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対比する発想

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 になるのか、それが、自殺に追い込んだことで、
「殺人」
 ということになれば、
「刑事課」
 ということになるのかということの違いだけで、警察も、
「社会影響の度合い」
 ということで、動かざるを得ないということになるだろう。
「ストーカー問題」
 と、
「誹謗中傷」
 という問題は、
「インターネットの匿名性」
 ということで、原点は近いところにあるかも知れない。
 以前ドラマで、
「一人の生徒が自殺をした」
 ということで、その犯にを知っている先生が、その秘密をあぶりだすために、
「事件を引き起こす」
 という、サスペンスタッチの、ミステリーの物語があった。
 それが、令和になってすぐくらいの時代だったので、
「令和の最初というのは、SNSというものの走りのようなものであり、誹謗中傷ということが社会問題になり始めた最初だった」
 といってもいいだろう。
 しかし、
「誹謗中傷」
 というのは、ある意味、
「ゲリラの様相を呈している」
 といってもいいかも知れない。
 それまでは、まったく何もなかったのに、いきなり相手が起こりだして、そこから誹謗中傷に繋がることで、相手を追い詰めることになる。
 加害者には、
「そんなひどいことをしている意識はないかも知れない」
 それが、誹謗中傷の恐ろしさだといってもいいだろう。
 誹謗中傷」
 で自殺をするというのは、どうしても、
「相手が分からない」
 ということは、恐怖でしかない。
 まったく知らないわけではなく、ネットでの会話だけで、
「遭ったこともない相手」
 ということで、最初は仲がよかったのに、ちょっとした喧嘩から、憎しみに発展してしまうということは往々にしてあったりするものだ。
 それが、
「相手への、あることないことを言いふらす」
 ということであり、
 罪でいえば、
「名誉棄損」
 であったり、
「侮辱罪」
 ということになっただろう。
 今は少しは改善されたのかも知れないが、昔であれば、
「捜査して、証拠を集め、裁判に持ち込むまでに、探偵などを雇って裁判に持ち込んだとしても、そこでに、費用対効果は、決してよくはない」
 つまりは、
「赤字になることを覚悟で、相手を懲らしめる」
 という考えでなければ、まず無理だっただろう。
 損害賠償などを求めても、探偵や弁護士費用に比べれば、
「雀の涙」
 でしかない。
 ということにあるだろう。
 それを思うと、結局、
「泣き寝入り」
 ということになったのだ。
 しかし、さすがに、
「自殺者が多い」
 ということであったり、
「芸能人や、テレビ局などが絡む」
 という、社会的な問題が絡んでくると、そうもいっていられなくなる。
 昔であれば、
「開示請求」
 といって、
「ネットの運営側に、匿名であるはずの相手の情報を、明かさせるということ」
 であったので、なかなか、難しいところがあった。
 何しろ、
「個人情報保護」
 という観点からものを言われると、どうしようもないからであった。
 元々、ネット犯罪としての、
「コンピュータウイルス」
 の存在などによって、個人情報保護法というものが作られたのに、それが、実際には、
「誹謗中傷ではネックになる」
 ということになるのだから、これも、
「本末転倒」
 といってもいいかも知れない。
 そういう意味で、
「個人情報保護法」
 というのも、
「もろ刃の剣」
 であり、
 この法律ができた時に、
「数十年後に、こんな問題が起こることになるとは」
 と誰が考えたことだろう。
 それが、まずは一番の問題だったといってもいいだろう。

                 真実と事実

「タイムトラベル」
 という問題以外において、
「過去は変えられないが、未来は変えられる」
 という言葉を聞いたことがある。
 これは、
「過去にいろいろあった人がいたとして、その人がいかに、未来に対して希望を持たせることができるか?」
 ということとして口にする人も多いことだろう。
 確かに、普通に考えて。
「過去は変えられないが、未来を変えることができる」
 というのはあたり和えのような気がする。
 しかし、この場合の、
「変えられる」
 という言葉を、
「代えられる」
 と考えた場合には、どういうことになるのだろうか?
「変える」
 という言葉の方は、
「過去から続いてきた持続的なことを、、その瞬間から、変化させることができる」
 というもので、
「代える」
 という言葉は、あくまでも、
「代替え」
 という意味合いから、
「まったく違うものに、全体を代えてしまう」
 ということで、
「別のものになってしまう」
 ということになる。
 つまり、前者は、
「自分本人が変わる」
 ということで、後者は、
「まったく違うものと代わる」
 ということで、英語でいうながら、
「チェンジ」
 ということになるのであろう。
 ということになれば、
「未来をかえる」
 ということを漢字にした場合は、
「変わる」
 になるのか、
「代わる」
 ということになるのかのどっちなのだろうか?
 そもそも、時系列というのは、
「最初から決まったレールの上を走っている」
 と考えるべきなのか、それとも、
「人間などが介入することで、未来は曖昧なものとして、現代からは、何とでもできるものとして考えられるのであろうか?」
 ということであった。
 考えてみれば、
「突発的な事故が、戦争を引き起こした」
 ということもあるだろう。
 前述の。
「核の抑止力」
 というのも、
「本来であれば、鉄壁に感じられる抑止力が、まるで、もろ刃の剣のように思えるのは、この突発的な事故などによるものではないか」
 といえるであろう。
 普通に考えると、
「未来は変えられる」
 ということになる。
 なぜなら、
「代えられる」
 ということになってしまうと、その場合に変わるのは、
「自分自身」
 が、変わってしまう。
 つまり、
「別の人間になってしまう」
 ということであり、
「変身」
 ということではなく、違う人の人生になってしまうということになるのであろう。
 普通なら、
「そんなことはありえない」
 といえるであろうが、これが、フィクション小説ということになれば、想像が許せば、いくらでも、描くことができるといってもいいだろう。
 ただ、それも、想像するといっても、理論で説明がつかないものは、その限りにないのかも知れない。
 というのも、
「自分自身が違う人間になってしまう」
 というのは、
「身体がそのままで、別の人間の心が憑依したといっていいのか、それとも、それまでの自分というものの歴史は残っているのだが、それが別の人間によって描かれた歴史として、過去の歴史を塗り替えることでできるようになった未来の変換なのか?」
 ということである。
 後者になると、
「過去は変えられない」
 という理論が、根本から変わってくるというもので、それを証明する何かがあるというのだろうか?
 途中から、
「自分のまわりの人たちが、悪の秘密結社のような連中に、とって変わられる」
作品名:対比する発想 作家名:森本晃次