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お教とお香の覚醒

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「その人にとっては真実だ」
 という発想を考えると、これこそが、
「パラレルワールドなのではないか?」
 といえるだろう。
 ただ、そうなると、
「パラレルワールド」
 というものの範囲が分からなくなる。
 つまりは、
「同じ時代の同じ次元であっても、パラレルワールドというものが開けていて、それが一つの世界を形成しているのかも知れない」
 と思うと、心理学的に、恐ろしい発想が出てきた。
 それが、
「カプグラ症候群」
 と呼ばれるもので、少し、
「陰謀論的な発想になる」
 といってもいいかも知れない。
「カプグラ症候群」
 というのは、
「悪の秘密結社によって、自分の近しい人。つまりは、家族であったり、恋人であったりが、別の人間に入れ替えられている」
 という発想である。
 あくまでも、
「精神疾患」
 というものによる思い込みが、この症候群の正体だと言われているが、まさにその通りだといってもいいかも知れない。
「悪の秘密結社」
 ということで、特撮やアニメの題材になりやすいが、これを、
「SF的な発想で考えてみると、意外と面白いことになるのではないか?」
 と言えるのではないだろうか?
 というのも、
「実際に、カプグラ症候群を使ったマンガなどが結構あるようで、どこかの国の国家元首が、悪の手先になっていて、独裁者になっている」
 という発想であるのだ。
「または、宇宙人が。人間そっくりに化けることで、人間社会に入り込み、その人が悪さをすることで、人間の信頼関係というものを、ズタズタにしようということも考えられていた」
 という。
 その発想は、
「自ら手を下さなくても、人間は、疑心暗鬼と猜疑心から、勝手に戦争を起こして、勝手に滅んでいく」
 という考え方からであった。
「なるほど、その通りだ」
 と納得してしまう自分が怖いくらいではないだろうか。
 それだけ、人間というのは、
「分かりやすい生き物で、宇宙からの侵略に対しては、まったう手も足もでないということで、宇宙からの正義の味方というものを創造する」
 ということがあり、それこそが、
「大人気になる」
 というのは、実に皮肉なことだといえるだろう。
「日本が悪くない」
 といっているわけではなく。
「日本が悪いというのであれば、他の国に、責任というものはないのか?」
 という平等という発想から考えると、かなり歪んだ歴史だといってもいいだろう。
 それこそ、
「勝てば官軍」
 負けた国は、従うしかない。
 これが、
「自由、平等、博愛」
 とスローガンとする、
「民主主義国家」
 が行っているのだ。
 やはり、
「勝てば官軍」
 ということで、
「大東亜戦争」
 という言葉を使わないということになり、今でも、
「日本は属国だ」
 という意識を政治家が持っているのだから、
「日本の将来は真っ暗だ」
 と言われても、無理もないことであろう。
 そんなことを考えると、
「過去のどこかで、歴史が変わる」
 というターニングポイントがあったのだろうと思う。
 しかし、ターニングポイントというのは、
「パラレルワールド」
 という発想を考えると、
「無数にある」
 といってもいいだろう。
 これは、何も日本にこだわることはない。
「世界全体」
 という発想でもいいし、前述のような。
「一人の人間のかかわっている世界」
 といってもいいだろう。
 しかし、その一人の人間がかかわっている世界というと、必ず、誰か他の人が絡むと、
「重複している」
 というところがあるだろう。
 その世界は、
「自分とは関係のない世界」
 ということで、何しろ、自分が、その人を知らないからであろう。
 しかし、果たしてそうだろうか?
 知らないというだけで、
「何もかかわっていない」
 と言い切れるのだろうが?
 そこで考えられるのは、パラレルワールドで、ごく近いところにあるパラレルワールドでは、完全にその人とかかわっているのかも知れないのだ。
 今の時代を見ているのは、正直。
「その人の目でしかない」
 と考えると、
「見ているものがすべて、真実だ」
 といってもいいのだろうか?
 そんなことを考えてみると、
「かかわっていると思っていることが、どこまで本当なのか?」
 誰に分かるというのか。
 少なくとも、
「自分の目が信じられない」
 と考えると、疑心暗鬼になり、結局。
「カプグラ症候群」
 などという発想を、信じられないと思いながらも、知らず知らずに興味をもって見てしまうのではないだろうか。
「タイムスリップ」
 というものが、
「何かのアイテム、それがタイムマシンであったり、ワームホールのようなものを使って、タイムトラベルをする」
 ということになる。
「タイムマシン」
 というものが、人間が作り出した機械であるのに対し、
「ワームホール」
 というのは、人間の意志にかかわらず、認知しない場所に突然現れて、タイムトラベルと行うものとなるのだ。
 だから、どこに現れるか、実際に正体不明と言われるものだ。
 しかも、いつも同じ場所にあるというわけではなく、小説などでは、
「月や天体の影響で、決まった時に、決まったところに現れる」
 と言われているが、その法則は誰にも分からない。
「分かっていれば、もっと詳しく、タイムスリップというものが解明されているかも知れない」
 といえるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「タイムスリップというのは、あくまでも、アイテムによるものでしかない」
 といえるだろう。
 その点、タイムリープというのは、
「人間の都合に深くかかわっている」
 かのように思われる。
「タイムリープ」
 という発想は、
「あの時代のあの時に戻って、やり直したい」
 という願望から考えられたものではないだろうか?
 実際に、
「人間が創造した発想」
 というよりも、
「都合よく考えた、想像」
 といってもいいだろう。
 いや、
「想像というよりも、妄想に近いのかも知れない」
 だから、実際に根拠があって、考えられたことなのか、怪しいものだと思う。そもそも、タイムリープには、どこかおかしなところが結構あるような気がして仕方がないのであった。
 というのも、タイムリープというのは、
「過去の自分に憑依する」
 というもので、理屈上、
「自分が生きていた時代でしかありえない」
 というわけである。
「生まれる前は、当然あり得ない」
 ということであり、都合よくできている。
 というのは、そもそも、この
「タイムリープ」
 という考えは、
「タイムパラドックス」
 に対しての挑戦的な発想だといえるのではないか。
 それも、
「タイムパラドックスに対しての挑戦という意味から考えられたことなのか?」
 あるいは、
「過去に戻ってやり直したい」
 と考えた時、その解決方法がたまたま。
「タイムパラドックスに対する挑戦」
 ということだということになっただけの、本当に、
「都合のいい」
 という発想にすぎないということではないだろうか?
 それを思うと、
「タイムリープというものが、、本当に都合よくできている」
 といってもいいだろう。
作品名:お教とお香の覚醒 作家名:森本晃次