が多いからであろう。
 実際に、話を聞いてみると、
「アニメで見ただけだからな」
 というだけである。
 そういう意味では、
「戦国シミュレーションゲーム」
 というのも、そうである。
 どうしても、戦国武将というと、人気が高い武将は、ある程度決まってくる。
 実績を兼ね備えた武将であったり、三英傑などは別にすると、大きく分けると、
「真田信繁」
 と、
「伊達政宗」
 とに分かれることであろう。
 それも、出てくるキャラクターはあくまでもイメージで、実際の肖像画とは似ても似つかない
「格好いい武将」
 として描かれている。
 二人とも、肖像画では、そんなに特徴があるわけではない。
 知らない人が見ると、
「好々爺」
 に見えるかも知れない。
 真田の場合は、まだまだ45歳という、これからという年齢で、
「大阪の陣」
 にて果てているので、そこまで年を取ってはいないが、それにしては、肖像画には、どこか優しさがにじみ出ている気がしていた。
 伊達政宗の場合は、もっと先まで生きているので、それこそ、
「好々爺」
 なのかも知れない・
 確かに、
「やり働き」
 もすごかったのだろうが、そこまで歴史に残っているわけではないのに、二人が注目されたのは、逸話からであろうか。
 伊達政宗のように、
「独眼竜」
 という異名が、そのイメージを突出させ、真田の場合は、幼児期から、青年期までのほとんどを、
「人質」
 として過ごしていて、
「昌幸の息子」
 ということでしかなかったのだが、大阪の陣にての、
「真田丸の戦い」
 あるいは、最後に家康に対しての、的中突破という活躍にて、
「日の本一のつわもの」
 と言われ、その活躍を印象付けたところで、討ち死にするという人生が、心を打ったのかも知れない。
 そんな二人を、
「ゲームなどでは、思い切りと言ってもいいくらいに美化している」
 だから、若い連中の中には、
「そっくりではないまでも、あれが、二人なんだ」
 と思い込んでいる人もいたりするのではないだろうか。
 他の武将も相当美化しているのだが、二人の人気にはかなわないことであろう。
 ただ、実際に、
「肖像画が残っているからといって、写真ではないのだから、本当にその人にそっくりなのか?」
 と聞かれれば、曖昧なところがあるといってもいいだろう。
 なぜなら、
「時代を代表する人物」
 ということなのだろうから、いろいろなところに肖像画が残っているのも必至で、
「そのどれもが似ている」
 というわけではない。
 確かに、似ている写真や銅像も多いが、書き手によって絵のタッチが違うのはあたり雨のことで、今のように、写真を撮って、それを元に描くということができるわけではないのだ。
 そんなことを考えていると、
「雰囲気は伝わるが、実像がつかめない」 
 というのも、当たり前ということになるのだった。
 実際に、最近のように、歴史に対しての研究が続けば、
「今までの常識が非常識」
 ということも多くなっている。
 たとえば戦のやり方であったり、実際の戦の内容など、今まで言われてきたことが、
「実際にはありえないことだ」
 ということも実際にあるであろう。
 例えば、
「長篠・設楽原の合戦」
 にて、織田信長が使った、
「鉄砲の三弾うち」
 などというのも、怪しいということになる。
 それぞれに、技量も鉄砲の質も違うのに、合わせたように、連射など、できるわけがないということである。
「あれは、単純に、兵が多い方が勝った」
 という、
「数の理論による勝利だ」
 と言われるようになった。
 また、同じ信長で、
「戦国三大奇襲の一つ」
 と言われる、
「桶狭間の合戦」
 において、
「上から下に降りて行った」
 というのも、実は逆だったという話である。
作品名:お教とお香の覚醒 作家名:森本晃次