お教とお香の覚醒
というような定義がなくて、奴隷というのを描くのであれば、
「この時代には、当たり前に行われていたことだ」
ということを、キチンと理解している人が見ないと、その常識というものが、どこかおかしな時間軸となってしまうのではないだろうか。
実際に、奴隷制度に関係のない、ただ歴史というものを描くだけの、
「ドキュメンタリー映画」
という様相を呈していれば、
「奴隷一人一人の考えをそこに織り込むことは、時代背景を正確に描けないかもしれない」
ということになる。
それであれば、
「奴隷制度反対」
という立場から、描く作品にしないといけないということになるだろう。
一つ、頭に浮かんでくる発想として、
「古代エジプトなどは、奴隷を使って、ファラオと呼ばれる王朝を支えてきた」
といえるだろう。
特に、映画などで見る光景は、
「奴隷がムチでしばかれて、青あざを作りながらでも、倒れるまでこき使われる」
ということであった。
その奴隷たちというのは、たぶん、
「戦争を行って、負けた国の人民などではないのだろうか?」
と思われているが、実際に、
「奴隷という種族がいて、彼らが、奴隷という立場を甘んじて守ってきた」
という発想はおかしいであろうか?
確かに、今の民主主義の時代であれば、
「奴隷のような差別はいけない」
と言われているが、どうなのだろう?
分かっているだけで、人類の歴史の中で、
「奴隷であったり、国民を搾取する」
というような政治が行われてきたという時代がどれだけあったというのか、古代から脈々と続いてきていて、
「民主化」
と呼ばれるようになった時代とすれば、
「フランス革命」
であったり、アメリカの、
「南北戦争」
などというのがその代表例であり、それだって、一番古くても、300年くらい前ではないか。
実際にそれ以降を近世といっているので、近世以降に出てきた民主主義という考え方が、
「自由平等博愛」
というフランス共和制というものであっただろう。
しかし、実際に、その理想通りに行ったであろうか?
というのも、
「戦争は相変わらずなくなるわけではない」
しかも、どんどん、兵器も開発され、
「大量殺戮の時代」
に入っていったではないか。
中には、そんな時代を予見していた人も中にはいる。
日本の中でも、石原莞爾のように、世界は、いずれ、
「各地方で、各国の、戦争による予選が行われ、その勝者が、大陸ごとの代表として、トーナメントを行い。残った二大超大国が、世紀末のような戦争を起こし、勝ち残った国により復興が行われ、恒久平和が訪れる」
という考えとして、
「世界最終戦争論」
という書物を発刊したという事実もあるくらいである。
だから、彼の中で、
「最後に残る超大国というのは、日本とアメリカ
という考えである。
だから、その思想に則って、満州事変を引き起こし、
「ソ連へのけん制」
を行ったのだ。
もちろん、満州事変というものには、
「他に、数々の、日本にとって、やむを得ない事情」
というものがあったということであるが、そもそも、
「ソ連をけん制しておいて、その間に軍備を整え、いずれやってくる、日米の一騎打ちに備える」
という計画だったのだ。
しかし、歴史は、そうもいかず。中国大陸進出という派閥が強くなったことで、当初の計画が狂ってしまい、結果として、
「日米決戦」
という形に近くはなるのだが、実際には、描いた青写真とはまったく違うものとなったのだ。
そもそも、
「資源に乏しい日本が、資源の豊富な国に侵攻する」
というのも、ある意味、
「アメリカに引きずりだされた」
という意味合いもあり、
結果として突入してしまった、
「日米戦」
も、当初の計画通り、
「最初の連戦連勝の間に、アメリカ国民の反戦機運を高めて、うまいところで講和に持ち込む」
ということしか勝ち目がないということが分かっていながら、
結果として。
「国民やマスゴミの声には勝てなかった」
ということで、
「戦争を辞めることができなかった」
というのが、本当のところであろう。
この戦争も、日本の大義というのは、
「東アジアの、植民地にされて苦しんでいる国を解放し、東アジアに、アジアとしての新秩序を打ち立てる」
という名分があったのだ。
詭弁かも知れないが、実際に、
「東アジアは、欧米列強に、植民地として食い物にされている」
ということだったのだ。
それを解放し、
「大東亜共栄圏」
というものを打ち立てる。
というのが、日本という国の、戦争目的だった。
これほど、れっきとした大義名分がどこにあるというのだろう?
しかし、日本は、
「真珠湾攻撃」
の際のこと、
「宣戦布告が、攻撃開始から遅れてしまった」
ということで、
「だまし討ちだ」
と言われるが、
「それこそ詭弁だ」
といえるのではないだろうか?
というのも、あの戦争は、
「アメリカが、ヨーロッパの戦争に参戦するため、議会の戦争への参加の理解を得るために、日本に攻撃させた」
ということも分かっているではないか。
いや、そもそも、国際法では、
「宣戦布告がなくても、最後通牒と呼ばれる。相手国が、絶対に従えない条件を出してきたり、実際に、外交官などを、国外追放したり、相手の国に駐留している大使や公使というものを相手国から退去させれば、それは宣戦布告と同じだ」
ということになっているのだ。
そういう意味で、アメリカが出してきた、いわゆる、
「ハルノート」
と呼ばれる、
「日本を、明治維新以前の状態に戻す」
という絶対に受け入れられない条件を出してきたことで、それが最後通牒のはずではないかといえるだろう。
それを誰も何もいわず、あくまでも、
「宣戦布告よりも、少しだけ遅かったというのを、国内への宣伝として、だまし討ちなどと言われるのだから、本当であれば、とんでもない話だ」
ということになるのではないだろうか。
それを考えると、
「国際法」
というのも、一つの基準でしかなく。その時々で、解釈が違ったり、下手をすれば、
「マスコミや世論によって、捻じ曲げられる」
ということになるのではないだろうか?
そんな時代の、
「二つの世界大戦」
において、
「ヨーロッパなどの、宗主国」
というのは、
「アジアの植民地から、強制的に兵を連れてきて、戦争に参加させたところもあるのではないか」
もちろん、すべての国がそうだとは言わないが、植民地というのは、こういう使い方もできるということだ。
それを思えば、
「日本が、朝鮮人を無理矢理兵隊であったり、徴用工に使ったなどというのは、本当のことなのか怪しいものだ」
少なくとも、
「アジアに新秩序を築く」
という明確なスローガンがあるのだから、朝鮮や他の国から、
「日本と一緒にアングロサクソンと戦おう」
という組織があってもいいはずだ。
それを、まるで、
「日本に侵略された」
といっているのは、どこまでが本当なのかと思う。
下手をすると、それこそ、
「無限の可能性のある人によって捏造された」
いや、