対比する発想
といえば、まだ少しは考えてやってもいいのだが、完全に、
「上から目線になっているので、誰がいうことなど聞くというのか?」
である。
「昔であれば、全部税金で賄ってきたのに、税金を取られてから、仕分けをお願いされ、さらに産業廃棄物は、金を取る」
というのはありえないことである。
だから、マンションや公共住宅での、
「ごみの出し方」
などでの、
「ご近所トラブル」
というものが起こることになるのである。
しかし、実際に、
「今までの燃えるゴミと燃えないゴミと、粗大ごみなどだけではなく、一時期、ペットボトルも分けて出すというようなことをしていたようだが、実際には、今では、分けて出さないところも増えている」
というのだ。
というのも、元々は、
「リサイクル」
のために、
「分けて出す」
ということになっていたのだ。
しかし、実際には、リサイクルどころか、処理も追い付かないので、結局、元のように一緒に出すということにしたのだ。
何とも、計画性がないというか、
「さすが、政府の対策」
と言ってもいいだろう。
また、ごみの収集に関してであるが、普通の地区は、朝、収集に来るので、朝出すというところがほとんどである、
よく昔のテレビドラマなどで、サラリーマンの旦那が、
「ごみ当番」
ということで、背広を着て、ごみを片手に家を出て、途中、ごみ収集の場所に置いて、そのまま出勤するという光景を見たことがあった。
それは、二つのことがいえる。
一つは、時代がだんだん女性が強くなってきたことで、
「男も、家事の分担をする」
という時代が近づいた。
ということで、もう一つは、
「昔は、夫婦共稼ぎというよりも、旦那が仕事にいって、奥さんが、家で家事をしている」
という時代だったという、どこか、矛盾しているようだが、その二つの理屈が、絡み合っていた時代だったといってもいいだろう。
ほとんどのところは、
「ごみは、朝に出す」
ということであったが、場所によっては、
「深夜にごみ収集車が来るので、深夜になる前に、表に出す」
というところもある。
そこには、
「土地柄」
というか、事情があり、
「この土地も、深夜にごみ収集車が来るのだが、いつも深夜なので、まったく違和感がない」
といえるだろう。
だから、他の土地の人とごみの話をすると、
「ええ? それは変だ」
と、まず言われるだろう。
こちらとしても、自分たちが当たり前だと思っているので、どちらにも、
「相手がおかしい」
としか思えないのだった。
「なぜ、朝ではなく、深夜にごみを出すのか?」
ということであるが、この土地の事情としては、
「カラスが、ごみ袋をついばむからだ」
ということであった。
特に、繁華街と呼ばれるところの被害はひどく、店が終わる早朝に出しておくと、カラスにあっという間に食い破られて、朝の収集の時間には、
「ごみが散乱している」
ということである。
ほとんどの飲み屋は、朝までやっている店があっても、5時頃までだろうから、カラスがゴーストタウンの状態に飛んできて、あっという間に、悲惨な状態になるということであろう。
これは繁華街に限ったわけではなく、結構カラスの生息が深刻化している街だったのだ。
一日の時間が、早い時と遅い時、そんな小説を読んだのはいつのことだっただろうか?
小説家というか、アマチュア作家の万太郎は、ネットで小説を書いていた。
「いずれは、小説家としてデビューしたい」
とは思っているのだが、なかなか、
「文学新人賞」
というものに応募もしているが、いつも、一次審査での落選だった。
「せめて一次審査くらいは」
と思うのだが、なかなか通ることはなかった。
そもそも、一次審査というのは、
「下読みのプロ」
と呼ばれる連中が、いくらかの作品をノルマに読みこんで、審査するというものだ。
だから、内容に関しての審査ではない。
「小説としての体裁が整っているかどうあ?」
ということが大切なのだ。
というのも、
「文章の書き方が間違っていないか」
「誤字脱字に問題はないか」
などの問題である、
「文章の書き方」
というと、
「続く文章が終われば、段落分けをして、最初は一段下げて書いているか?」
ということであったり、
「鍵かっこは、段落落としをせずに書いているか?」
「クエスチョンマークは、ビックリマークなどの後は、1段開けているか?」
などという、いわゆる、
「文章作法」
についてである。
それらを客観的に見て、間違っている作品などは、そこで、篩にかけるというところであろう。
だから、一次審査も通らないということは、
「誤字脱字が多いか」
あるいは、
「文章作法がなっていないか」
ということであろう。
自分では、
「そんなことはない」
と思っていたのだが、それだけ、推敲が苦手だということなのかも知れない。
そんな万太郎という男は、今でも、ちょくちょくは、文学新人賞に応募はしているが、今では、
「作家になりたい」
「本を出したい」
というよりも、
「たくさんの作品を書きたい」
という方に、シフトチェンジしていた。
彼は、年齢的に、40歳を超えたあたりだということだが、小説を書き始めてから、そろそろ5年が経つ頃だろうか、
ほとんどが短編小説が多く、そもそも、
「小説を書きたい」
ということを感じさせ、
「こういう小説を書きたい」
と自分の手本のように映ったのが、短編小説を生業とし、
「短編の名手」
と言われている作家だったのだ。
その人の作品は相当数あるだろう、一冊の文庫本に、7,8作品が存在し、しかも、それが、連作になっているので、一話完結なのだが、一冊の本の中の、一つの章であるかのように描かれているのが、あたかも、当時としては、
「新ジャンルだ」
といってもいいだろう。
しかも、この作家の書いているジャンルは、
「奇妙な味」
と言われるもので、比較的新しい小説だといってもいいだろう。
大きなくくりとしては、
「SF」
であったり、
「ミステリー」
や
「ホラー」
と言った小説を、一つの話題を連作にすることで、それぞれ別のジャンルを一冊に描くことで、出来上がるのもを、
「連作」
というのだろう。
そんな本が、50冊近くもあるのだから、発表した作品だけでも、かなりのものだといっても過言ではない。
そもそも、
「奇妙な味」
というジャンルは、
「探偵小説黎明期」
に生まれたといってもいい。
当時の探偵小説というのは、今の、
「ホラー」
「SF」
などの元祖といってもいいだろう、
そして、もちろん、
「ミステリー」
というものにもつながっていくのだ。
その時、
「ホラー」
「オカルト」
と別れた時の、オカルトチックなものに、
「都市伝説」
のようなものが含まれることで、そこからの派生が、
「奇妙な味」
というジャンルであった。
「元の探偵小説を基盤とし、別れていったジャンルを踏襲し、前衛的なものという位置づけでの小説だ」
と思ってもいいだろう。
音楽でいえば、