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歴史の答え

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 というわけで、現在という一瞬しかないものを、綱渡りのように、進んでいるだけなのではないだろうか。
 そう考えると、タイムリープも、タイムスリップも、今の時系列というのを、
「偶然としては、あまりにも都合よくできている」
 と言えるだろう。
 一人だけに辻褄が合うようにできているわけではない。
「生きている人間すべてに:
 いや、
「生きている生命体すべてに、
「都合よくできている」
 ということだ。
 都合のいいというのはあくまでも、公共としての都合という意味で、
「全人類」
 あるいは、
「全生物」
 が幸せになるということを、
「都合がいい」
 といっているわけではない。
 秩序というのは、公共として辻褄が合っているという。つまりは、
「時間の進行を妨げることがない」
 という意味のことである。
 それでも、実にすごいことである。実際に、一つでも辻褄の合わないことがあれば、時系列は存在しなくなり、すべてが、狂ってしまう。そうなると、
「タイムパラドックス」
 というものが、無限に起こってしまうということになってしまい、結果、すべてが、
「うまくいかない」
 ということになるのであろう。
 そんなことを考えると、
「タイムパラドックスが、ビッグバンを引き起こす」
 ということになるが、それこそ、
「宇宙は一つではない」
 という。
「マルチバース理論」
 というものに、つながっていくことになるのではないだろうか?
 最初、忘れかけていたマルチバースが、こうやって、戻ってくるというのも、
「宇宙の辻褄が合っている」
 ということの証明なのかも知れない。
「たくさんある宇宙」
 というものの間は、
「何があるのか?」
 という疑問であった。
 明るい宇宙というものが広がっているというわけではないが、そういえば、今の宇宙の発想として、それが、学術的な発想からなのか、それとも、アニメやSF小説からの発想なのか分からないが、
「宇宙に、裏という発想がある」
 というものであった。
 表宇宙の裏というのは、こちらの宇宙と違って、明るい世界が広がった宇宙というものだった。
 ただ、そこに繋がっている宇宙へのトンネルのようなものがあるのだが、それが、どれだけの長さなのか分からない。
 しかし、そこを通りぬけると、まるで昼間の明るさがあるというのだ。
 だが、その広さというのは、どうなのだろう?
 そもそも、明るさというのは、
「空気が存在しているから明るい」
 ということなのではないだろうか?
 普通、宇宙空間というのは、空気がないので、生物が存在しないということであろう。しかし、裏宇宙というところは、人間が存在している地球のように明るくて、空気があると信じられている。
 ただ、これは、あくまでも、
「人間の発想」
 というものである。
 そもそも、裏宇宙の存在など、証明されているわけでもなく、小説やマンガで、
「そんな世界の創造が、物語を面白くしている」
 ということなのかも知れない。
 そう思うと、子供の頃に見た。
「裏宇宙というものを描いた作品」
 というものの内容を少し思いだしてきた。
「そのお話は、確か、裏宇宙というものが、生きている」
 という発想ではなかったか、
「裏宇宙には、意識のようなものがあり、その意識によって、裏宇宙に来た人間の特性や発想が、その宇宙には反映されるのであって。その人間の思い描いたものを、視覚的な発想として描かせる」
 という星であった。
 もっといえば、
「裏宇宙だと思っているのは、トンネルとくぐるところからのウソであり、その発想が最初から、虚空の存在であったとすれば、そこは、無限の宇宙の中でも、唯一の有限ではないだろうか?」
 ということであった。
 無限の宇宙というものの創造が、却って有限を生み出そうとするのは、
「その無限というものは、果てしないということではなく、その奥の果てに、たどり着いた時、また戻ることで、そのまま続いていることを、無限の続きであるということを感じ続けている」
 といってもいいのかも知れない。
 だから、裏宇宙へのトンネルというのも、本当は、
「有限のトンネル」
 というものが、行きついた先を意識しないことで、永遠に続いているという錯覚に行きつくのであった。
 だから、
「無限を信じるということは、実は、有限であるということを信じているのに、信じたくないという意識が見せる、大いなる錯覚なのかも知れない」
 ということであった。
「有限というものを、いかに無限に仕立てるか?」
 ということが、
「錯覚の正体」
 ではないかと思うのだった。
「タイムマシンの創造」
 というものは、その無限の創造を助ける
「錯覚の理論」
 というものであり、
「自分が、無限というものに、いかに追い付いていくか」
 ということであった。
 というのは、
「知らない世界」
 というものがあり、そこにたどり着くことができる、
「タイムマシン」
 というのは、その存在を肯定するということは、錯覚や矛盾を、無限にするものなのかも知れないと考える。
 そこには、
「タイムパラドックス」
 というものを、解決しなければ、タイムマシンというものを開発することはできない。
 タイムパラドックスというものが、ひとたび、起こってしまうと、宇宙は、ビッグバンに取り込まれるという発想であった。
 マルチバースというものは、
「裏宇宙という発想の延長線上にあるものだといえるのかどうか。誰にも分からない」
 といえるだろう。
 ただ、裏宇宙という発想と、マルチバースというものは、まったく違うものだと考える方が、辻褄を合わせるには都合がよさそうだった。
 ただ、一つの問題は、
「マルチバースという、無限にある宇宙というのは、つながっているということだろうか?」
 それこそ、トンネルのようなものでつながっているとすれば、そのトンネルというのは、裏宇宙ということであり、その裏宇宙の先にあるのが、また表であり、
「裏の裏が、表だ」
 という発想をもってするならば、
「裏の裏が表だ」
 として、その表というのが、今広がっているこの宇宙と、
「まったく同じものなのか?」
 という発想が生まれてくる。
 そうなると、その世界には、今のこの世界と同じだとすると、そこにも地球というものがあり、そこに、自分とそっくりというのか、同じ人間がいると考えられる。
 そう考えると、マルチバースの無限の宇宙は、
「時系列のように、並列でつながっている」
 と考えると、
「現在という宇宙は一つであり。未来と過去という無限に広がる宇宙が、並列しているのが、マルチバースだ」
 ということになる。
 ただ、ここで、前述の、
「無限」
 というものが、
「無意識に、その果てを限界のように感じることで、さらなる無限を勝手に作り出しているとすれば、広がる世界のその果てが、マルチバースというものをいかに制限を与えるか?」
 という発想に至るのであった。
 そんな、
「タイム〇〇」
 というものを、このマルチバースで考えてみるというのも、一つの考え方ではないだろうか?
 特に、タイムリープというものが、基本は、
作品名:歴史の答え 作家名:森本晃次