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対比する発想

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「プログレッシブロック」
 などが、それに近いだろう。
「ジャズやクラシックの様相による幻想的な音楽を作るために、楽器を駆使して、そのテクニックをふんだんに生かし作りあげたもの」
 ということで、全世界をあっという間に席巻していったのである。
 小説界においての、プログレというものが、この、
「奇妙な味」
 というジャンルだといってもいいだろう。
 だから、一見、ジャンルが、どれになるか分からないというもので、そこに前衛なるものを感じるのだ。
 しかし、選択式のジャンルに、
「奇妙な味」
 というものは存在しない。
 それだけ、
「曖昧なもの」
 というべきか、そういうジャンルを作ってしまうと、審査する方としても、ジャンルが先に立ってしまって、正当な審査ができるか、難しいところではないだろうか?
「探偵小説黎明期」
 と呼ばれていた時代があったが、その時代に、
「本格探偵小説」
「変格探偵小説」
 というジャンルが提唱された時期があった・
 本格探偵小説というのは、
「謎解きやトリックなどを中心に、有名探偵などが、事件を暴き、解決していく」
 というオーソドックスなストーリーである。
 そして、変格探偵小説というのは、
「それ以外の探偵小説」
 ということになる。
 実際には、探偵小説というジャンルが、曖昧なので、
「本格探偵小説以外の探偵小説」
 と言われても、
「なかなか表現が難しい」
 といってもいいだろう。
 となると、ある程度明確なジャンルを示す必要があるのではないだろうか?
 というのが、
「猟奇犯罪」
 であったり、
「異常性塀」
 というものであったり、
「耽美主義」
 などというのが、その中の一つになるのではないだろうか。
 そして、それらの内容が、探偵小説から枝分かれしていった、
「ホラー、オカルト」
 あるいは、
「SF小説」
 などというジャンルだといってもいいのではないだろうか。
 というのも、
「それらの小説は、探偵小説から、
「枝分かれしたもの」
 といってもいいだろう。
 そういう意味では、
「奇妙な味」
 というジャンルは、
「変格探偵小説」
 というものからの、派生型小説といってもいいだろう。

                 「限りなく近い」というもの

 そんな万太郎の、
「奇妙な味」
 なる小説は、基本的には、
「オカルト系」
 の、都市伝説にまつわる話が多かった。
 しかし、中にはSF系の小説も結構あり、本人とすれば、
「本当は本格SFのようなものを書いてみたいんだけどな」
 というのだった。
 では、実際に、
「本格SF」
 というのは、どういうものなのだろうか?
 万太郎は試行錯誤を繰り返していたが、結局、
「時間であったり、宇宙という、オーソドックスな発想を用いることが小説の元祖といってもいい」
 というものであった。
 そんな小説の中でも、
「万太郎が得意とする」
 というか、
「数多く書いている」
 という、
「時間関係の小説」
 を本人は、
「前面に出したい」
 と思っているようだった。
 小説の根幹となるものは、以前であれば、
「タイムマシン」
 などを使って、過去や未来にいく作品を描いていた。
 それも、ストーリー中心だったことで、どうしても、
「分かりやすい作品にしないと」
 ということで、論理的なことの矛盾は、
「少々のことは目をつぶってもいいのではないだろうか?」
 と考えていた。
 それは確かに、難しいことを先に書いてしまうと、せっかく描きたい世界に、自らで限界を抱いてしまうということになりかねない。
 だから、最初から、型にはめるではなく、柔軟なところを描くことで、これから描く小説というものを、
「自分で自分を、理解させなければいけない」
 と考えていた。
 特に、時間というものは、いくつかの発想があり、それが、それぞれに似ているのだが、実際には、微妙に違っている。
 つまり、
「お互いに足りないところを補い」
 という発想で生まれたはずなのだが、そこをとらえることが難しいと考えてしまうことも多いといえるだろう。
 それが、
「タイムスリップ」
 であり、
「タイムリープ」
 であったり、
「タイムループ」
 というものだ。
 この三つの発想は、
「三つ巴」
 の関係ではなく。
「三すくみ」
 だといってもいいだろう。
 お互いに抑止しあうことで、一つの暴走を防ぐという、
「三すくみ」
 というものが、この三つにはあるのだろう。
「三つ巴」
 というのは、
「それぞれの力が均衡している」
 というのが考え方である。
「三すくみ」
 というのは、お互いをけん制しあうことで、身動きが取れない状態にさせることで、
「けん制しあう」
 ということになるのだ。
 だから、三すくみというのは、
「動いた方が負け」
 ということであり、
「三つ巴は、一対一では、なかなか勝負がつかないので、勝負がついてしまうと、満を持していた者が、最後には勝つ」
 ということで、状況としては、
「三すくみに似ている」
 といえるだろうが、あくまでも、三すくみが、
「全体のバランス」
 という考え方であり、
「三つ巴は、それぞれの相手との力関係が、均衡している」
 ということで、
「個別の関係」
 といえるだろう。
 もっといえば、
「三すくみは戦う相手は、最初から決まっているが、三つ巴は、相手がどちらであっても、関係ない」
 といえるだろう。
「三すくみは、初戦は必ず勝つが、勝った瞬間、生き残りの道を自らが壊した」
 ということになるのだ。
 しかし、
「三つ巴というのは、最後に終わってしまわないと分からない」
 もっといえば、
「分かった時には、自分は死んでいる可能性がある」
 ということだ。
 助かる可能性が少しでもあるとすれば、
「三つ巴」
 であり、
「三すくみ」
 という状態であれば、最後まで生き残ることはできないということになるのである。
 この三つの時間に対する考え方が、
「三つ巴なのか?」
 それとも、
「三すくみなのか?」
 ということをテーマに考えたのが、
「万太郎の小説」
 だったのだ。
 その三つというのが、
「タイムスリップ」
「タイムリープ」
「タイムループ」
 という考え方だったのだ。
 それぞれに、
「関係があるようで、関係がない」
 あるいは、
「関係がないようで、関係がある」
 といえるのではないだろうか?
 この三つの時間の関係というのは。
「それぞれに、微妙な関係があり。そこに長所と短所が含まれていて、どれか一つに的を絞ると、あとの二つの関係が、いつ巴なのか、三すくみなのか?」
 ということで、どちらともいえるという、不可思議な感覚になるのではないだろうか?
 ただ、この三つは、あくまでも、
「お互いの関係を、平衡に保とう」
 ということから考えられているように思える。
「そもそも、一番最初に考えられたのは、何であろうか?」
 ということである。
「タイムスリップ」
 というのは、
「タイムマシンや、ワームホールなどの、アイテムを使って、本人がそのまま、タイムトラベルをしてしまう」
 というものである。
作品名:対比する発想 作家名:森本晃次